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幽霊とお姫様

 もしかしたら、ダンジョンで四班のみんなが落ちた時に僕に向けられた呆然とした、信じられないという目のせいかもしれない。
 そう思いはしたが、それも一つの切っ掛けにしか過ぎないのだろう。思い返してみれば、少し前までは似たような夢をよく見ていた。最近やっと見なくなってきていたから忘れていたに過ぎない。





 見覚えのないどこかの街の中、何故だか僕は独りでぽつりと突っ立ていた。
 見回せば、周囲には溢れんばかりの人達。
 場所を確認しようと思い、周囲の人達の奥へと目を向けてみても、ピントが合っていないように世界はぼやけていた。
 それは周囲の人達も同じで、表情が全く確認できなかった。

「・・・・・・」

 僕は何故かこの世界に居続けることに焦燥感を覚え、街の外を目指して歩き出す。
 しかしどれだけ歩こうと、街の出入り口が見えてこないどころか、足を動かしているのに進んでいる感覚さえなかった。

「・・・・・・っ!!」

 僕は少しずつ足を運ぶ速度を上げるも、まるで僕の足元だけ進行方向とは逆に地面が動いているかのように先に進めずに、焦燥感だけがどんどん強くなる。

―――クスクス

 そんな僕の姿を嘲笑うかのような笑い声が周囲から漏れ聞こえてくる。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 僕は不安や恐怖から鼓動がどんどん早くなり、呼吸も荒くなってくる。

「見るな、見るな!!」

 周囲の人たちの顔ははっきりとは見えないが、こちらを見ながらクスクスと笑っているのだけは理解できた。それは時間が立つほどに増えていく。

「やめろ・・・やめろぉ! ・・・やめろよ・・・」

 僕の叫びに応える者は誰も出てこない。それどころか益々人が増え、笑い声も大きくなっていく。

「やめてくれ・・・お願いだからもう、僕を見るのはやめてよ・・・」

 僕はその場で頭を守るようにして(うずくま)ると、ただただ全てが終わるのを耐えるしかなかった。
 その間も、笑い声と視線は容赦なく僕の心を突き刺していった。





「っはぁ!」

 今まで呼吸をすることを忘れていたかのような勢いで息を吸い込んだ僕に、ティファレトさんの心配そうな声が掛かる。

「大丈夫ですか?」

 僕はその声を無視して周囲に目をやる。一応聞こえてはいたが、ティファレトさんに応えるだけの余裕が全く無かった。

「・・・・・・夢、か」

 数回深呼吸をした頃にやっと落ち着いてきた僕は、長く息を吐いて気持ちを落ち着ける。

「・・・悪夢を見られたんですか?」

 落ち着いた僕の耳に、ティファレトさんの優しい声が届く。

「え? え、ええ」

 思わず出た(ほう)けたような僕の声に、ティファレトさんは僅かに意外そうに目を丸くした。
 そんなまるで人間の様な反応をするティファレトさんの様子に、僕は完全に落ち着きを取り戻す。

「もう、大丈夫です」

 僕はその言葉を証明するように、精一杯笑いかけた。

「・・・それなら良いのですが」

 まだ気になるような素振りを見せるティファレトさんだったが、それ以上は追求することなく、視線を外して窓の外へと顔を向けた。
 袖で額にじっとりと浮かぶ嫌な汗を拭うと、僕もティファレトさんに釣られて窓の外へ目を向ける。
 外はまだ、空が白み始めたばかりであった。


 大分明るくなった頃、同室の全員が目を覚ますと、いつも通り食堂へ移動する。
 初日の混み具合を経験したために、今では少し早く来るようにしていた。
 食堂に着くと、セフィラとティファレトさんと僕の三人が先に席の確保をして、アルパルカルとヴルフルは食事を先に取りに行く。既に役割が決まっている為、確認は必要ない。

「最近人が減ってきていませんか?」

 向かい合わせに三つずつ空いている端の方の席を確保しながら、ティファレトさんが疑問を口にする。

「それは―――」
「脱落者が出始めているからね」

 ティファレトさんの疑問に答えようと口を開いたところ、セフィラが先にそれに答える。

「そうなんですか」
「ダンジョンの授業はもう始まってるからね、あれを受けたクラスから順に減っていってるようだよ」
「では、これからもまだまだ減るということですか?」
「そうなるね。最初の半分も残ればいい方じゃないかな」
「そうなんですか」

