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9.傀儡の糸

 三日後の朝、その時は唐突にやって来た。
 魔女の姉妹が食後の一杯を堪能していた時――

「――ッ!?」
「姉さん――ッ!?」

 突然、お気に入りのティーカップを落としたかと思うと、頭を押さえながら、ガタンッと椅子から転げ落ちた。
 顔をしかめ、床にうずくまる姉の姿に、セラフィーナはおろおろと狼狽えてるしかできなかった。

「うぅ……!」
「ね、姉さん、しっかりしてッ!? い、一体何が……」
「せ、先日の……<マジックイーター>が、力を……」
「<マジックイーター>?
 ……って、ま、まさかっ、姉さんッ、早く“サーチ”を切って!」
「フィーちゃん、配置に……わた、しはそ、“操作盤”を……」
「何言ってるのっ! こんな状況で……そんなの出来るわけないじゃないっ!
 早く、“サーチ”を切って身体を休めてっ、あれぐらい私一人でもやれるから!
 だから、お願いっ……」

 ミラリアは城館の周囲に、魔法の糸――“サーチ(探索)”をかけている。
 それがアダとなった。テロールの持つ対魔女の剣・<マジックイーター>によって、ミラリアの魔力がその()から、どんどんと吸収されてしまっているのだ。
 セラフィーナは混乱していた。どうして一介の人間にすぎない人間が、姉の……魔女のそれに気づくのか。どこかで、魔女が()()()()()()()()()に違いない、と考えている。
 しかし、それを考えるのはまず目の前の問題を解決してからだ。妹がいくら言っても、頑なにそれを切ろうとしない姉――魔女は一度に多くの力を消耗してしまうと、最悪の場合、死に至る可能性だってある。

「どうしてよっ! そんなに私に信用ないのっ?」
「そう……ではありません。ですが、この程度で……私の、魔力が尽きると思い、ますか……? お茶でも飲めば、大丈夫……です、だから……敵がそこまで……」
「うぅ……姉さんの馬鹿っ! もう知らないからっ!」

 セラフィーナは唇を噛みしめ、部屋を飛び出した。
 あの状態では何も言っても聞かないだろう。

 ――姉の魔力が尽きるまでに敵を殲滅するしかない

 と、セラフィーナはそう覚悟を決め、“操作盤”のスイッチを押して廊下を駆けた。

(姉さんの馬鹿っ! こんな時に位置情報まで送らなくていいのよ……!
 私から送れたら……私の今の気持ちも伝えられるのに……)

 ミラリアは糸を通じ、森から格子門をくぐった兵の数を妹に送っていた。
 これを出来るのはミラリアだけであり、セラフィーナにはできない“魔法”である。

 ――相手の数は五人、うち一人は幼い子供だから見逃してあげて下さい。
 ――王女は、剣の“一つの使い方”を知っただけです。放っておいても自滅しますが、そうなれば王女は……我々も最悪の結末を迎えてしまいますので、無理やりにでも剣を奪い取ってください。
 ――フィーちゃんならきっと出来ます。
 ――それと……ごめんなさい。

 この時ほど、自分の“魔法”の才能の無さを呪った事はなかった。
 姉に『馬鹿』と酷い事を言って出てきてしまった事を悔やみ、『こっちこそ……』と、謝りたかった。
 それが出来ない事が歯がゆい。今でも姉は苦しみ、それに耐えているのに……少しでも元気づけられる言葉の一つでも言えなかった事を悔いている。
 セラフィーナが使う“火”・“木”の“魔法”は、魔女の基礎中の基礎だと言っても過言ではない。逆に言えば、彼女はそれらの基礎しか会得していないのだ。

(“道具”や、<スフィア>に頼りすぎた罰なのかな……?)

 しかし、“魔法道具”開発の腕に関しては、ミラリアですら舌を巻くほどである。
 “魔法”の才がないだけで、その他は姉よりも優れているのだが、当の本人はこれに気づいていないようだ。

(待ってて姉さん……私が、すぐにやっつけるから!)

 更に改良を施した<スフィア>を、ぐっと握り締めた。
 彼女とて、何も準備していなかったわけではない。反対に映るそれは、始祖とも言える旧型の<スフィア>――まだ実験は出来ていないが、これこそが“完成形”だと胸を張って言える一品であった。


 ◆ ◆ ◆


 一方で、格子門を越えたテロールは自信に満ち溢れていた。
 握り締めた剣から伝わる“力”……これが彼女の“恐怖”や“不安”を失わせた。

 ――今の自分は何でもできる

 魔女を斬り殺すだけの剣だと思っていたが、それは全くの思い違いであった。
 剣を握りながら『吸う』と念じれば、そこからみるみる力が流れ込んでくるのだ。
 今の彼女には、“自信”と“慢心”しかない。供回りが少ないのもそのためである。
 流れ込んで来る魔女の力は、まるで“砂糖”をたっぷり入れた紅茶のような甘さであり、それを味わう度に“欲求”が膨れ上がってゆく――。

