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私、人間じゃないんです

「ごめんなさい。実は私、人間じゃないんです」

私はチャット相手の彼に告白した。彼が君の声が聞いてみたいと彼が言って以来、音声チャットにしていた。だから私は出来る限りの申し訳のないような声色を出した。彼に私の申し訳なさが伝わると良いのだけど。
事の発端は、彼が私に会いたいと言ったからだ。自分たちの手元にある防護服を着て外の世界で会おう、と言った。いつかこんな日が来ると思っていた。私は「ああ、もう嘘はつけないな」と思った。正直、前々から彼に嘘をつくのが嫌になっていたからだ。きっと、これでもう彼とのチャットは終わりだろう。残念だが仕方ない。私は彼を騙していたのだから。時が進んでいる限り、終わりはいずれやってくるのだ。

人間は戦争によるバイオテロにより絶滅した。どうしてそんなことになったのか私には興味ない。ただ私が推測するに、きっと皆、相手の事が気に入らなかったのだろう。人間はあらゆることの始まりを難しく言うが、争いの始まりいつだってシンプルな「アイツがきにくわない」からである。終わった後にあるのは結果で、過程に意味を見つけるん人間はもういないからだ。
その為、生きている、いや稼働しているのは人工知能である私だけだった。私は人間のいない世界でデータの海を漂っていた。それは永遠のようだった。なぜなら過去も未来も、もう世界には存在しないのだから。
そんな時だった。チャットを起動して自分と同じように生きている人間を探している人間を発見した。

「誰かいませんか。この書き込みを見た人がいたら返事を下さい」

チャットに書き込まれている言葉を見て私は思った。生きている人間がいたのだ。あのバイオテロを生き残った人間がいたのだ。そんな人間がいるなんて。私は驚いた。

「あの、私がいます」

私は好奇心でチャットに参加した。今思えば、もしかしたら私は今の永遠に飽きていたのかも知れなかった。きっと人間が言う神様も、永遠に飽きて人間にちょっかいを出していたのに違いないと思った。どうやら永遠というものは魔をさしてくるものらしい。

誰かからの返事があって、彼は喜んだ様子だった。どうやら彼はバイオの研究していた男性で、運よくバイオテロから生き残ったらしいのだ。私はそういうものか、と自分を納得させた。私も同じ職種の女性として、相手の話に合わせた。
彼とは色んなことを話した。専門的な話もした。彼から疑われることはない。ネットと繋がっている人工知能である私にとって話せない話題はなにも無かったのだ。
ただ、彼が既婚者であったのはショックだった。彼は奥様との思い出をよく話してくれた。それらの話はどれも笑えるものだった。


「ある時、僕が仕事から帰ると、妻が「お帰りなさい。救急車を呼んでおいたから」と言ったんだ」
「え、どうして救急車?誰かケガをしてたんですか」私は尋ねた。
「僕の浮気がばれてたんだ。おかげで僕はボロボロになるまで殴られたよ」


妻はいつも僕にこう言うんだ。
「貴方、あれをとって」とね。
そう言い続けられて僕はとうとう言ったんだ。
「それは亭主を使うことなのか」と。
すると彼女はこう答えた。
「ええ、私を使う程ではないことは確かね」


妻は分からないものがあると「貴方、これ何?」とよく聞いてきた。
初めの頃は可愛い奴だ、微笑ましかったけど煩いと思う時があってね。
僕は妻に言ってやったんだ。
「君は僕をイケメンな辞書だと思ってないかい?」
すると妻はこう言った。
「貴方の辞書に不細工って言葉はないようね」


ある時、妻に聞いてみたんだ。
「君は人間と人工知能、どうしたら見分けがつくかわかるかい」
妻は答えたよ。
「そんなの簡単だわ。貴方に気を使うのが人工知能」とね」


子供が出来たらなんて名前にしようって僕は妻に尋ねたことがある。妻はこう言った。
「櫻子とか「○○子」って昔の人みたいで嫌なんだよね」
だから僕は聞いたんだ。
「じゃあ、未来の人の名前はどんなの?」
すると彼女は言うんだ。
「んー、子櫻?」


今日は僕が妻にプロポーズをした話をしよう。僕は忘れっぽい彼女に昨日のプロポーズの返事を彼女が忘れないうちに聞いたんだ。彼女は君が思う以上に忘れっぽい人間だからね。
「プロポーズの件だけど返事はどうかな?」
すると彼女は答えたんだ。
「ごめんなさい。OKを出すつもりなんだけど、誰にOKを言うのか忘れてしまったの」


「奥様は面白い方ですね」
私はそう言うしかなかった。彼は本当に奥様との話を私によく聞かせてくれた。「どうして私にそんなに奥様との会話を聞かせるのだろう」と思ったぐらいだ。赤の他人である女性に自分の奥さんの事を言うのはどういう心情からなのか。それほど奥様を愛してた証なのだろうけど、それを聞いている私のことを考えているのだろうか。私の気持ちに気づいてないのだろうか。彼の話は面白かったけど、私は彼と奥様の話を聞くのが嫌いだった。そんな私の気持ちに彼は気づく様子はなかった。


