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1.親と子と

 エスト・ポートの町を離れ、はや五日――。
 ベルグ達は、コッパーの町に繋がる森、ダシアーノの森まで戻って来ていた。
 馬車から覗く森の景色は、一ヶ月程度離れていただけというのに、何年も帰っていないような懐郷の念すら感じている。

(たったの半年なのに、物凄く色んな事があったな……)

 流れゆく景色をぼうっと眺めながら、シェイラはこれまでの事を思い返していた。
 初めてここを訪れた時、先行きの不安と孤独に、胸が押しつぶされそうだった。
 しかし、その時の不安や孤独感はもう無い。今の彼女には、“仲間”と――“大事な人”が居るのだ。

(でも……)

 揺れる馬車の中、チラリ……と、“大事な人”に不安そうな目を向けた。
 “夫”となった、幼い頃を共に過ごした“弟”……狼の顔をした獣人・ベルグは、どうしてか、どんどん顔を険しくしてゆくのだ。
 “怒り”がそこに感じられるため、カートですら触らぬ神ならぬ、触らぬ“断罪者”と……ローズと共に無言で、流れる景色に目を向けていた。

(……何で、こんなに不機嫌なんだろう?)

 エスト・ポートでのあの日の夜、夜明けまで求め合った時は、確かにご機嫌だったはずだ。
 その翌日、“断罪者”の話を聞き、町の者があれこれと相談に集まった時も、カートが対応しため、それほど機嫌は悪くなかった。
 その際、コッパーの町までの路銀も得られたので、ここに来るまで自由も無かったはずだ。
 怒るような要素は、まるで思い当たらない。……にも関わらず、急に顔をしかめ始めたのである。

『――シェイラ。ベルグ殿に、一体何があったのだ……?』

 レオノーラもそれに気付いており、眉をひそめヒソヒソとシェイラに問いかけた。

『わ、私にも分かりません。レオノーラさんは、何か知りませんか?』
『私も分からないのだ……昨晩はあれほど――はっ!?』
『昨晩……?』

 シェイラは平素を保っているが、僅かに左眉をピクりと動かしてしまっていた。
 ベルグは相変わらず、ベタベタに甘えたい時はレオノーラの寝床に行く――。
 もちろん、その時にする事はしたのだが、

『コ、コホン……だが、コッパーの町に何かあるのか?』
『いえ、何も……?』

 理由が分からぬそれに、二人は首を傾げあった。

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 彼女たちの不安は的中し、コッパーの町に着くやいなや、ベルグは怒りを剥き出しにした。
 上唇をせりあげ、牙を剥いた獣――初めて見る獣の真の“怒り”に、シェイラはぐっと息を呑み、ローズは震える手で、思わずカートの服をきゅっと握ってしまう。
 誰もが声を失ってしまうほどの、尋常ならざる怒りを見せる目は、往来のど真ん中にて、腕を組んで仁王立ちしている、色黒の大柄な男に向けられていた。

(スリーライン、一体どうしちゃった――って、あれ?)

 視線の先に居る者に、シェイラは見覚えがあった。……が、喉元にまで出て来ている言葉が出て来ない。
 音と言葉が繋がらない気持ち悪さを感じているシェイラを横に、ベルグは声音を低く唸るように口を開いた。

「一体、何しに来た――」
「何しに、だ――?」

 男は、その言葉にピクリと身体を震わせ、眉間に深くシワを寄せている。
 見かけだけで威圧してくるような者は多く見て来たが、どれもが見掛け倒し――しかし、今回ばかりはカートですら、目の前にいる“本物”に対し、背中に冷たいものを感じていた。
 その大男の顔がゆがみ始め、メキメキを音を立てながら頭をゆっくり、大きく回すと――

「誰に向かって、そんな口聞いてんだグルァッ!」

 ベルグと同じ獣の顔――黒毛に覆われた狼の頭となったそれに、レオノーラもローズも言葉を失ってしまう。
 皆が呆然と立ち尽くしている傍らで、二匹の狼は睨み合っている。
 筋肉が隆々と浮かび、牙と闘志をむき出しにするそれは、まるで闘犬のような威圧感を見せていた。