 生徒が減ると聞いてもなんの感慨も無く頷くティファレトさんに、それだけ脱落者とは珍しくないものなのだと改めて実感する。セフィラに関しても、ただ事実を答えただけという事務的な口調であった。
 ティファレトさんの目を見ながら丁寧に答えるセフィラを眺めながら、それにしても本当にセフィラはティファレトさんにはちゃんと応対するよなーと、ぼんやりと思う。

「何の話~?」

 先に食事を取ってきたアルパルカルが、ぼんやりしていた僕の隣の空席に腰掛けながら聞いてくる。

「脱落者の話だよ」
「ああ、なるほど~」

 アルパルカルはそれで察したのか、初日より人の減った食堂内を見渡して頷いた。

「まぁしょうがないさ。この世界は弱者には厳しすぎる」

 アルパルカルの隣に持ってきた食事を置きながら、ヴルフルが当然といった口調で横から言い放つ。

「そうですね~、死ぬためにここに居る訳ではないですからね~」

 そのヴルフルの言に、アルパルカルはのほほんと同意する。

「・・・とりあえず、食事取ってくるよ」
「行ってらー」
「はいです~」

 二人に見送られながら、僕はセフィラとともに食事を取りに席を立った。





「ごちそうさま」

 僕は早々に食事を終えると、手を合わせる。

「相変らずそんな量でよく足りるものだ」

 向かい側に座って食事を摂っているヴルフルが、呆れたように肩を竦めた。

「逆によくそんなに食べられるね・・・」

 僕はまだ半分ほどが残っているヴルフルの食膳の上を見やる。僕の数倍の量は食べているだろうが、周りを見るにこれが普通の一食分らしい。

「そんなにって・・・」

 そう言って手元に目線を落として言葉を濁したヴルフルも、言外にこれが普通だと語っていた。
 そんな他愛のない雑談を交わしながら食事を続けていると、不意にざわざわと食堂の入り口が騒がしくなる。

「ん?」
「どうしたんだろう?」

 その騒ぎに気づいた僕達は、入り口に目を向けた。そこには一人の少女を中心とした一団の姿があった。
 その食堂の入り口で騒ぎになっている中心人物に僕は見覚えがあった。

「あれは・・・」

 記憶を探るまでもなく、その腰まで伸びた薄い緑髪の少女は、初めて食堂に来た時に遇った少女だった。

「お姫様だ~、いつ見ても神々しいな~」

 そのアルパルカルの反応に、僕は顔をそちらに向ける。

「知ってるの?」

 僕のその問いに、アルパルカルは驚きの表情を見せる。いや、他の三人もどことなく驚いているような感じがする。

「え? みんな知ってるの? 有名人?」

 四人を見ながらの困惑した僕の声に四人は小さく、それでいて呆れたように頷いた。

「彼女はペリド姫。ここジーニアス魔法学園があるユラン帝国のお姫様だよ」

 そんな僕に、隣のセフィラが小さな声で彼女、ぺリド姫の事を教えてくれる。

「そうなんだ! ありがとう」

 僕はセフィラに礼を言うと、再度ぺリド姫の方に顔を向ける。
 離れた場所から見ても判るぺリド姫の纏う気品に、僕は彼女が皇族だという事に納得する。
 その気品に当てられてか、ぺリド姫の周囲の者達は彼女に美しさというよりも、聖女のような神性さを見出しているように思えた。
 その様子に、遠くから眺めるぐらいが丁度いいと改めて思った。それすらも畏れ多い気がするし
 僕は気後れして視線を下げると、まだ返却していなかった食器類が視界に映る。

「あ、先に食器戻してくるね」
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい~」
「行ってらー」

 僕は立ち上がると、食膳を持って返却口に移動する。

「はぁ」

 返却口に食膳を置くと、自然とため息が出てくる。
 朝の夢があったからか、それともたくさんの視線を集めるお姫様を見たからかは分からないが、やはり誰かと同じ空間に居るというのに未だに慣れない。流石に同室のセフィラ達にはある程度慣れてきたけど。
 そのまま僕は席に戻ろうとして何となく向けた視線の先で、ぺリド姫と目が合った。

