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-1話 語る価値のない人物の終わりと始まり

 春の日のことだ。

 その日、道を歩いていた。
 なんてことはない。ただ大学に向かっていただけだ。
 受験に失敗し、滑り止めで受かったFランクの大学に通う。

 大学までの道は、桜の木が並んでいた。
 暦では春だが、未だ花は咲いていない。

 北の地では4月の後半になったとしても桜は咲かないものだ。
 母の日となる頃には、それなりに咲くだろうか。

 ぼんやりと考えながら歩いていた。
 田舎の大学周辺は建物が少ない。
 あるのは大学生をターゲットとした居酒屋、そして学生の住むアパート。
 こぢんまりとしたスーパーがある程度だ。

 きちんとした買い物をするためには、バスに乗って街に出なければならない。
 高い建物は大学の棟以外なく、空は驚くほどに大きく見える。

 兎にも角にも自然に溢れた地域で、特筆すべきことはあまりない。
 強いて言えば、山が近いためだろう、風がよく吹く場所だった。
 坂が多く、風も強い。

 ロードバイクなど自転車が好きだったら、話は別だっただろう。
 だけど残念なことに、自転車に乗る趣味はなかった。

 特筆すべき趣味自体がない。
 ただ大学に行き、サークルに行き、適当な飲み会をこなして、家に帰る。

 そんな生活だ。

 平凡極まりない。
 身に平凡が染み込んでいる。

 平凡から抜け出したいと思うこともあったが、それは無理だろうと感じていた。
 何一つ、際立った物を持っていない。

 特殊な何かを入手できる見込みもない。
 生半可な努力では手に入らないことは、これまでの人生で把握している。
 かと言って努力をしても、今からでは届かない。

 自分を支え非凡たらしめる何かを入手することは、不可能だ。
 変化をすることもなく、変化もできないまま。
 このまま大学を終えるのだろうな、そう考えながら生きていた。

 ――だけど。

 その平凡な時間は、突然終わる。
 歩いていると、ふと道路を挟んだ向こうに、背の高い女性がいた。

 すらりとした手足。
 魅力的な太ももと高い腰の位置。
 美しく目を惹くヒップライン。
 女性の履くスキニーのジーンズが伝えていた。

 下半身だけではない。
 白いYシャツの上からでもわかる大きな胸。
 簡素な服なのに、見るだけでわかるスタイルの良さ。
 首から下だけでも目を奪われるのに、視線は顔に向かった。

 息を飲むほどに、綺麗だった。
 道を挟んだ距離でも、理解できるほどである。

 高い鼻に大きな瞳、瞳の色は美しい緑色であり、きっと外国人だ、そう思った。
 顔や体型だけでなく、不思議な髪色からも判断する。
 白髪のような、緑色のような。
 陽光の加減で変化する白翡翠のような色合いだ。

 そんな長い髪を風にたなびかせた美女が歩いている。
 この辺では見たことがなかった。

 何者だろうか。
 見慣れない来訪者は、どうしようもなく目立つ。
 田舎特有の感覚のままに、視線を送る。

 視線を感じたのか、女性は顔を向けてきた。
 綺麗な顔、そして瞳がじっと見ている。

 思わず見惚れた。
 そんな反応が面白かったのか、女性は微笑む。
 不思議な笑みだった。
 どこか哀しそうな、何故か申し訳なさが内包した笑み。

 風が、吹く。
 強い風だった。
 目を開けていられなく、一度目を閉じる。
 
 目を開けたとき、視界は変化していた。
 ジーンズにTシャツ。そして上着を羽織っただけの平凡な服を着た身体だ。

 自分の着ている服だ。
 何故だか知らないが、鏡を使わずに全身像を見ることができた。
 平凡でないところを指すならば、

 首がないところだろう。

 どうして首がない。
 見ているのは、なんだ。

 もし見ているのが、自分の身体だとしたら。
 この首はどうなってやがる。

 何故、この視点は移動している。
 徐々に低くなる。

 こんなに低いなんてあり得るのだろうか。
 息を吸おうとしても、吸えない。
 吐くこともできない。

 不思議に思っていると顔を風が包んだ。
 そして視界が黒くなる。

 まあ。
 これだけヒントがあるならば、いい加減気付く。

 首が取れたみたいだから。
 当然、こうなる。

 平凡だったくせに、非凡な状況で死ねたようだ。

 ここで、物語は終わった。
 だが、続くらしい。

 意識は続いた。
 気付くと、目の前に人がいた。

 複数だ。
 ドラマでしか見たことがなかった手術着を着ている人を初めて見た。
 見える世界は逆さまだった。

 ここは、どこだ?
 死んだと思っていたが、もしかしたら助かったのか。
 呆然としてしまう。

 息が止まる。
 いや、息は元々止まっていたようだ。

 助けてくれ。苦しい。
 苦しんでいると、突然尻を叩かれた。

 痛みに驚き、口を開く。
 鳴き声が響いた。

 赤子の泣き声だ。
 自分の声らしい。

 理解はできない。
 できないが、しなければならないようだ。

 多分、生まれ変わった。
 泣いているのは、痛みなのか、前途多難なこれからを思ってなのか。

 泣き声が響いていた。
 非凡な日常を告げる始まりの声だった。

 そして、月日は流れ――。

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