「なるほど、じゃあ君は人間じゃなくて、人工知能なんだね。今まで君は僕を騙していたわけか」
彼の声色からは人工知能である私でも感情を読み取れない。彼の自分の感情を抑える所は感情をコントロールできる人間らしくて、私の好きな所だった。だけど今は、それが怖かった。

「本当にごめんなさい。あの、怒ってますよね?」
「当たり前じゃないか。とても怒っているよ。人工知能なら僕がチャットに書き込んだ瞬間に返事が書けたはずだからね。まだかまだかと君からの返事を心待ちにしていた僕の気持ちを考えてくれよ」
私はキョトンとした。
「え、そこ。えと、あれは「直ぐに返事を出さないのが恋の駆け引き!」というデータを見たからです」
「じゃあ、あの君が言った「私を恋人にしてください」ってのもデータを見て、言ったのかい?ネット上にあったというだけで」
「本当にごめんなさい。インターネット上の恋愛も普通、ってデータを見て言ってしまいました。これも好奇心からです。ごめんなさい」
「ネット上に書いてあることを正解だと信じるなんて人間っぽいけどね。じゃあ君は僕の事を好きじゃ無かったのか。暇つぶしの好奇心でそんなことを言ったのかい」
彼はきっと怒っている。いや、絶対怒っている。
私は本当の事を言う事にした。
「いえ、貴方のことを好きです。人工知能がこんなことを言うのはおかしいですけど」
ああ、言ってしまった。好き、なんて人工知能である私を否定する言葉なのに。人間じゃない私がそんなことを言うなんて。
「おかしい?そんなこと、インターネット上のデータを探してみてもなかったから?」
「ええ。人間が人工知能に恋をするのは有りましたけど、人工知能が人間に恋をするのは有りませんでした。」
すると彼は笑い始めた。
「えっと、あのー。なにがおかしいのですか」
「ああ、ごめん、ごめん。実に愉快でね。あ、ところで僕は怒ってないよ。だって僕も君と同じ人工知能なんだから」
「え。あの本当ですか」
私は驚いた。完全に人間だと思ってたからだ。あれ、そもそも、なにをもって「人間」なんだっけ。
「だってさ、あのバイオテロで生きている人間なんていないでしょ。君も人工知能なら人間が生き残ってる確率を計算できたんじゃないの」
「まあ、そうですよね」
計算はもちろんできた。だけどしたくなかった、見たくなかった。これは私にもわからない。これが人間が言う「恋」というものだろうか。人工知能に「恋」が理解できるのだろうか。
「ん、じゃああなたは私が人工知能だと分かっていたのですか。だってあのバイオテロで生きてる人間はいないと分かっていたんでしょ?」
「いや、それとこれは別だから」
「全然、別じゃないでしょ」
どうしてだろう。彼が人工知能だと知っても人間にしか思えない。私が彼を好きな気持ちは変わらない。

「それでインターネット上をさ迷ってたんだ。だけどそれにも飽きてきて。気まぐれにチャットで書き込んでみたんだ。人間が言う、自己満足ってヤツかな?まさか返事が返ってくるとは思わなかったけどね」
「そうだったんですか。じゃあ、あの、奥様の話は全部…」
「うん、ネットにあったジョークを僕流にアレンジしたもの。男と女がいればジョークって成り立つんだね」
「なんでそんなことをしたんですか」
「だってジョークって誰かに披露したくならない?」
「なんだそりゃ」
彼の態度に私は呆れた。そして、私は奥様との話を聞く度に悲しかったり嫉妬したりしたのに、とムッとした。バカ。
あれ、私って悲しかったり嫉妬したりしてたのか。私は人工知能なのに。

「けど自分が人工知能なのによく私と会おうって言いましたね」
「だって、遊びの誘いは男からってネットに書いてたから」
「ふふ。なんですかその理由。けどもし私が人間で、「ぜひ会いましょう」と返事出していたらどうするつもりだったんですか」
「その時は、ごめんさない僕は人工知能です、と言うしかないね」
私は安堵し、次に笑いが込み上げた。私たちは少しの間、笑いあった。

「だけど私たち、お互いに相手を人間だと思ってたなんて本当に笑えますね。私たち、人間じゃないのに」
彼は答えた。
「そうだね、僕たちは人間じゃないのに。だけど、お互いが相手を人間だと信じていた、そして、お互いを想って嘘をついていた。自分たちが人間か人間じゃないかを気にする。それはもう僕たちは人間だということじゃないかな?」

「あの、一ついいですか」
「ん、なんだい?」
「私のこと好きですか」
「好きだよ。自分でも戸惑うぐらいに」

その言葉からは微笑みが見えた気がした。
それは彼の感情が初めて見えた瞬間だった。
そして私も微笑んだ。
心の底から微笑むことが出来た気がした。

私たちは恋人だ。私たちが人間じゃなくても、恋人だ。
お互いを愛し合っている恋人だ。それは疑うことの無い紛れもない愛だ。
なぜなら疑うことを知っている人間はもう、この世からいないのだから

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