「―――――!!」
「・・・・・・あ」

 僕が固まっていると、ぺリド姫は僅かに首を傾げた後に何かを思い出したような声を上げる。

「ッ!!」

 その声に嫌な予感を覚えた僕は、席に戻ることを諦め進行方向を変える。
 食堂には出入り口が三つあり、その内二つは学園の廊下へと繋がっていて、もう一つはその二つの反対側にあり、そこからは学園の庭に出れた。
 僕は迷わず庭へと出る出入り口に向かう。その背に何か驚いて引き留めるような声が掛けられた気がしたけれど、無視して外に出た。あんなところで声を掛けられでもしたら注目の的になってしまうではないか、それだけは本気で勘弁願いたかった。


「ああ、いい天気だなー」

 食堂から出た僕は、一度立ち止まると空を見上げて息を吐く。
 まだまだ寒いこの季節、空は雲一つない快晴なれど、僕の心には暗雲が広がっていく。

「また逃げたなー」

 ははっと小さく笑いながら、僕は自己嫌悪を覚える。
 ぺリド姫から逃げたこともだが、それは一つの出来事でしかない。
 長くない人生ではあるが、僕の人生の大半は逃げてばかりだ。それを先程の逃走で改めて思い知らされた。
 自己弁護ではないが、別に逃げるのが悪いとは思わない。ただ、やはり勇敢でありたいとも思うのだ。

「ははっ、何を考えてるんだろう」

 そんな心の動きに、僕は何をらしくないことをと苦笑いを浮かべる。
 聖域を出てからまだそんなに経ってはいない。学園に居るのはもっと短い期間なのだが、急激な環境の変化というものは心を乱すらしい。
 僕は内心で落ち着け、落ち着けとゆっくり自分に言い聞かせる。このままでは変に暴走しそうな心を宥める様に。
 やはり外は怖いと、どこか泣きそうな気持を抱えたまま、僕は教室を目指して歩き出す。
 セフィラ達はほっといても大丈夫だろう。この前も問題なかったし。

「ああ、面倒だ。本当に面倒くさい」

 まだ入学して間もなく、やっと昨日一つ目のダンジョンを終えたばかりだ。目標の卒業まではまだまだ長い。
 まるで癇癪を起したように、僕は今すぐ学園から逃げ出したくなる。
 そして先程の自問を思い出して、僕は不快感に顔を歪めたのだった。





 去りゆく背中を見詰めながら、ぺリド姫は一瞬茫然とする。
 先程目が合った彼を、最初どこか見たことあるなぐらいにしか思い出せなかったのだが、直ぐに入学式の翌日に食堂で気になって声を掛けた少年だと思い出した。
 思い出したところで挨拶しようと思ったのだが、何故だか彼は直ぐに食堂の外へと出て行ってしまった。

(急用を思い出したのかしら? それとも元々時間が無かったのかしら?)

 どちらにしろ挨拶し損ねたことに変わりはないと、ぺリド姫は少し残念に思う。
 その間も話しかけてくる皆と言葉を交わしながら、ぺリド姫は受け取った食事を持って席を見渡す。

「どうぞこちらに!」

 そんなぺリド姫に、力強い声が近くの席から掛けられる。
 そちらに目を向ければ、同じクラスの男の子が空いた席を手のひらで恭しく示していた。

「ありがとうございます」

 近かったこともあり、その男の子に礼を述べるとその席に腰を下ろす。
 その際、椅子を引こうとする従者を目で制して自分で椅子を引いて座る。
 ぺリド姫がこの学園に入学したのには幾つかの理由があるが、その中でも個人的に最も重要な理由は、外の世界が見たいというものだった。
 ここで言う外の世界とは、城の外や国の外ではなく、人の世界の外を指す。ぺリド姫は狭い世界だけではなく、外の広い世界を知りたかったのだ。
 しかし、その為には力が必要であった。それは純粋な力だけではなく、知識や経験なども含めた総合的な力。
 その経験の中には自分の事は自分でするという事も入っている為、城の中に居た頃のように何かと世話を焼こうとする従者にぺリド姫は困っていた。
 この従者もぺリド姫自身は必要ないと言ったのだが、周りがそれを許してはくれなかったのだった。
 結局、当初の計画よりかなりの数を減らさせ、尚且つ使用人ではなく同級生として入学させる事でぺリド姫は妥協させられた。
 入学してからも、周囲はぺリド姫を上位者としてしか扱ってはくれなかった。
 中には怖気を覚えるような感情を感じることもあったが、それは少数であったし、何より先日ダンジョンで魔物と対峙してからは気にならなくなった。
 そんな沢山の人の中にあって、何故だかぺリド姫は先程去っていった少年の姿が気になっていた。
 もしかしたら今まであった人たちとは違うにおいを感じたからなのかもしれないと、ぺリド姫は頭の片隅で漠然と考えながらも周囲の人達との雑談に花を咲かせる。

(次にお見かけしましたら、今度こそお話ししますわよ!)

