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 此方はカップ麺を持ち上げ、そっと唇に当てる。そして、塩分がやたらと多い豚骨ベースの安っぽいスープを飲み干すと、静かに席を立った。

「もう行くのかい? 」
「ん……何か気になることでもある? 」

 丸夫の問い掛けの意図を理解出来なかった此方は、振り返りながら訊ねる。
 意味の無い事は極力言わない主義だと認識していた此方からすれば、普段では決してしない丸夫の呼び止めに何かしらの意味合いが含まれていると思ったのだ。

「いいや、そうじゃない。そうじゃないんだけど、君がこれから何をするのか気になってさ」
「……丸夫? 」
「あぁ、もしかしてゲームかい? 昔の人は『ゲームは1日一時間』と子供に教えていたそうだよ。ゲームをすることは悪いことではないけど、程々にね」

(――らしくない。ゲームをするように薦めてきたのは丸夫だったのに、今更何を言ってる? )

 此方が感じた丸夫への印象がそれだった。いつもならこんな無駄な会話は絶対にしない。

 人間と機械が融合し始めた現代では、医療は機械の修理と医学を融合させた『修医しゅうい』と名を変えているくらいだ。どれだけ目を酷使して失明したとしても、パーツ交換もしくはレーザー修医で人間の視力等どうにでもなってしまう。
 そもそも金さえあればタンパク質で構成された肉体を捨て、機械の身体を手に入れることが出来る時代である。

 そんな時代だからこそ、疲れを感じる人間の方が少なくなっているので丸夫の心配は的外れの様となる。
 しかしながら、此方に関しては機械との融合とは別口の方向性で人類の進化を遂げているわけなのだが。

「わかった、丸夫がそう言うなら今日は休む」
「…………」

 丸夫の様子が変ということもあり、丸夫の言葉を素直に忠告と受け取った此方は就寝することを伝える。

「それは良かった、今日はゆっくり休むといいよ」

 そう言って微笑む事しか出来ない。
 丸夫は、無駄だと理解していても此方を呼び止めてしまった。その行動に後悔はしていないが、歯痒い気持ちになった。

(……辛いよ。だから、最善を尽くすしかないんだけどね)

 部屋から出て行く此方を見送ったあと、丸夫は机の上から乱雑に置いていた資料を手に取る。

「ホムンクルスの完成型……それも彼女がいた頃の話か。思い出すとまだ哀しいなぁ、いつの時代も実験体は実験台となる運命のようだけど。今回こそは、死なせるつもりは毛頭ないよ。計画が予定より早まるとは思わなかったけど何とか完成させる事ができたから偉いなぁ、僕は」

 マウスを軽く動かすだけでパソコンの画面はスリープ状態から立ち上がり、とあるプログラムを映し出す。
 重い瞼を擦りながら、丸夫はプログラムのデバッグ作業を再開していく。とは言っても、ほとんど終わっているため時間は然程かからない。


――『支援型アストラルシステム』


 散らばっている資料は重なっていて、ハッキリと確認できるのは少なかった。


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 自室のベッドまで戻ってきた此方は、身体を勢いよく投げ出す。
 心地良い感触が此方を包み込み、顔を動かすたびに気持ちが和んでいく。

「……変なの」

 先程の丸夫を思い出して、悶々と枕を抱き締める。
 丸夫が隠れて何かをしているのは知っている。その事を何となくではあるが、此方に気付いて欲しいと丸夫が思っていることも分かっている。

「でも、そんな些細な変化を気付いてあげる役目は私じゃない。私じゃないの……」

 棚に飾られている倒れた写真盾が目に入り、此方は枕に顔を埋める。

(丸夫のせいで、今夜はゲームをする気が無くなった。明日は責め立ててホットケーキでも焼いてもらおう)

 此方は、不本意ではあるが眠りにつく事を決める。
 目を瞑ると無意識に浮かんでくる光景がある。

 思い出すのは此方と瓜二つの双子の姉。人造人間、ホムンクルス。
 新人類に昇華するためと、白衣を着た糞ったれな連中が行ってきた実験の数々。

「――彼方はどこへ行ってしまったの? 」

 それは独り言か、それとも寝言か。抱かれた枕に涙を滲ませ、その手を小さく震わせる。
 傷は一向に塞がらないようで、此方を縛り付けているものは次々と傷から這い出ているような気さえしてくる。

