バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第1話

 
挿絵


––––空に蒼月(つき)と幾億幾万の星々。その下の山道をすすむ、ふたつの人影。

「おーいっ! 金之助(きんのすけ)、本当にこっちでいいのかい?」
うしろをゆく人物は先行者の背に声を飛ばす。

前をすすむ者––––右手で木の枝を杖がわりに握り、左手を胃のあたりをさすりつつ、よろよろとよろめき、揺れながら歩む青年––––夏目金之助は、ふーひ、ふーひと空気のもれるような音を混ぜこみつつ、
「……あぁ、まちがいない。こっちの道だよ、のぼさん 」
と、声を返す。

「のぼさん」こと、正岡升(まさおかのぼる)は両手を頭の後ろにまわすと、
「……ったく、腹が弱いのに、がっつきすぎなんだよ 」
長いため息をつく。

ふたりは浅草から下宿のある湯島に帰るところ。先刻(さっき)まで浅草寺門前町の牛鍋屋「いろは」にいた。

ちびちび酒をやりながら、ちょいちょいつまんでいた升とは対照的に、すすめ上手な若女将に言われるままに注文した十人前の肉を金之助はまたたく間にたいらげた。

そして、その十倍もの時間を(かわや)で過ごしたのだった。

明日も学校––––帝国大学で授業がある。 ちょっと一杯のつもりで飲んだのに、いまやすっかり深夜である。

ここは近道を、とばかりに山道を進んですでに一時間以上はたっていたが、寮のある湯島の家々の光が見えない……いや、むしろ草木欝蒼(うつそう)としてその暗さを増している。

––––道がふたまたに分かれていた。

金之助は手にした棒を地面に立て、離す。

……パタン、と棒はゆっくり右に倒れる。
「よし! 右だ、のぼさん!」
金之助は力強く右の道をさした。

「おい、迷ってるだろ!絶対、間違いなく迷ってる! 」
両手の平を頬にあてながら、
「やだよー、こんな山奥で野宿なんて!野犬や狼に襲われたらどうするの!」
升は絶叫した。

––––と、それに応えるように、

––––ワォォォォォォォンッ!

獣の遠吠えがこだまし––––さらにその語尾に、

––––パリーンッッッ!

異音が重なる。森の中で聞くには相当違和感のある「硝子(ガラス)が割れるような音」が響いた。

耳朶(じだ)をたたかれ金之助と升は顔を見合わせる。

––––ヒュン!

続いて空気を切る音が鳴る。

––––シュン!

もうひとつ。

「なんだ! 」
おどろく升の前に宙から二本の白光が地へと降ってきた。

……その光は抜き身の刀であった。

「か、(かたな)? 」
地面に深くつき立った太刀と小太刀の白刃が月光を浴びて輝き、唖然とする升の顔を照らす。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 」
女性の悲鳴が響いた。金之助と升の頭上高く、からである。

「な、な、なっ! 」
あおぎ見た升に向って、絶叫の尾を引きならがら人影が落下してくる。

「き、金之助っ! 」
つき立つ大小の刀を食い入るよう––––それこそ魅入るように、(ほお)けた表情で凝視していた友の名を、するどく呼ぶ。

「……え? あ、お、おぅ! 」
夢から()めたかのように振り返った金之助は合点する。

が、升の視線の先を追うと、
「えっ! 」
目を見開く。

空から人が降ってきた。

ものすごい速さで落下する「それ」の姿容(すがた)を見て、驚愕。

––––なんと鎧武者であった。

「ちょ、まっっ! 」
あんな見てからに重そうなのをふたりの腕で受け止めることなどできようか!

「無茶でしょ!無理だって、ムリムリッ––––ッツ!」
抗議の声の後半が、

––––ザシュッッッッ!

擦過音によってかき消された。

金之助の胸元に痛みが走る。
「い、痛い!」
あまりの激痛に両手を胸に当てて、その場にうずくまる。

「おい、ちょっ!」
升は叫ぶ––––が、語尾は重く鈍い衝撃音に潰された。

甲冑を着込んだ人間、しかも高所から落ちてくる鎧武者など、ひとりで抱きとめることなどできるはずもなく、哀れ下敷きになって、
「むぎゅぎゅぎゅ〜 」
苦悶の表情を浮かべたまま気絶した。

しおり