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0話 とある体育の風景と草河友

 草河(くさかわ)(ゆう)は、どこにでもいるごく普通の中学生、ではない。

 試される大地、というキャッチフレーズを有する広大な自然の地。
 その東の、片田舎に住む友の歳は一三歳、中学二年である。

 茶色の瞳に、鮮やかな茶髪。
 周囲の生徒の大半が黒髪の中で少々目立つ、が今時珍しいものではない。

 少々長めの髪から覗く顔は、綺麗な物だった。
 中学生となれば、ニキビの一つもできそうなものだが、顔には出来物すらない。

 眉毛も整えられ、二重まぶたの切れ長の眼が特徴的だった。
 鋭く涼しげな瞳で、眉目秀麗を体現しているが、まだ少年特有のあどけなさが残る。

 整った顔を有しているが、首から下はどうだろうか。
 身長は一七〇センチ前後と、中学生にしては、平均よりも高い。
 それでも大きすぎるということはない。

 では体型はどうかというと、引き締まった体つきだが、ガリガリではない。
 ハーフパンツから覗く脚には、それなりに鍛えられた筋肉が付いていた。
 スポーツをしている、そんなことが窺える体つきだ。

 それらは特筆するような内容ではない。
 探せば居る。
 単体だけなら、そんな男子は珍しくなかった。

 しかし友のように併せ持つ存在は、中々見つからないだろう。
 友は、恵まれた顔と身体、その他にも諸々を有していた。

「くそっ! また草河だ!?」

「なんで、そこにいる!?」

 黄色い声援が響く中、近くの男子生徒が悔しそうな声をあげた。
 男子たちの目は憎々しいと言わんばかりである。
 一様にしてサッカーボールを足で押える少年、友を見ていた。

(ボールを先読みしただけで、そこまで殺意を抱かんでも)

 敵チームだとはいえ、ボールを持つことのみで憎しみを覚えられても困る。
 そもそも、ゴールを奪えなかった自分たちの所為ではないかと、友は唸った。

(体育の授業なんだからさぁ)

 試合終了寸前のコーナーキックを勝機と見たのか。
 相手チームのメンバーは、殆どが自陣に攻め込んできている。

 中学生の、ましてやサッカーの経験に乏しい者同士の攻防だ。
 敵も味方も、ゴール前に殺到すれば、まともな攻撃など成立しない。

 しかも素人だらけだというのに、コーナーから打たれたボールは高い軌道を描いた。
 経験者ならば頭でボールに合わせられるだろうが、素人には難易度が高い。

 どうせボールは外に弾かれるだろう。
 友は予測し、ペナルティエリアの外で待機していた。
 そうして目論見通りにボールの確保に成功する。

「さて、行きますか」

 友は敵陣のゴールに視線を向ける。
 人は少ない。
 敵も味方も殆どが自陣のゴールマウスから移動できていなかった。

 攻める好機だが味方が追従してなければ、パスをする相手がいない。
 友がボールを持った状態を認識し、ようやく動き出そうとする段階。
 誰も彼もがボールに群がろうとしていた。

 誰か一人でも前線に走ってくれれば、行動の選択肢ができるはずだが、

(まあ、中学生だしねぇ)

 サッカーの練習を積んでないのだ。
 タイムアップ間近であれば、尚のこと、勝利へ向けた合理的な手法を選択できない。

(仕方ねえ)

 判断を下した友は、ボールを蹴りながら走り始める。
 ドリブルでゴールを目指す友に気付いた相手チームのプレイヤーが色めきだった。

「止めろぉ!」

「潰せ!」

 物騒な言葉を吐きながら、友に向かって突撃を始める。
 ボールを狙うことなど考えてすらいないように、身体ごとぶつかろうとしていた。

(おおい、先生やー。止めてくれー)

 審判を務める体育教師に視線を向けるが、苦笑いを浮かべるだけである。
 男子生徒の気持ちが理解できる、と言っているような。
 大した怪我をしないだろう、と信じているような。