 周囲に笑顔を向けながら、ぺリド姫は密かにそう決意する。
 その周囲に向けているぺリド姫の笑顔に、どこか悪戯っ子が浮かべるような好戦的な妖しい輝きが一瞬だけ滲んだのだが、それに周囲の者は誰も気づかなかった。それはもしかしたらオーガストにとっては災難だったのかもしれない。





「あ、オーガスト君!」
「ん?」

 教室に向かう途中、僕は僕の名を呼ぶ声に足を止めて辺りを見回すと、少し離れたところにこちらに手を振る見知った人物を発見する。

「あ、ペルダ、君!」

 その人物、ペルダの名を呼ぶとペルダはにこやかにこちらに寄って来る。
 その後に見知らぬ女性を三人ほど従えていたために、何となく君付けにしてみた。
 その女性はクラスメイトかな? と思いながらも、とりあえず出来るだけ気にしないことにする。

「久しぶりだね。調子はどう?」

 どことなく垢ぬけたような雰囲気のペルダに、何故だかちょっとイラっとする。
 しかしそれは表に出さずに僕は笑顔を返す。最近少しだけ愛想笑いがうまくなってきて微妙な気分だ。

「なんとかうまくやれてるよ」
「そっか、それは良かった」
「ペルダ君も元気そうだね」
「うん。みんないい人達だからね!」

 頷いたペルダは、後ろの女性達に目を向ける。

「友達?」
「うん。同じクラスの子達なんだ」

 そう言うと、ペルダは爽やかな笑顔を浮かべる。
 その後方に目をやって、僕は内心でため息を吐いた。
 確かにクラスメイトなのだろうが、どう見てもペルダは狙われていた。
 スラリとした細身に、同年代の中でも頭一つ分高い身長、紳士然とした雰囲気に、清々しいまでに爽やかな笑みを浮かべ、明朗な声質で語り掛けるペルダは、顔もまた整っていた。
 それに性格も温厚で、見た感じ魔法適正も高そうなので、将来も明るそうだった。
 個人的にはあの健啖家ぶりには辟易させられるが、おいしそうに食べる様は女性には受けがいいのかもしれない。
 そう考察してみたが、やっぱり興味は持てなかった。その万能っぷりに嫉妬すら浮かばない。

「そういえば、列車で話した事覚えてる?」

 ペルダが思い出したように問い掛けてくるが、列車で三日も同じ部屋で過ごしたのだ、話した事などありすぎる。

「話した事?」
「そう、噂話について」
「ああ、覚えてるよ」

 列車内で聞いたジーニアス魔法学園にまつわるあれやこれやの四方山話(よもやまばなし)(もと)い噂話についての内容を頭に思い浮かべながら頷きを返す。それがどうかしたのだろうか?

「実はね、一年生寮棟で幽霊を見たって人が居てね」

 ペルダのその言葉に、あの日の明け方に見た女性の姿を思い出した僕は、僅かにびくりと肩を震わせた。
 そんな僕には気づかず、ペルダは話を続ける。

「その人の話ではね、まだ薄暗い時間に窓の外を見たら、少女のような人影がこちらをじっと見ていたんだって。それだけならまぁ他の生徒が窓際に立っていただけなんだけど、なんとね! その少女が居た寮の部屋は封鎖されていて、誰も使ってなかったんだって」
「封鎖?」
「先生に聞いたら、なんでも老朽化が進んでいて、室内はボロボロらしいよ。近いうちに修繕するらしいけど・・・」

 納得がいかないという音吐のペルダに僕は同意しつつも、あの女性にはあまり関わりたくないなと思うのだった。


 ペルダと別れた後に教室へと移動すると、先にセフィラとティファレトさんが到着していた。
 それぞれが自然と固定化された自分の席に座るなか、僕も定位置になったティファレトさんの隣の席に腰を下ろした。
 セフィラはティファレトさんを挟んだ反対側に座っている。そこは端の席で、すぐ横が通路なので人が隣に居なくて気楽らしい。正直僕もその席がよかった。
 そのまま辺りを見回すと、大分空席が目立つようになっていた。