 いつの間にか、此方の意識は深く深く沈んでいった。

 深海の底、息をするとゴボゴボと泡が口から吐き出される。しかし、眼は固く閉じられたまま開くことは決して叶わない。

「…………」

 頭に埋め込まれたマニピュレートの微かなファンの音が消えて、そして完全に静寂となった。


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 目が醒めると、そこはベッドの上ではなかった。
 ベッドから落ちただけであるなら笑い話の一つにでもなるだろうが、これは洒落になっていない。

「どうして勝手にログインしてる? 」

 ゲームの中。正確には『新世界の箱庭』に登場する初心者の狩り場として有名な草原地帯。

「――インティウム平原」

 ラテン語で『始まり』という意味を持つインティウム平原は、レベルが低いモンスターが大量にポップする。現に、鹿の姿に似た『シエルボウス』や人型の化け物『メディオクリス』等がそこら中に散らばっている。
 マップが広大なために澄み渡る蒼い一面が、清々しい冒険への一歩を演出してくれる。

「こっちのアカウントは此方……。なんで彼方のアカウントはログアウト状態なの? 」

 脳内のマニピュレートに指示を出してメニュー画面を開かせる。しかし、フレンド一覧の彼方の行はログアウトを意味するグレーアウトになっていた。

「――何か変。寝惚けてログインするなんてことはあり得ない。そんな事が現実にあったら」

 システム上の大欠陥となり、全プレイヤーは安全確保のためゲーム内から強制退場させられる筈だ。
 そして案の定にも、インティウム平原にアラートが鳴り響く。

『ゲームシステムに重大なエラーが検出されました。直ちにプレイヤーはログアウトをし、誠に勝手ながら再度ログインをしないようお願い致します。繰り返します――――』

 周りにプレイヤーは少なかったが、ちらほらと遠目に確認できる。
 皆、焦ったようにログアウトをしていく中、こちらに駆け寄ってくる人物がいた。

「おーい、此方! 」
「……エギルさん」

 筋肉が盛り上がっている外見に、不釣り合いな大きな杖を右手に握り締めている。
 ローブの端をゆらゆらと揺らしながら、のっしのっしと走ってくるのはゲーム名称「エギル」。アークウィザードという職業クラスである此方のギルドメンバーだ。

 エギルは黒い皮膚のせいで際立つ白い歯を見せて笑う。

「今の聞いたよな? せっかくログインしたばかりだってのにツイてないぜ。そう思うだろ? 」
「そうですね」
「相変わらず淡白な奴だな、お前は。それにしても、変だよな緊急メンテなんて。今までこんな事なかったくらい完璧だったのによ。まぁ、他のメンバーもログアウトしちまったみたいだし俺たちも急ごうぜ! 」
「……うん」

 何か引っかかる所がある此方であったが、エギルに急かされログアウトをする事にした。

 そして、目が醒めるといつもの天井が見える。

「夢? でも……そういうわけじゃなさそう」

 運営から2つメールが届いていた。
 メールはマニピュレートが自動送受信してくれるため、何処でもいつでも確認する事ができる。

 だが、肝心のメールの内容に此方は首を傾げる。
 一つ目のメールは、緊急メンテナンスと不具合のお詫びという件名の送り先はプレイヤー全員のもの。
 二つ目のメールは、文字化けした件名のものであった。

「何これ、ウイルス? 」

 しかし、考えを改める。
 完全機密性のマニピュレートに従来のウイルス、はたまた未来のウイルスすらも効かないとされている。
 そのトンデモ技術はもちろん機密事項のため、知っている人間は世界に数えるくらいしかいないのだろう。

 では、この文字化けしたメールは何なのか。――と此方が疑問に思った時、当たり前のように表記された送り主を注視する。

「どういうこと? 新箱の運営がこんなことするの? 」

 明らかに怪しいメールは、ゲーム『新世界の箱庭』。略して『新箱』の運営から送られたものだった。
 此方は、用心深くメールの大きさ等をマニピュレート内の自作ツールで調べてみる。しかし、通常のメールサイズと同様で数行の文字が書いてある程度のバイト数であることが判明しただけだった。