(というか。どうせ避けるんだろ、と思ってるんだろうな)

 不要な信頼を向けられている、その事実に顔を覆いたくなる。
 だが実際に顔を覆う訳にもいかない。
 友は気持ちを切り替え、目下の問題たる眼前の敵を見る。

(信頼には応えますがね)

 前からは二人が寄せてきた。
 連携など考えずに、バラバラに近付いてくる。

 まず、一人目が目前に迫った。
 友はボールを大きくまたぎ、右から左へ切り返した。

 サッカーに慣れていない相手だと、大きなフェイント一つで動揺する。
 困惑する相手の脇を通り過ぎ、次の相手に備えた。
 続く二番手の後方を見やれば、誰も居ない空間が広がっている。

(多少、無茶ができるっと)

 友は瞬時に判断すると、ボールを両足で挟み、足を後方に曲げる。
 背後へのボールの移動が完了すると同時に、踵でボールを蹴り上げる。

 相手からすると突如ボールが友の背中から飛び出した。
 ボールは大きく弧を描き、相手の頭上を越える。

 虚を突かれた相手は動きを止めた。
 棒立ちの相手の脇を抜け、友は落下するボールを太ももで受ける。

「ヒールリフトだとっ!」

「ああっ、くそがっ」

 鮮やかな技術に再度黄色い声援と、怨嗟の声があがる。
 友は苦笑しながらゴールマウスを睨んだ。
 相手ゴールとの間には、ゴールキーパーしかいない。

(少しはカウンターに備えていなさいよっと)

 友は走った。
 雑なドリブルだが、百メートル走もかくやというスピードに歓声が沸く。

 ペナルティエリアに入った。
 キーパーは飛び出さない。
 様子を覗っている、と言えば聞こえは良いが、どうしたら良いか迷っているようだ。

(その分、こっちには選択肢が増える)

 友はキーパーの困惑を煽るように、シュートの姿勢を取る。
 狙いは右。蹴り足を含めて大きく身体を右に向ける。
 キーパーがシュートコースへ身体を動かした。

 だが友は足の甲で、ボールを蹴らなかった。
 ボールに触れる寸前、友は脚に急制動をかけボールを横に転がす。

「そこでキックフェイントだとっ!?」

「ふざけんなっ!?」

 不思議と味方チームの声も聞こえる。
 罵倒を聞きつつ、友は転がるボールを追う。

 フェイントによりキーパーは体勢を崩した。
 障害は既に無い。

 友は再びシュートの姿勢を取った。
 足の内側でボールを蹴る、インサイドキック。
 ふわりとボールが動く。
 余裕に溢れたシュートに、キーパーが歯噛みしている姿が見えた。

 そしてゴールネットが揺れる。
 主審の笛が鳴った。

 大きく一度、そして二度目の笛。
 得点と試合終了の音色だ。
 黄色い歓声が響く。
 友は音声源に視線を向ける。

 男女で分かれ授業を受けていたはずだが、女子の殆どが観戦に回っていたようだ。
 きゃいきゃいと騒ぐ女子が、ライン際に屯している。
 その中で、一際はしゃいでいる女子がいた。

「すごい、すごい!! かっこいい!」

 茶色のロングヘアを振りながら飛び跳ねている。
 艶やかな長い髪が陽光に照らされ美しかった。

 顔は満面の笑顔。大きな瞳が輝いている。
 体操着から覗くすらりと伸びた手足を使って、存分に喜びを表現していた。
 跳ねる振動で胸が揺れていることも含めて、目を惹いている。

 目を横に向けた。
 褒められているのは自分ではないのに、男子生徒の何人かが見惚れている。

(いやあ、凄い美少女だなぁ。……見慣れているけど)