「あ゛ッ、思い出したッ! ぶ、ブラッキーオジさん!?」
「ぶ、ブラック・ブラッド様ッ!?」

 シェイラとレオノーラが、ほぼ同時に声をあげた。

「む――おお、おおッ! そこにいるのは、シェイラちゃんかッ!」
 それに、バルディアの……レオノーラちゃんもいたか!」

 “恩人の娘”と“息子の許嫁”に気づくと、その表情をコロリと変えた。
 目じりを下げるだけ下げて、ワフワフと口を鳴らすその姿は記憶のまま……ベルグの父親の姿だったのめある。

 《ワーウルフ》の群れを率いる長であり、元・“断罪者”――。
 レオノーラとローズは、ここに赴任する前に一度会っていたのだが、人間姿のそれを見た事ないので気づかなかったようだ。
 初めて会った時も威圧感があったが、闘争心を剥き出したその姿は、レオノーラですら直視する事が難しいほどである。
 ……が、それと対峙する者は何も動じていない。

「口を開くな、糞ジジイ」
「んだとッ、このボケ息子がッ!」

 シェイラの村を奪還し終えた、ベルグの父〔ブラック・ブラッド〕は、息子が“審理者”を倒した事と同時に、ある情報を聞き、ここコッパーの町へ駆けつけたのだ。

「……貴様、“恩人”の娘さんに手出したどころか、キズモノにまでしたそうだなッ!!
 何したか分かってんのかッ、このボンクラァッ!!」
「お、オジさんッ、それは――」
「分かってるよ。だこら、シェイラも嫁にする」
「そうじゃねぇだろうが、大馬鹿野郎ッ!
 よりにもよって何で、シェイラちゃんなんだ! あの子にだって他に――」
「わ、私はスリーラインとが良いんですっ!」
「……え、マジで? 何かイケない薬か魔法でもかけられた?」

 感情の起伏が激しいのか、表情をコロコロと変えるベルグの父。
 口をあんぐりと開き、唖然とした表情でシェイラを見ている。
 そして、その頬を赤く染めながら、シェイラは続けて口を開いた。

「ま、魔法のようなものです……。“愛”と言う名の……」

 昔読んだ、小説の言葉の一節であった――。
 それを聞いた獣二匹は、真顔になってシェイラを見ている。

「――な、何よっ!?」

 恥も加わり、シェイラはその顔を更に赤く染めてしまった。
 犬二匹だけでなく、その場に居た全員も似たような表情を浮かべている。
 ビュウ……と冷たい風が、これまでの一触即発の空気を吹き飛ばし、興も一気に冷めてしまったようだ。

「ふん……積もる話は後だ。各々やるべき事があるからな」
「今回ばかりは、親父の言葉に従おう――」
「何なのよっ!? 何でそこで、二人とも素に戻るのよっ!?」

 せめて何か突っ込んでよ! と心からの叫びをあげるシェイラを後に、皆が無言で集い場――宿屋の食堂にへと足を運んでいた。

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 食堂では、長旅を終えたシェイラ達を(ねぎら)うため、女将が出来る限りのご馳走を用意して待っていてくれた。
 誰もがその所せましと並ぶ料理に目を見開いたが、それ以上に

「お、オヤジッ!?」
「お父上ッ!?」
「な、何でここにいるの!?」

 恰幅が良く、その腹にはイチモツを抱えたような中年男――カートの父親。
 ガッチリとした体躯の、気難しさがにじみ出たような顔をした、レオノーラとローズの父親がそこで控えていた。
 レオノーラ達が驚いているが、カートはそれ以上の驚きを見せる。
 カートの父親は、このような場所に来るような酔狂さは持ち得ていないからだ。

「な、何でこんな事に来てんだ?」
「そのお嬢ちゃんの村――ルガリー村に、“ワルツ”の残党が集まってると聞いてな。
 《ワーウルフ》のリーダーがそいつらを()()ってんで、
 ウチも兵隊連れて行ったら……そこで、この御仁と会ったんだよ」
「ルガリーの村……!? そ、それで村はっ、どうなったんですか!?」
「《ワーウルフ》の群れだけで制圧していたよ。
 我々が到着した時には、死体の玉座で居眠りしていた……流石の私も、恐ろしい何かを感じたよ」
「地獄絵図とはまさにあの事だ――カート、オメェ絶対に奴らを敵に回すんじゃねぇぞ?」
「どういう事だ……?」

 それぞれの親は、宿屋の入口にいる《ワーウルフ》親子に畏怖の目を向けた。

「――このバカがッ!!」
「うるさいクソ親父!!」

 狼の額を擦り付け、掴み合う犬二匹――。
 互いの方向性が合わぬせいで、顔を合わせる度に殴り合いの喧嘩をしている、と言っても過言ではないほどの親子関係であった。
 始めは“断罪者”のルールゆえに、父親を殴れなかったベルグであるが、今はそれを回避する術を知っている。