「遅かったですね?」

 教室内を見回していると、僕が食堂を先に出たのに遅れて入ってきたことを不思議に思ったティファレトさんが小首を傾げて問い掛けてきた。

「途中で知り合いに会いまして、少し話していたら遅くなりました」
「そうだったのですか」

 ティファレトさんは僕の言葉に頷きを返す。
 そんなティファレトさんを見て、僕より交友関係の広いティファレトさんならもしかして幽霊について何か知っているのではないだろうかと思い、問い掛けてみた。

「幽霊ですか・・・ワタクシは見たことはございませんが、生徒の間では密かに話題になっているようですよ?」

 そう言ってティファレトさんは少し離れた席に視線を向ける。
 釣られて僕がそちらに向くと、そこには三人の女子が輪を作って何かを話していた。

「?」

 僕は良く分からず、何が言いたいのかとティファレトさんへと顔を戻す。

「現在彼女たちが話している内容が、先ほどオーガストさんが話されていた幽霊についてですよ」

 そのティファレトさんの言葉に、顔を三人組に戻して耳を澄ますと、確かに一年生寮の幽霊について話しているところであった。その話や今までの話を纏めると。

「目撃情報は夜中から明け方に集中していて、全員見た幽霊は少女の幽霊であると。そして、目撃された部屋は、現在は封鎖されている立ち入り禁止の部屋だと」
「そのようですね」
「この話って昔からあるのかな? 細かく言うと、封鎖っていつからされているんだろう?」

 ペルダの話では幽霊については昔からあるらしいが、しかしそれと今話題の幽霊が同一とは限らない。
 そんな疑問を抱いて独り言を呟くと、既に調査済みだったのか、それが聞こえたティファレトさんから答えが返ってくる。

「部屋の封鎖自体は、去年の夏の盛り頃らしいです。現在の噂については、オーガストさん達が入学した辺りからのようですが、幽霊騒動自体は学園創設当初から存在していたみたいです」
「そうなんですか・・・ってもうそこまで調べていたんですか!?」
「ワタクシも少々気になっていたものですから。しかし、最初に言いました通り直接確認は未だに出来ていませんが」

 ティファレトさんは残念そうに小さく首を横に振ると、閃いたように僕の方を見る。
 それに僕は嫌な予感を覚え、次の瞬間その予感が正解であった事を知る。

「そうです! オーガストさん、一緒に幽霊さんに会いに行きましょう!」





「まずはちゃんと噂通りの場所に出現するのかの確認を行いましょう!」

 教室で幽霊の噂話をした時から何故か乗り気なティファレトさんは、同室の三人が寝静まった深夜に僕を伴い幽霊探索の為に寮の入り口まで来ていた。その際、僕は腕をがっちりとティファレトさんに掴まれている。逃げるつもりはないんだけどね。

「では、目標が確認可能な位置まで移動しますよ!」

 そう言うと、グイッと僕の腕を引いて歩き出すティファレトさん。何が彼女のツボだったのか分からないが、その普段とは違う快活な雰囲気に、僕は若干の戸惑いを覚える。
 そのまま力の強いティファレトさんに半ば引きずられるようにして到着したのは、寮の裏手であった。より正確には裏手に入るかどうかという寮の角付近であった。

「ここからなら確認出来るはずです!」
「そ、そうですね・・・」

 以前この辺りから噂の幽霊らしき人影を見たことのある僕は、どこかよそよそしい返答になってしまう。
 しかし、ティファレトさんはそんな僕を気にした様子はなく、一心に噂の寮棟の一室を眺めていた。





「・・・中々現れませんね」
「んぁ」

 それからどれだけの時間が経っただろうか。
 壁際に寄りかかって浅い眠りに落ちていた僕は、少し離れた場所に立つティファレトさんの声で瞼を持ち上げる。

「・・・・・・あふ。まだ出てこないんですか?」
「はい。もう目撃された時間なんですが、曜日とか日にちとか天気とかの時間以外の要素も必要なんでしょうか? それともやはりワタクシには・・・」