「皆さんは、西棟にいる“お姉さん”を捕らえて来てください。ああ、貴方も行きなさい」

 テロールは、リュクに目を向けながそう伝えた。
 その目と声音は妙に優しく、『本当に己が仕える王女なのか?』と疑ってしまうほどだ。
 しかし、今に限った事ではない。今朝早くから妙な言動が目立ち、誰もがどこか妙な不安を抱いている。

「え、ええ、ですがテロール様……」
「“これ”がありますので、私は問題ありません」

 そう言うと、テロールは抜き身の<マジックイーター>の刃をチラつかせた。
 太陽の光を反射し、揺らすたびにギラギラと輝きを見せている。

「では、お行きなさい――」

 すっと剣先を城館の扉に向けると、リュクと兵士たちは、顔を強張らせながら駆け足で向かい始めた。
 テロールはニヤりと笑みを浮かべ、建物の中に消えた兵士達の後を追うように、ゆっくりと歩を進めてゆく。
 しかし、ふとそのボロ扉に手を掛けた時――

「あれ……?」

 急にキョロキョロと周囲を見渡したかと思うと、首を傾げながらその扉をくぐった。


 ◆ ◆ ◆


 セラフィーナは、バルコニーにてテロールの到来を待っていた。
 兵士達は姉の区画に向かったが、今の彼女にはそれを止めている余裕はない。せめてもの救いは、兵士の数が少ない事であろう。
 中を伺いながら、恐る恐る足を踏み入れて来たテロールを、彼女はじっと見下ろしている。

「単騎で挑むなんて、中々いい度胸じゃない」
「ひっ……!? あ、貴女はッ……ちょっと、リュクとうちの兵をどこにやったのよ!!」
「はぁ? アンタが私と一騎打ちしたくて、姉さんの棟に行かせたんでしょ?」
「え? あ、あぁ……そ、そうでしたわね!」

 明らかに『そのような覚えはない』と言った表情を浮かべている。
 その様子に、セラフィーナは眉間に皺を寄せながら口を開いた。

「……アンタ、本当は嫌われてるんじゃないの?
 私が言うのもアレだけど、偉ぶらないで、もう少し人と素直に向き合いなさいよ」
「お、大きなお世話ですわっ! さあ、いざ尋常に勝負ッ、ですわ!」

 剣先を向けるテロールに、セラフィーナは、はぁ……と大きなため息を吐いた。

「あのねぇ、私たちの“天敵”を持ってるようなのと、正面から戦うわけないでしょ? ここまで来られたら考えてやってもいいけど――」
「ふふんっ、言質は取りましたわ! 吠え面かいてもしりませんわよっ!」
「ここの階段すら攻略できなかったどころか、鼻血出して『痛いー痛いー』って喚いてたのが良く言うわ。早くしてちょうだい、こっちは急いでいるんだから」
「むぐぐぐっ……ま、まぁ、今は言わせてさしあげますわ。
 何せ、今の私には敵がいない――これがあるのですからっ!」

 テロールはそう言うと、履いているブーツを見せつけるように足を上げた。
 セラフィーナは『古くさいブーツだ』と思ったのもつかの間……彼女の顔色がみるみる変わってゆく。

「あ、あ、あっアンタ何で……何で、<ウィングブーツ>なんて持ってんのよッ!?
 それ、私たちでも欲しくてたまらない一品なのよッ!!」
「ふふふっ、その羨望の言葉が心地よいですわ。
 実は先日、この“剣”の使い方と共に、この“靴”を一緒に使うと良いと献上されましたの。
 “剣”で魔女の力を吸い取り、“靴”に送る――そうすれば身軽に動けるのだ、と!」

 セラフィーナは『身軽と言うレベルじゃない』と叫びたくなった。
 それもそのはず、テロールが履いているブーツは、彼女たち“灰の魔女団”が作り上げた、“魔法道具”――言葉の通り、僅かであるものの地の上を浮き、空中闊歩できる“浮遊靴”なのである。
 それを購入するには、大粒金が一杯に入った金袋を、最低でも三つは並べないといけないような高級品だった。

「さあっ、行きますわよっ!
 使い方は分かりませんが、念じれば何でも――」

 テロールは『浮け!』と頭の中で念じ、背伸びするように己の身体を上に持ち上げた。
 すると一センチ程度ではあるが、彼女の身体がフワリ――と浮き始めたのである。

「わ、わわっ……!」

 恐らく人間では初めてであろう“浮遊”に、彼女は宙でバタバタと手を振っていた。
 しかし、すぐにそのコツを掴んだのか、ユラユラと揺れながらもバランスを取り始めたのである。

「は、ははっ、う、浮きましたわっ! わたくし、空を飛んでいますわ!」
「な、何でよッ! 金持ちはなんでそうなのよッ!」

 セラフィーナは恐れていた。テロールに対してではなく、その<ウィングブーツ>と呼ばれた物にだ。
 城に仕掛けられた罠の殆どが感知式であるため、その靴に浮かれてしまうと発動しなくなってしまうのである。
 壁に埋めた<新スフィア>なら問題はないのだが、それは言わば“魔法”の塊であるため、手にしている<マジックイーター>の剣が“魔法”を吸ってしまう。
 つまり――セラフィーナには、打つ手が殆どないのだった。

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