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9.マリオネット

 元から回避するのが上手いシェイラにとって、大振りしかできない石像の大剣など、取るに足らないものであった。
 最初は慎重に相手の動きを見ていたのものの、規則正しいパターン通りに動いていると分かるやいなや、大胆な攻撃まで仕掛けるようになっている。

「やぁッ!!」

 石像の大剣が縦に振かれ、ガンッと石畳を叩きつけた。
 その隙に、シェイラはさっと右に回り込み、石像の手首に槍を叩きつける――。
 二メートルを越えるのっぽな身体に大きな剣、これだけ見れば威圧感があるのだが、そのせいで石像は剣を横に振る事が出来ず、“突く”か“唐竹割り”で上から振り下ろすしか手がないのだ。
 細めの通路に、この大きな石像は明らかに配置ミスであろう。
 シェイラ一人でも問題無いと判断した、《サキュバス》は途中から見学して(サボって)いた。

(レオノーラさんの剣の方が、よっぽど変則的ね――)

 変則的と言うより、変態的か……と、シェイラは考え直した。
 彼女はロングソードを軽々と扱い、その太刀筋はうねる触手のような動きをする。
 訓練中は『反撃してこいッ』と何度も叱られるのだが、反撃どころか回避すらままならない時の方が多い。それに比べれば、この石像は剣を一度手前に構え直し、大振りで攻撃をするだけの人形だろう。

(防具が無いのは不安だったけど、これが相手なら防具無しでも問題さそう。
 でも、グローブぐらいは欲しいかも……手、ものすごくビリビリする……)

 防具らしい防具なぞ何一つ付けておらず、見た目通り真っ裸だった。
 当然、手袋なんかも無いため、石を殴った手の痺れの方が強烈に感じてしまう。
 感覚が無くなって来たのをぐっと堪え、亜麻色の癖髪をなびかせながら、石像の手首に何度も叩きつけてゆく。攻撃を重ねてゆく内に、その線が濃く深くなってゆくのが分かった。

「――これでッ、終わりよッ!!」

 槍の柄で強く叩きつけられたそれは、パキパキと音を立て始め……ついにゴトリと石畳の上に落としたのである。
 攻撃の()を失ったそれは、もう恐れる物ではない。手首を失ってもなお、同じ攻撃を繰りだそうとする石像に憐れさを感じながら、“脱獄者”はただ一方的に“破壊”を行うだけだった。

 ・
 ・
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 完全に機能停止したそれを見下ろしながら、裸の女たちは首を傾げた。

「――これが、“裁きを下す者”が恐れる存在なの?」
「う、うーん……今回は調子悪かったのか、ただの配置ミスかも?」

 もしこれが、廊下ではなく広い空間であれば、その結果はどうなっていたか分からないだろう。だが、“間”を守るべき存在にも関わらず、“脱獄者(シェイラ)”一人の手によって撃破された事は、揺るぎない“事実”だった。
 あまりに手ごたえの無さに、彼女はどこか罪悪感すら覚えてしまうものの、今はそれに浸っている余裕もない。大きな物音をたててしまったため、彼女たちは急ぎ足で、先の石扉を開くと――

「ここが“裁きの間”で、正面突き当りの扉から出られるはず」
「確かに“裁判所”っぽいけど……他に何も無いせいか、中央の処刑台がただ不気味ね」

 《サキュバス》の言葉通り、そこは重く暗い闇の中に、高い台座が中央を囲うように並ぶだけの“間”であった。ポツンと佇んでいる処刑台が、一層不気味に見せている。
 連行時は気にならなかったのだが、ガランとした巨大な“間”が恐怖を煽り、シェイラの胃から何かまで縮まってしまっていた。

「……何だか寒くない? 氷の中にいるみたいな感じがするんだけど……」
「“恐怖”の寒さね。こんな所に連行され、“処刑”されるとか、悪魔でもゾっとするわ。
 輪廻も出来ない、完全なる“死”の雰囲気すら感じられるし……」
「《ドッペルゲンガー》も……あそこで“死んだ”のかな?」

 もしあれが《ドッペルゲンガー》でなかったら、恥も外見も無く泣き叫んでしまっていただろう……と、シェイラは思ってしまっていた。

「そうじゃない? 果てた痕跡もあるし、また迷宮の奥深くに還ったか、あるいはだけど……」

 シェイラにはよく分からなかったが、悪魔族なら死んだかどうかぐらいは分かるようだ。
 それを聞き、彼女は初めて深い息を吐いた。これで、自分に与えられた役目も、苦しめて来た男への復讐も全て終えた――。
 そう思うと同時に、身体の奥底から何かこみ上げてくるものがあった。

「……ぅぅ……」
「泣くのはまだよ。冒険は帰るまでが、出口をくぐるまで分からないんだから。
 魔物でも、帰還中の気を抜いた所を狙って襲えってあるぐらいなのよ」
「うぅ、うん……」

 二人が出口に足を向けたその時である――。
 どこからか『その通り……』との声が、“間”全体に響き渡った。

「だ、誰――ッ!?」

{私はこの“間”にて“裁きを下す者”――まぁ、“執行人”とでも言っておこう}
{さて……()()()シェイラ・トラルよ、汝は大きな罪を犯した事は理解しているな?}

「で、ですが……」
「もう“シェイラ・トラル”を処刑し、刑の執行は済んだんでしょッ!」

 《サキュバス》は語気を強めて、シェイラを弁護した。
 もし別人だと認めれば、お前たちも同じ罪に問われる事になるぞ、と相手を咎める。
 自分も協力している手前、最後の最後で計画が失敗するなんて事は許さない、と言うのが表向きである。人間の”友”を、こんな事で失いたくない、のが本音だった。

{――確かに、汝への刑の執行は既に終えている}
{しかし、汝はどこかで気づいているはずだ}
{探せばまだ道があったかもしれぬと言うのに、後先考えぬ“選択”の“結果”を――}
{この罪はタダで赦される物ではない、生きている内に償わねばならぬ物だ、と}

 決して勘違いはせぬように――執行人の言葉通りである。
 “スケープ・ゴート”に罪を着せたとしても、本人の汚れた手が拭われる事はない。
 それは罰を受けたからと言えど、“過去”と“事実”はずっと付きまとうだろう。

「……分かっています……いつか、その罰と贖罪の日が来る事も……」

 シェイラ自身も、どこかでそれは実感していた。
 しかし、いざ口に出されると、責任の重大さをまざまざと感じてしまう。
 俯いた顔は、自身の手の平をじっと見つめている。

{よろしい……では、このネームプレートを持ってゆくがいい}
{それは汝の罪の証明。いずれ請求される時が来るであろう}

 コロン……と、シェイラの足元に転がったのは、牢屋に差しこまれていたプレートであった。
 小さな長方形のそれには、〔シェイラ・トラル〕と黒く深く刻まれている。

{しかし、それにはもうしばらく時間が必要だ――あれは人を選ぶのでな}
{その時が来れば、再びここの鍵を開こう}
{命ある者はいつか死ぬが、どこかで生前の裁きを受ねばならぬ}

 “間”に響く声はそう告げると、そこに再び重い静寂が戻ってきた。

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