 ティファレトさんは一度も目を離すことなく、ぶつぶつと出現しない理由を考えては呟いていた。

「・・・未だに出てこないならそろそろ戻りません? 今日はもう出ないのかもしれませんし」
「いえ、もう少しここで待ちましょう。しかしながら、確かに区切りは必要ですね。そうですね・・・ではこのまま出てこないようならば、空が白みだす頃には引き上げましょうか」
「え・・・」
「どうかされましたか?」

 ティファレトさんの言葉に、僕は空を眺める。空にはまだ星々が爛々と瞬き、月も山の向こうに沈むにはまだかかりそうだった。

「い、いえ。まだ時間はあるなーと思いまして・・・」
「ええ、まだチャンスはあります! 諦めずに見張りましょう!」

 元気いっぱいのティファレトさんの声に僕は言葉に詰まと、どうしたものかと思案するのだが、真剣な顔でずっと寮の一室を凝視し続けるティファレトさんの横顔を眺めていると、僕は諦めのため息を吐くことしか出来なかった。
 結局、その日は宣言通りに空が白みだすまで見張っていたが、幽霊を確認することは叶わなかったのだった。


 幽霊を目撃できなかったティファレトさんは、その日はずっとどことなく落ち込んでいるような雰囲気を纏っていた。
 しかし、それは僕の勘違いだったと寮への帰り道で知る事となった。

「オーガストさん、今夜は直接部屋の方へと訪ねてみましょう!」
「はい?」

 最初、ティファレトさんが何を言っているのか本当に分からなかった。
 しかし、次第にティファレトさんの言葉が染みてくると、その意味に思わず信じられないものを見るような目をティファレトさんに向けてしまう。

「いや、封鎖されてるんじゃ?」
「大丈夫です!」
「ああ、許可を取ったんですか?」
「大丈夫です!」
「・・・・・・えっと」
「大丈夫です!」

 何故か自信満々にそう断言するティファレトさんに不安を覚え、一緒に帰っているセフィラの方へと助けを求めて顔を向ける。

「・・・・・・まぁ、頑張って」

 セフィラは手元で何か組み立てていた手を止めると、こちらを向いて真顔でそんな事を言ってくる。
 そして、言う事は言ったとばかりに手元に視線を戻すと、作業を再開した。

「いやいやいや、え? それだけ?」
「他に何か?」

 こちらに見向きもしないで応えるセフィラは、もう興味が無い様だった。

「だって・・・ええぇぇぇぇ」
「今夜が楽しみですね!」

 どう言えばいいのか分からず困惑する僕を他所に、ティファレトさんの弾むような声が掛けられたのだった。





 日付はとうに変わった真夜中。僕とティファレトさんは寮の自室を出ると、音を出さないように気を付けながらコソコソと幽霊が目撃されている寮へと移動する。
 その道中、僕は気になっていたことをティファレトさんに訊ねてみた。

「あの、なんでそんなに幽霊に拘るのですか?」

 その僕の問いに、ティファレトさんは少し遠くを見るような、どことなく哀しげな目をする。
 その目を見て、これは訊いてはいけない質問だったのかと焦りを覚える。

「ワタクシはですね、機械で出来ているんですよ」
「え、ええ。それは存じていますが」
「一般的に幽霊と呼称されている存在は魔力を持たない、または操れないものには見れないのですよ」
「そうですね」
「ワタクシは魔力を組み込まれていないもので、残念ながら幽霊というものを見ることが出来ません。しかしここは魔法学園、どうしてももしかしたらという思いが湧いてしまうのですよ。一度でいいので、ワタクシは幽霊という未知を見てみたいのですよ」
「そうなんですか・・・」
「これで答えになりますか?」
「は、はい。それで、何故僕なんでしょうか? セフィラでいいと思うのですが?」
「丁度オーガストさんが話を振ってくださったというのもありますが、何といいますか、セフィラさんは機械以外には興味ないのですよ」
「そういえば、いつも何かしら作ってますね、あれは何を作ってるんですか?」
「あれは何か目的があって作ってるのではなく、適当に組み上げては解体して、また組み上げてを繰り返しているだけなんですよ」
「暇つぶし、ですか?」
「ええ、手慰みを兼ねた修練だそうです」
「修練?」
「はい。セフィラさんは寝ても覚めても四六時中機械の事しか考えていませんので」
「へぇー」
「寝る間も惜しんで毎日毎日機械の事だけで頭を埋め尽くし続け、試行錯誤を繰り返し繰り返し行う。そこまでやってはじめてセフィラさんはそれを努力と呼称するような方ですから」