「テメェは、さっさと“長”の座に就けッ!!」
「なら、さっさとくたばれッ!」

 “断罪者”として各地を巡る旅を始めた頃は、ベルグは群れの若き“リーダー”であった。
 新たな“リーダー”は、粗削りながらもしっかりと勤めていた。
 だが、それにどこか納得がいかない父親だけ、伝統や習わしがとアレコレ口を出して来たのである。
 ベルグは、第三者の勝手な口出しを嫌う。ある日、それでブチギレた彼は、父親を殴りつけ――“裁きの間”に連行され罰を受けてしまったのだ。
 その時、“断罪者のルール外”でぶん殴れる方法を編み出したのである。

 宿屋の入口では、どちらが先に手を出したのか……ついに、“リーダー争い”と言う名目の、親子喧嘩がついに勃発した。
 父親の右拳が、ベルグの左顎を捉えたかと思えば、お返しにと言わんばかりに右フックを返す――。

「ち、ちょっと――」

 両手を前に出し、制止を促すポーズをとるシェイラであるが、二人の獣の目には映っていない。
 血を飛び散らせる親子に、シェイラはどうしていいのかと、ただオロオロとするばかりであった。

「まぁ……放っておいても良いんじゃない?」
「そう言えば、ブラック・ブラッド様へ挨拶に赴いた際、奥方が『親子喧嘩が始まったら放っておくように』と言っていたが……」
「お姉ちゃんと、お父さんの喧嘩も壮絶だったけど……この親子も大概ね……」
「あ、あれはだなっ――」

 レオノーラも、父親と真剣を抜き合うまでの大喧嘩をした事があった。
 虫の居所が悪い時に、結婚についてネチネチと言われたためであるが、その時は娘のレオノーラの圧勝で終わったようだ。
 その父・オートンは、ばつが悪そうな顔でチビりとエール酒を口にしている。
 また。カートとその父親は、喧嘩らしい喧嘩をした事がなかった。
 幼い頃は、“ワルの筆頭”と憧れており、反抗する理由も無かったためだ。
 あると言えば、己の“道”に反する――と父親の行いに、反骨心を抱いていた程度である。

「オヤジ……。いつか言おうと思っていたんだが――」
「口に出す必要はねぇよ。思ってる事があるなら行動で示せ、行動で。
 おしめをしたガキじゃあるめぇし、いつまでもロクデナシの顔を窺う必要もねぇ。
 俺の首取れんのは、テメェだけだからよ――」

 カートは両膝に手をやって、深く頭を下げた。
 悪党の親子は黙ったままであるが、敵と敵となる、親と子の別れが行われていた。

「ま、今回のルガリー奪還で、ヘマやった奴らが多くいるからよ――。
 テメェに懐いてた奴らだから拾ってやれ。何をするにも、兵隊はいるだろ?」
「ああ……」

 カートの父親は、いつか“組織”を奪い、破壊するのは己の息子だと思っている。
 必要であるならば、息子の歩む“道”の障害物となり、首を掻かれる覚悟も持ち得ていた。

 もう一方の親子の争いにも、そろそろ決着がつきそうであった。
 父親の右ストレートを掻い潜り、ベルグはその右のこぶしを鳩尾(みぞおち)へと叩き込む。
 ガハッと口を開いた父親に、ベルグは間髪入れず、前のめりになって突き出された頭に左フックを入れた。
 ヨタヨタと二、三歩よろめいた父親に――

「ウルァッ――!!」

 大きく踏み込んだ、ベルグの右ストレートが父親の左顎をまともにとらえ、その巨体を吹き飛ばした。
 雑貨屋の商品棚に倒れ込み、ガラガラと商品が降り落ちた父親の身体は、起き上がれなくなっている。
 ベルグは、『旅に出ている間、群れに“長”不在なのはいけない』と、その座を父親に返上する事を思いついた。
 獣の掟である“リーダー争い”は、“断罪者の制約”が適用されない――これによって、“長”に復帰した父親をブン殴れるようになったのである。

「まぁ、今回も()()()()だな――」

 勝利宣言すると、名実共に“長”の座を得てしまうため、決して勝利の雄叫びはあげない。
 ――なので、ベルグは全戦全勝であるが、記録上では一度も勝った事がない事になっている。

しおり