 はしゃぐ女子を見ながら、友は右手を上げる。
 女子生徒たちが、再度黄色い声を挙げた。
 何人かの女子生徒が、中央の美少女の肩をぺしぺし叩き始めた。

「痛っ、いたっ!?」

「桜ちゃん! 草河君がかっこいい!」

「そうでしょ、そうでしょ! 自慢のおにいちゃんだぞー」

「くっ、自慢か。この美少女が!」

「わあ!? や、やめてよ!? 褒めてるの? 罵声なの?」

 友が視線を向ける美少女――桜は、他の女子生徒とじゃれ合い始めた。
 桜が追い立てられている。
 だが、桜の顔にも、追う女子生徒の顔にも笑顔が浮かんでいた。
 仲睦まじい様子の桜と周囲の女子たちを眺めて、友は微笑みを見せる。

(まあ、それはいいんだが、そっちの授業はどうなってんだよ)

 女子を担当していた体育教師を探す。
 体育教師は苦笑いを浮かべていた。
 20分ハーフで行なっていたサッカーの試合が終わったのである。
 あと数分も経たない内に授業が終わることから、ある程度の自由を容認しているようだ。

「……まあ、いいけどね」

 友は振り返り、クラスメイトの男子たちに視線を向ける。

「がああああああっ!?」

「また草河一人にやられたああああっ!?」

「くそがああっ!!」

 より強い怨嗟の声が響いていた。
 相手チームだけでなく、自分のチームの男子も悔しがっている。
 友は地面に両手をつき、慟哭するクラスメイトの肩をぽんと叩く。

「あー、斉藤君。その、ドンマイ?」

「うるせえ! お前、相変わらず何なんだよ!」

「何と言われても」

「サッカーだけでなくて、だいたいのスポーツができて!」

「そうだ! しかもそれで頭が悪ければ愛せるのに!」

 斉藤に話しかけていたら、周囲の男子が集まってきて友に抗議をしてきた。

「テストも百点以外取ったところ見たとこねえ!」

「その上、女の子にキャーキャー言われるくらいイケメンで!」

「おまけに双子の可愛い妹!」

「似てねえのに兄妹揃って美形で!」

「桜ちゃんの可愛さを一身に受けて!」

「告白も週に一度は受けるようなモテ野郎なのに!」

「誰とも付き合いもせず、のらりくらりと!」

「何なんだよ! どっかのラノベの主人公かよ!」

 詰め寄る少年たちを見ながら、友は頬を掻いて苦笑する。
 かけるべき言葉がいくつか思い浮かんだが、碌なモノが浮かばない。
 従って、いつも通りの言葉を口にする。

「えっと……。何というか、ごめん?」

「ごめんじゃねえ!」

 周囲の男子生徒の声が揃い、友は思わず笑う。
 友の笑いに釣られ、男子生徒も笑い出す。
 呪いを発動しそうだった男子たちの殺伐とした気配は消えていた。

 先のクラスメイトの発言通りの女子人気に加えて、友は男友達とも仲が良い。
 それが草河友だった。

「ほんと、充実してますよねー。まったく」

 笑いながら肩を組んできた斉藤の言葉に友は、顔を上に向けて思案した。
 充実とは、必要なモノが十分に備わっていることを指す言葉である。

(必要な、モノねぇ)

 思いついたことは口に出さずに、友は唸ってみせた。

「トモダチとかに恵まれてると思うけど、充実なのかな?」

「それ以前に可愛い妹がいるってのが羨ましい。そうだ、知ってるか? 桜ちゃんはこの前な――」

 斉藤に人差し指を向けられながら、如何に桜が可愛いかと語られる。
 苦笑しつつ話を聞く友は、頬に風を感じた。
 友は視線を動かす。

 柔らかく吹く風が見え(・・)た。
 小馬鹿にするように、だが穏やかに微笑んでいる。

(……うるせえっての)

 ほんの少し、頬を膨らませた後、友は校舎へ戻っていく。
 
 草河友は、ごく普通の中学生ではない。

 頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能。
 性格も良く、男女問わず周囲の仲も良好。
 容姿の整った美少女の妹を持つ、まるで物語の主人公のような男子中学生。
 ただでさえ非凡な生活の中で生きる友だが、更なる非凡を抱えていた。

 草河友は、非凡である。
 その日常は、更に非凡であった。

しおり