 心配そうに、しかし自慢げに語るティファレトさんのその話に、僕はセフィラに対する見方が少しだけ変わる。それほどまでに一途に努力できる者などそうそう居はしない。
 そんな話をしていると、目的の幽霊が目撃されている寮に到着する。
 僕達はその寮内に入ると、素早く静かに移動する。見つかっても問題はないはずだが、自分達の部屋が無い寮というのは、気持ち的には他人の家なのだ。
 そのまま七階まで階段で移動すると、目的の部屋の前に到着出来た頃には未明を過ぎて明け方になろうかとしていた。
 その扉には『老朽化につき立入禁止』 という札が下がり、テープが扉の開閉を邪魔するように斜めに交差するように張られている。鉄でできたその扉の所々には錆が目立ち、それが長い間ここが清掃さえされていないことを物語っていた。それ以外は他の部屋の扉と同じ造りであった。

「・・・・・」

 その扉を暫し眺めていたティファレトさんは、おもむろにドアノブに手を掛けそれを回す。
 しかし、ガゴンという金属の音が響くだけで、扉が開くことはなかった。当然だが、鍵がかかっていたのだ。
 それを確認したティファレトさんは一度腰を曲げて鍵穴を確認すると、上体を戻して自分の指先を鍵穴に近づけた。
 僕は何をするのかと固唾を呑んでそれを見守っていると、突然差し出したティファレトさんの指先が僅かに開き、中から何かの細長い金属が姿を見せる。
 その細長い金属はそのまま鍵穴へと入っていき、カチャカチャと微かな音を立てたかと思うと、直ぐにガチャンという何かが開いた音が聞こえた。

「さぁ、入りましょう」

 指先を戻しながらそう言うと、ティファレトさんは扉を封鎖しているテープの片面を丁寧に剥がして、何事も無かった様に扉を開いた。

「・・・・・・」

 その手慣れた鮮やかな動きに僕は絶句すると同時に、ティファレトさんがアンドロイドだったという事実を初めて実感した気がした。
 中に入ると、まずかび臭さと籠ったようなもわっとした臭いが鼻を衝き、僕は思わず顔を(しか)める。室内は月明かりが僅かに射しこむだけでほとんど真っ暗であった。
 僕は暗視魔法を用いながら部屋の様子を確認する。
 ペルダが言っていた修繕が必要の言葉通り、壁紙は大きく捲れたり剥げたりしていて、そこから見える壁にはこぶし大の穴が幾つも空いていた。他にも、黄ばみや蜘蛛の巣、カビや黒ずみなども広がっており、まるで廃屋のような有様であった。
 そのまま天井に目を向ければ、所々抜け落ちていて、天井裏が見えていた。

「・・・・・・」

 微妙な違いはあるものの、室内は僕達の部屋と同じ造りであった。
 僕は先行して大部屋を確認しているティファレトさんの元に移動する。廊下は歩くたびにギィ、ギィと嫌な音を立てた。

「何かありましたか?」

 ジッと何かを見ていたティファレトさんに問い掛けながら、僕はその視線の先を追って顔を向ける。

「ッ!!」

 そこには何時ぞや見た少女が壁に寄りかかり、僅かに顔を俯かせた状態で座っていた。

「そ、その子は・・・?」

 僕は鼓動が早くなっているのを自覚しながら、強張った声でティファレトさんに問い掛ける。

「・・・どうやら、人形のようですね。しかし、何故こんな場所に?」
「人形?」

 不思議そうなティファレトさんの返答に、僕は改めてその子を観察する。
 その子の着ている服は黒を基調に、黄色のフリルで縁取った丈の長い変わった作りの服で、誰かの手作りのように思えた。
 髪は闇に紛れる程の黒色で、胸元辺りまでその髪は伸びていた。
 そして室内だというのに濃い紺色の靴を履いており、こちらに向いた靴底は新品同様に綺麗だった。
 そこまで確認して、確かに目の前の子からは作り物のような雰囲気を感じた。
 ならば、あの日見たこの子は一体・・・。と、そこまで考えたところで、僕はその人形の周囲に何やら見慣れないものが飛び回っていることに気がついた。

しおり