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第6話

藤原正真(ふじわらまさざね)作、天下三名槍と言われるこの『蜻蛉(とんぼ)切り』とやり合えるとは……」
栄子(えいこ)はうなる。
「わが祖、前田慶次(まえだけいじ)得物(えもの)皆朱槍(かいしゅのやり)』は伊達じゃない!」
(きん)はそう叫びながら、柄に力を込める。

前田慶次郎利益(とします)––––加賀百万石の祖、前田又左衛門利家(まえだまたざえもんとしいえ)の甥。
若い頃から弓馬はもとより武芸十八般に精通し、数多くの戦場でその名をはせた益荒男(ますらお)でありながら、和漢の古典を解し、諸芸に通じ、連歌師里村紹巴(さとむらしょうは)、利休七哲古田織部(ふるたおりべ)ら文化人と親交深い風流人。
赤や金の羽織はかまに、虎の皮や孔雀の羽根で飾りたてた奇抜な出で立ちで京の大路を闊歩(かっぽ)
派手好きな太閤秀吉からも「むこう何方(どこ)にてなりとも、心ままにかぶき候へ」という、「傾奇御免状(かぶきごめんじょう)」を出されたほどの傑物である。

その慶次郎が合戦にて無数の首級をあげた得物が、柄を辰砂(しんしゃ)で深い赤色に染め上げた「皆朱槍」。
山形鶴岡の錦の生家は、その慶次郎の子孫であり、皆朱槍は「伝家の宝刀」ならぬ「伝家の宝槍」と三百年代々伝わってきたものである。

「おらおらおらッ!」
その皆朱槍を小枝を扱うがごとく、軽々と頭の上で車輪のように振りまわし、風を巻き起こす––––
「くらえッ!」
生み出した旋風を槍身にからませるように、錦は目にも止まらぬ刺突を栄子に繰り出す。

「だから甘いってんだよ、かぶきもん!」
本多平八郎忠勝(ほんだへいはちろうただかつ)––––徳川十六神将、徳川四天王、徳川三傑に数えられる神君徳川家康の功臣。
五十余の合戦にいどみながら、生涯一度もその身に傷を負うことがなかった豪傑で、神がかり的ないくさ働きに織田信長、豊臣秀吉をはじめ、敵であった武田信玄にも賞賛された。

その彼が手にしていた一尺四寸の笹穂大身槍(ささほだいしんそう)が「蜻蛉切り」。
穂先に止まったとんぼが、刹那(せつな)ふたつに切り落ちた、というのがその名の由来で、「蜻蛉が出れば、敵は蜘蛛の子散らし」と持ち主の忠勝ともど世に歌われた存在であった。

この蜻蛉切、同じものが二本あり、内一本は忠勝晩年、体力の衰えのため思うに振るえないからと、その柄を三尺ほどつめた。残りの一本を、刀剣蒐集(とうけんしゅうしゅう)の趣味を持つ木村荘平(きむらそうへい)が手に入れ、その娘の栄子がいま手にしていた。

錦が突き出してきた皆朱槍の切っ先を、首を(かし)げ、身をひるがえし、すんでのところですべてかわす栄子は蜻蛉切を振り上げ、打ち下ろす。

槍の長さは通常一丈五尺(4.5メートル)と言われているが、錦のにぎる皆朱槍も、栄子の振るう蜻蛉切も、二丈(6メートル)をゆうに超えていた。
「「うりゃゃゃっ!」」
お互いに、その長槍を繰り出し––––そして、はじき返す。火花が弾け、金属の打ち合う音が響く。

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