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VS肉屋の店員

 どうしたものか――と、ネロは北詰所を出るや、途方に暮れてしまった。
 この詰所を通るには、通行証ないし国や貴族などの紹介文が必要らしい。中年の兵士曰く金でも通行証は買えるそうだが、いかんせんネロは宿を出る際に無一文になってしまった。今晩の宿どころか、食事でさえも不自由な身分である。まるで巨人が建てたかのような壁を無理やりにでも通ったとして、あわよくば城の地下牢入りを狙うにしても、極刑と聞けば尻込みもする。城内ならともかく詰所の地下で終身刑となれば、目も当てられないだろう。

(こりゃあ……働くしかない、か)

 心中でぼやいたものの、それほど悲観(ひかん)はしていなかった。ネロにしてみれば早いか遅いかの違いなのだ。そもそもの目的である、世直しの為の謁見が叶ったにせよ、故郷へ帰る為には、どのみち王都での労働は避けられない。
 当面の目標は、王都を拠点として生きること。そして通行証の購入だ。
 うららかな雲を眺めながら、ネロは仕事場を探し、歩き出した。

 そしてすぐに迷った。

「広すぎるだろ!」

 思わず声に出てしまう。すれ違う人に不審な目で見られたネロ。
 世界一の城郭都市、その人口のほとんどは、ここルドベキアに集中している。輪のような都市構造において、面積の大半を占めているのが城下町なのだ。路地の数も多ければ、入り組んだ地形もしていよう。せめてもの救いは、主となる大通りがあるぐらいだろうか。それでも昨夜王都入りを果たしたばかりのネロにしてみれば、未開の土地であるのは言うまでもない。

(何か地図とかがあれば……いっそ、その辺の人に訊いてみるか?)

 大通りでは人と魔族が、せわしなく往来していた。流石に王都ともなると、多種多様な種族が入り交じり、ごった返している。話し掛けても無視されそうな雰囲気は、異世界の都会と似ていそうだとネロは思った。自然と、断念という文字が頭をよぎる。

(まだ日は高いし、町の探索でもしてみるか)

 気を取り直して、石畳(いしだたみ)の道を踏み出した。地理の把握と職場探しの、一石二鳥を目論む算段だ。決して、人付き合いが苦手なのとは無関係である。
 あてもなく彷徨(さまよ)い、歩いていると、昨夜は目に入らなかった光景が映っていく。大きな広場、元気よく駆け回る子供、遠くから聞こえる鍛冶(かじ)の音、服屋に細工屋、何やら慌てて走る獣人の兵士達、建ち並ぶ家屋、グランダー神を信仰とする教会、旅の品物を取り揃えている雑貨店、見るからに甘そうな果物屋、香りだけで美味いと確信させる肉屋……その漂う煙が、ネロの鼻先をかすめる。

(腹ぁ、減った)

 あれだけ日中を照らしていたサンムは、地平線へ姿を消そうとしていた。(あわ)い茜色がルドベキアの町全体を包みあげる。直に、夜になってしまう。これでは一石二鳥どころか、強欲のあまり二兎を逃した狩人だ。
 詰所を出て歩き続けること数時間――ネロが得たのは『王都は広い』という、変わらない認識だけだった。考えてもみれば、町の中に立て看板の地図がある方が珍しい。今更ながら、ネロはそれに思い至った。
 やはり人に訊いておくのが一番だ。
 香ばしい匂いに誘われるまま、ネロは肉を売る屋台へと立ち寄った。

「いらっしゃい」

 店に務めていたのは、ドワーフの女性だった。おばさんと形容しても良い年頃だろうか。人より少し垂れた耳、頬のあたりには薄く毛が生えている。ひょろりと背の高いネロだが、ドワーフの女性はその半分ほどの背丈しかなく、よく見れば小さい台に上って、客と目線の高さを合わせていた。
 ネロの前に並んでいるのは串焼きの肉だ。四角くブツ切りにされていて、何種類かの肉が透明な油を落としながら串に刺さっている。
 露店(ろてん)の裏手では、もう一人ドワーフの男が調理していた。やはり小人で、濃く長いヒゲを蓄えている。小さい手に持った松明(たいまつ)で豪快に肉を焼いていた。おそらく街中での集客効果も兼ねているのだろう。

「……お客さん、よだれ」
「っと、悪い」
 袖で口元を拭うネロ。店員は肩をすくめて、小さく笑った。
「で、何本お買い求めだい?」
「あー……いや、客じゃなくて、道を尋ねたいんだけど」
「なんだい冷やかしかい。帰っとくれよ」
 しっしと手を払う。だがネロは引き下がらない。
互助組合(アルチ)の場所が知りたいだけなんだ。金が入ったら必ず店に寄るから、頼むよ」
「ふぅん、最近じゃとんと見なくなったけど、あんた旅人かい?」
「まあ、そんなとこ」
「その割には弱そうだねぇ。うちの亭主なら片手で勝てちまいそうだよ」
「ほっといてください。のろけないでください」
「それで? 道に迷って腹も空かしているのかい。仲間も連れずに、一人で」
「図星っ」
 そんな効果音と共にネロは腹を押さえた。ぐらりと足元がふらつく。疲れと空腹が、どっと圧し掛かってきたのだ。
「あぁ~あ、店前で野垂れ死にされても堪んないよ。焼いた肉の切れっ端やるから、あっちに行っとくれ」
 手早く余った肉を渡すドワーフの女性店員。わけも分からず受け取ったネロは、ぼんやりと(ほう)けていた。
「こ、これ……」
「ああもう、行った行った。商売の邪魔だよ。この辺のアルチなら、南に真っ直ぐ行ったらあるさね」
 しっしと手を払う。ネロは深々と頭を下げて、礼を言った。心には固い誓いを秘めて。

 そうして、夜の(とばり)が静かに下りた。

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