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9.獣であれ

 町が茜色から藍色に染まった頃、宿屋に戻ってきたローズ達は、マッサージ師の女から聞いた話を伝えたのだが、ベルグは返事をしない。
 ただ両耳を引き、横に広げたまま()()()を連発するだけだった。

「ちょっと! 返事くらいしなさいよ!」
「これ、拒否反応なんです……」

 ベルグの仕草を解読できるのは、シェイラしかいない。
 興味がなく、ストレスを溜めている――つまり『嫌だ』と示している。
 ローズが持ってきた話は『マッサージ師の女の旦那が浮気しているかもしれない。していたら、その女と男を罰して欲しい』と言う依頼であった。
 流石に身勝手な依頼であるため、ローズもどうしたものかと考え、とりあえず話だけでもと持ってくれば、当の“断罪者”はこの態度だ。

「ぐ、ぬぬぬぬッ――」
「スリーラインもそんな態度取らずに、ちゃんと返事しなさいッ!」
「えー……猫が(また)いで行くような魚を、犬が食うはずがないし……」

 この手の依頼が一番嫌いだ、とベルグは駄々っ子のように言う。
 “天秤”のせいで離婚調停を頼まれたり、痴話げんかのどちらが悪いかを(はか)る、悪い方をお仕置きしてくれる存在、のように思われている事も多く、辟易しているのだ。
 何が“罪”であるかを説くが、何でも“罰する”わけではないらしい。

「まぁ確かにアタシだって、こんなの受けるワケないって思ったけどさ。
 もしかしたら、ってのがあるじゃないの! “断罪者”とかの、これまでを知らないんだし!」
「むぅ……。最初はちゃんとやっていたのだが……人間の“欲”とは底なしなのだ。
 善意を見せただけであるのに、そこから『やって当然』になる者が多くてな……」
「“タブレット”で軽く見たが……こりゃ、女も悪いな。
 女が独占しようとして、鬱陶しくなった男が鞍替えしただけじゃねェか――」

 心底嫌そうな顔をするベルグに、カートは“タブレット”を見ながら助け舟を出した。

「だろう? 多くの者が正しき声をあげぬ。
 己を正しく見せかけ、相手を悪者に仕立てあげようとする事が多いのだ。
 ワニはそんな心臓を好んで食うらしいが、犬はこんなの食わん」
「なぁんだ……って、そんなこと出来るなら、その場でしなさいよ!」
「言ったら『構ってくれないから』とか、延々と言い訳おっ始めるだろ、この手の女は」
「うっ……」

 思わぬ方向から飛んできた言葉が、シェイラの耳に突き刺さった――。
 言葉を鵜呑みにし、真相を聞くまで『これは男が悪いよね』と女の味方をしていたのもあって、()()が悪い。

(もしかしたら……私にも原因があるのかな……)

 求められないのは、どこか“弟”に依存し過ぎていたのかもしれない――。
 思い当たる節も多く、考えれば考えるほど、シェイラの不安が増してゆく。

「……ま、アタシが突き返してくるわ」

 依頼に関しては、ローズが諭しに行くこととなり、この件は片付いたようだ。
 ――しかし、シェイラの鬱々とした気持ちは晴れぬまま、自室に戻ってからというもの、意味もなく部屋のあちこちを動き回り、椅子にベッドにと腰を落としては、深いため息を吐く。
 陰鬱とした気持ちの時は、考えが悪い方へと行きがちであり、シェイラは原因究明という名の自己嫌悪に陥っていた。

(実際に会って、話ができたら良いんだけど……)

 このままでは埒があかない、と思っていた時であった。
 突然、コンコン――と扉がノックされ、頭を悩ませる原因となった者が顔を覗かせた。

「シェイラ、いいか?」
「う、うん……いいと言うか、もう入って来てるじゃない」

 親しき中にも礼儀あり――と言うものの、最近のベルグは、無遠慮にシェイラの部屋に入って来る。
 だが、その理由もシェイラにはよく分かる。ピクピクと動く獣の耳は、甘えたくてしょうがない様子であった。
 その証拠に、部屋に入るなり前置きもなく肩を寄せては、腰を掛けたベッドを軋ませ、傾けた頭をシェイラに擦りつけている。

「も、もうっ……」

 シェイラは抗議の声をあげるが、その手は素直にベルグの頭に伸びていた。
 てっぺんを指先でワシャワシャと掻くと、気持ちよさそうに目を細めるベルグ――。
 昔と変わらない“弟”のその姿に、シェイラも嬉しく気持ちが晴れやかになってゆく。

「う、うーん……」
「む? どうしたのだ?」
「え、いや……その、このままでいいのかなって……」
「このまま?」
「うん……そのね――」

 現状でも十分満足しているが、そこにある一抹の不安――。
 真っ白な布に落ちた一滴の(すみ)が、じわりと広まって行くような心情を言葉に乗せ、ベルグの耳に届けていた。
 溜まっている物を吐き出すシェイラに、ベルグは思わずキュゥゥ……と喉を鳴らした。
 それを見たシェイラは、慌てて取り繕い始めた。

「べ、別に、(いや)って事は無いから――」
「…………のだ」
「へ?」
「怖いのだ……」
「こ、怖い……私が?」
「いや、俺自身が、だ……シェイラにハマって我を失いかねないのだ……」

 ベルグ自身も抑えていた言葉を、ポツリポツリと吐き出し始めた。
 シェイラを抱くのは嫌ではなく、むしろその温もりを毎日感じたいほどである。
 だが、そうなると肉欲に溺れかねない。そんな自分が恐ろしくなったのだ。

「蛙の子は蛙、とは言うが……。
 アレを反面教師にしてきたが、結局は同じ血が流れているのかと思うとな……」
「もしかして……スリーラインのオジさん?」

 シェイラはあまり記憶にないが、それのどれを思い返してもその妻……ベルグの母親と、ベッタリとイチャついてるシーンばかりであった。
 ベルグにとっては、そんな()()()()両親が好きであり、嫌いでもあったのだ。

「昔から俺を放っぽりだして、家に居れば四六時中ベタベタ、ベタベタ――。
 ああはなるまい、と思っていたのだが……悔しいかな、僅かながらにでも、今それが理解できてしまう自分が嫌になってしまうんだ……」
「え……えぇ!?」
「だからその、なんだ……別にシェイラが嫌だとか、そんなのではないのだ」

 興味がないのではない、逆に愛しすぎていたために、“弟”は甘えることで自分を抑えていただけであったのだ。
 それを聞いたシェイラは、頬を赤く染めながら『なんだ……』と安堵の表情を浮かべている。
 それに対し、ベルグは『不安にさせてすまない』とガックリと肩と頭を落としてうなだれた。

「もう……悩む必要ない事でずっと悩んでいたとか、二人とも馬鹿みたいじゃない!」
「うむぅ……」

 そんな“弟”が……“夫”が愛おしくて堪らなくなり、毛むくじゃらの身体をぎゅっと抱きしめた。

「今が幸せだ、って言ったじゃない……」
「シェイラ――」

 ギシッとベッドが短く軋ませた、どちらからともなくベッドの上に横たわった。
 首輪を解かれた獣はもう抑えられず、頭の下にある“女”の唇を貪る――。
 今日だけは人であって欲しいと願うが、獣の信ずる神であれど、そんな都合の良い願いを聞き入れぬ。
 むしろ、獣の愛を受ける“女”が、“獣であれ”と望んでいる。

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