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紅茶の日SS

 紅茶の日SS

 十一月一日は紅茶の日である。
 当然のこととして、マスターは「紅茶の日スペシャルティ」なるものを用意している。

 用意するのは二種類。勿論理由がある。

 実はこの日、日本人が初めて|欧風紅茶《ティ・ウィズ・ミルク》を飲んだとされているのだ。
 当時、探求者以外の日本人が国外に行くことはなく、もちろん国外から人が来ることもなかった。国際ランクを持つ探求者が来るとしても長崎まで。雲仙迷宮に来るくらいだった。そんな中、伊勢の国を出た日本探求者資格を持つ船頭、|大黒屋光太夫《だいこくやこうだゆう》の船が遭難し、ロシア領の小さな島へとたどり着いた。
 当時、日本語を話せる国際ランク持ちというのは少なく、逆にロシア語を覚えた光太夫。日本に帰国するために色々と頑張った。当時の日本国策を理由に帰国嘆願は通らず、だったら偉い人に直訴してやろう! その思いのもと、光太夫は頑張った。シベリアを横断して、ロシア帝国首都サンストペテルブルクに向かうあたり、さすがと言えた。
 そこで当時の女帝エカチェリーナと会い、帰国許可をもぎ取る。帰国できたのは漂流してから十年経過していたという。一緒に帰国できたのは三人のみで、二人はロシアに帰化、残る十二人は亡くなったというから、かなり辛いものだったのだろう。

 そんな光太夫だが、実は女帝エカチェリーナの茶会に招かれているらしいのだ。それが一七九一年(寛政三年)の十一月一日だった。この日、日本人で初めて紅茶を飲んだとされている。
 それを記念して設けられたのがこの「紅茶の日」

 マスターとしては当然のごとく、出されたとされるティ・ウィズ・ミルクと「ロシアンティ」だ。
 何故マスターが紅茶の日にロシアンティも出すようになったかというと、勘違いが原因である。

 若かりし頃、マスターはロシアンティを「ジャムを入れた紅茶」だと思っていた。イギリスの探求者から話を聞けば「レモンを入れた紅茶( つまりレモンティ)」だと言われ、首を傾げたのだ。ウクライナの探求者がお茶にジャムを入れて飲んでいたので「あ、自分の知識が間違っていなかった」と安堵した。……のだが。
 本来、そういった飲み方をするのはポーランドやウクライナ周辺だという。ロシアではそうやって飲んでしまうと紅茶が冷めて身体が温まらないせいか、やらないという。目から鱗が剥がれ落ちた瞬間だった。

 そして、道具もそろえた今、紅茶の日には二通りのお茶を出すことにしたのだ。


 用意する茶器はティ・ウィズ・ミルクはいつもと変わらないが、今日だけ出てくるのが「サモワール」である。これでお茶の濃さを好きなように変えて飲むのだ。
 弟子が「トルコチャイに似てるよね」と言ったが、それは違う。トルコチャイは蒸らし時間が十五分以上と長く、ロシアンティはそこまで長くない。同じなのは濃さを好みで調節するところだけだ。

 サモワールはロシアに行った時に一目ぼれして買ってきた逸品だ。それに水を注ぎ、お湯が沸くのを待つ。その間に店の準備をしていく。
「こんちゃ~~」
 紅茶の日となれば、甘い物好きの弟子とそのパーティメンバーは必ずやってくる。何せ、ロシアンティとティ・ウィズ・ミルクはサービスだ。

 ちなみに、イギリス出身のクリフが「ロシアンティ」と言った場合、レモンティを出す決まりだが、今日だけは文句を言わない。そして、北欧出身のマイニは毎度のことながら、ジャムをたっぷりと紅茶にいれて飲む。
 マスターが説明したとおりに飲むのは、弟子と春麗だけだ。ウーゴは最初から飲む気がない。
「うんまぁぁぁ!! 師匠、ウォッカで割らないの?」
「小さなお子様がいらっしゃるときもありますから、アルコールは使いませんよ」
 舐める量が半端ない弟子に呆れつつも、マスターは答える。
「マスター、今日のジャムはどこから仕入れたの?」
「妻の連れ子にお願いしました」
 春麗の問いにマスターはあっさり答えるものの、弟子の顔は晴れない。

「弟子、あの子は|無関係《、、、》ですよ」
「分かってるけどさ」
「おいしいものくらい味わって食べなさい。食べ物は関係ないのですから」
「へ~い」
 妻に懐いていた弟子は、妻の前夫とそれにまつわる人間を騰蛇のごとく嫌っている。

「これじゃ採算取れないでしょ」
「マイニさん。紅茶の日くらい、採算取ろうなどとは思っておりませんよ。お茶が身近になればいいのですから」
 にこりと微笑み、常連やPOPを見た一見さんたちへとマスターは向かう。

 インスタント飲料や、ボトルに入ったお茶以外に一人でも目を向けてくれることを祈りながら、茶を提供していく。



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 余談

「師匠! お湯なくなった!」
 弟子がサモワールを弄りながら本日五度目のお湯を要求してきた。開店後二時間も経過していない。そして、サモワールに入るお湯はそこまで少なくない。
 半分は弟子たちだが、残りは客だ。ロシアンティを楽しんでいる。

 そろそろ弟子の分だけは薬草茶に代えよう。これ以上弟子に甘いものを飲ませるわけにはいかない。
 その気配を察知したのか、弟子はこそこそと逃げた。
「マイニさん、これを弟子に」
「逃げたのね」
「はい」
「懲りないね、あの子も。ご馳走様。私たちも帰るわ。それから今日使った茶葉をちょうだい」
「かしこまりました。紅茶の日特別価格で……円です」
「あら、嬉しいこと」
 薬草茶と茶葉を持ったマイニが弟子を確保するまで時間はかからなかった。

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