(……コレを読んでみる? )

 自身に問い掛けても意味は無い。結局、マニピュレートにメール閲覧の指示を出す。
 開かれたメールには、簡素な文字の羅列が書かれていた。他の宛先は不明とされている。

『シングル順位18位以内の諸君。もしくは、タッグ順位10位以内の皆々様方。ログインしたまえ。入場許可証は発行済である』

 それだけだった。

(意味がわからない。このメールの意図がわからない)

 こんなものを送ってくる運営が理解できない。特殊イベントにしても酷く大雑把であり、運営にとって得が少ないばかりか配信中止にされかねない暴挙である。
 そもそも、全プレイヤーとの『物理的差別化ログインせいげん』をゲーム内順位でしてしまうことは断じてあってはいけないことだ。

(課金、プレイ時間などで差をつけることは致し方ない。けど、それでも今までは出来るだけ公平性は守られているような印象だったのに)

 鈴の音が鳴り、新たなメールが送られて来たことを知らせてくれる。

『言い忘れていた。シングル順位8位プレイヤー彼方カナタ、タッグ順位1位プレイヤー此方コナタには拒否権は認めない。2つのアカウントをしっかりと連れてきたまえ。以上で現状で伝えるべき事は伝えたが、このメールは君個人にしか送っていないので安心したまえ』

 件名が空欄のメールを読んだ此方は、目を剥いた。

「……いい度胸。挑発というよりは脅迫に近いけど、そんな暴挙が許されると思っているの? 」

 勝手なことを言っている運営に怒ったのではない。
 脅迫のために彼方を引き合いに出されたのが大層気に入らなかったのだ。

 しかしながら、冷静さを欠いたわけではない。
 そのため運営の思う壷にならない、寧ろ一泡吹かせてやれるよう頭を使う。

(ログインしたら戻ってこれないかもしれない。相手側の土俵に上がることで勝算は極めて薄くなる)

 どうするべきか考えた結果、先ずするべきは丸夫への相談であると結論に至る。
 この間、約0.5秒。

 部屋を飛び出した此方は、勢いそのままに裸足で丸夫の部屋まで走る。冷たい廊下が足の裏に刺さるようだった。
 丸夫の部屋の前に辿り着き、扉が開かないことに違和感を感じる。

「丸夫? ……開けて! 丸夫! 」

 扉を叩いて急かすが、一向に開かなかった。
 嫌な予感がする。


――そして、その直感は当たった。


 後方から気配を感じた此方は、全身が干上がる気持ちを生まれて初めて理解した。振り返るがもう遅い。

「がっ!? 」

 背後から頭部を強打され、此方は術なく昏倒した。


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 意識が朦朧とする中、此方は目を開く。

「んむぅ、……痛い」

 軋んでいるのかと勘違いするほどの頭痛に苦悶の表情を浮かべ、上半身を気怠げに起き上がらせる。

 身体には特に異常はない。しかし、それが現状に至っては問題である。
 人口加工された髪、脳内に埋め込まれているであろうマニピュレート、実験によって与え付けられた驚異的な身体能力。

 其れ等は、全て現実の世界の此方に有るものでゲームの中での此方のキャラには無いものだ。
 しかし、愉快なことにゲームの中に居るのに現実の格好をしている。

「これは……しまった」

 現実との違和感ギャップを感じさせないくらいに見栄を張って、小さく盛っていたアカウントと比べて今の胸は平坦だった。つまり、今の胸の大きさは此方の現実の大きさであって標準値である。
 その事を、実際に自身の平坦な胸を触る事で確かめた此方は理解する。

「あぁー、してやられた」

 昏倒する前の何者かに殴られた記憶、不可能とされていた現実存在のゲーム内適応、現在の容姿、知らない間に身につけている装備、見覚えのある目の前の景色、そして送られてきた不可解なメール……。

 震える手で、こめかみを押さえながらマニピュレートに『ログアウト』の指示を出すが、案の定のこと拒否される。
 蒼々と壮大に広がるインティウム平原を眺めながら、此方は自身の置かれた状況を口にした。


「ゲームの中に閉じ込められた。……ついでに私の胸も消された」

しおり