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黒魔の森の剣士

 最初、その剣士の名を、誰も知らなかった。
 つば広の旅人帽子を深く被り、何の革だかわからぬマントを着込んでいる。汗ばむほどの陽気だというのに、革の肘まである手袋。上着もズボンも黒づくめで、それはまるで影が歩いているようである。
 旅人の顔は帽子で見えない。
 繁みに隠れている彼等が、何よりも関心あるのは、その腰の剣だった。
 首謀者の合図とともに、村の五人の若者は剣士に襲いかかった。
 剣士は最初につっかけた若者を別の若者にたたきつけ、他の者がひるんだ隙に、残りの二人に軽く当て身を食らわし、首謀者の右腕を取りさま、ひねり地面に押え込んだ。
 剣士は若者を押え込んだまま、片手と口で器用に手袋をはずし、若者の首筋に触れた。
 そのまましばらくそうしていたが、剣士は若者にそれ以上の暴力を加えなかった。
「ほう、俺に触れられるということは、人間か。物取りか? 相手を間違えたな」
「ち、ちがう…いや、そうかもしれないが、わけありなんだ!あんたの、その剣は破邪の剣なんだろう」
「!何故、それを知っている?」
「頼む、それを貸してくれ。何でもやる、俺にできる事ならなんだってするから、それを貸してくれ」
 剣士は若者の右腕を解放した。
「訳を聞かせてもらおうか」
 若者は痛む腕をさすりながら、初めて剣士の顔を見た。美貌の剣士には左の目がなかった。

 若者の名はタオ。一見、平和に見える村の近くには、黒魔の森と呼ばれる、魔物の支配する森がある。古からの契約で、村人は20年に一度、村で一番美しい娘を生贄にする。今年、選ばれた生贄は、タオの恋人だった。
 タオは村はずれに住む、占い師の老婆に相談した。老婆は、その日破邪の剣を持った剣士が訪れると予言したのだった。

 村のはずれ、小さな小屋に老婆は住んでいる。
 剣士は老婆のもとに訪れた。
「村の若い者をけしかけたのは、あんたか」
「けしかけた覚えなどございませんな。わしはただ、あなた様が来ることを予言したまで、若い者がそのような事をしでかすとは思いもしませなんだ」
「それはどうかな、俺に触れてみれば判る事だ」
 剣士は革の手袋をはずした。老婆は飛び退り、逃れようとしたが、一瞬早く、剣士の右の腕が老婆に触れた。
 凄まじい絶叫とともに老婆は魔物に変貌し黒煙をあげつつ消えた。
「やはりな……」
 老婆は魔物だったのだ。
 タオはあまりのことに唖然としていたが、顔をあげて剣士に請う。
「約束だ、剣を貸してくれ」
「断る」
「そんな、約束がちがう!」
「案内してもらおう、魔物退治(それ)は俺の仕事だ」
 剣士は帽子を被りなおし、微笑んだ。

 黒魔の森は魔物の森。魔物達は、20年に一度の美しい生贄を中心にも浮かれて踊る。
 踊りの輪に闖入者があった。
 新たな生贄に、魔物達は先を争って襲い掛かる。そのかぎ爪が服を切り裂き、剣士の肌に触れた刹那、この世のものとも思えぬ悲鳴をあげ、魔物どもは黒煙とともに消滅する。
 魔物どもが剣士に気をとられている隙に、タオは恋人と自分の体を剣士のマントで包んだ。それはドラゴンの革、いかなる魔物も切り裂く事は出来ない。
 剣士の眼帯は切り裂かれていた、その下には左の目かわりに奇妙な石が嵌め込まれていた。それは原初の石。この世の始まる前の、前世界のかけら。すべてを原初の姿に、あるべき姿に還すもの。
 森の主めがけ剣士はとんだ。その腕の剣は原初の石の力を解放する。
 閃光と轟音。
 閃光がおさまったとき、すでに森には魔物の姿はなかった。

 かつて、力をもとめ魔神に息子の左目と、自らの魂を売り渡し、異形のものとなりはてた男がいた。
 息子は別の神と契約を交わした。得たものは破邪の力。囚われた魂を救うための力。
 失ったものは人間の運命。
 人間の名。
 剣士は再び旅立とうとしていた。恋人と自分を助けられた若者は最後にたずねた。
「せめて、名を教えていただけませんか?」「好きなように呼ぶがいい、二度とここには来ることもないだろう」

 とうとう、その剣士の名を、誰も知らなかった。

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