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禅雁という人物

「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言ったのは、確か甲斐の国僧侶だったはず。

 ところがどっこい、この僧侶、煩悩を取ってしまえば何も残らないのではと思うほどに、煩悩の塊である。
 名を|禅雁《ぜんがん》という。
 元々、僧侶になりたくてなったわけではなく、親や檀家も禅雁を僧侶にするつもりはなかった。何故なったのかすら、皆疑問を覚えている。

 禅雁の好物は肉で、AVは一日一本必ず見ている。博打大好きで、暇があれば雀荘に袈裟を着たまま出没することもあるくらいだ。
「……煙草もだいぶ高くなりましたねぇ」
 しみじみ呟く禅雁を、兄嫁が醒めた目で見ていた。
 昔はもっと安かった。


 煩悩まみれで生きること、既に四十年ちょっと。歳を追うごとに強くなる煩悩に、父親はとうとう匙を投げた。
 仏教関係の大学に行ったのは、偏差値などの考慮と寺以外に就職するためだった。

 一応大学で|得度《とくど》したあと、一般企業に就職。夜は雀荘に行く生活を続けること数年。上司と喧嘩して、禅雁は解雇された。いや、雀荘で女性店員にセクハラしようとしていた男を放り出したら、それがたまたま上司だっただけだ。しかも出世コース間違い無しの。そのあとその上司といくつかぶつかり合い、全て禅雁に非がなかったにも関わらず、解雇になった。
 雀荘通いが不味かったらしい。

 そのことを重く見た父親が、修行すれば煩悩を抑えられるかもと一縷の望みをかけて放り込んだのだ。
 一応、それなりに抑制していたはず……である。
 修行から戻って、酷くなったが。


 それを繰り返すこと数回。気付いたら兄と一緒に寺を守っている。
「兄さん、私もそろそろ寺を出たいんですがねぇ」
「あ~の~な~。お前がっ! 親父の持ってきた見合いを! 雀荘行ってボイコットしたのが悪いんだろうがっ!!」
「そんなこと言われましても、私だって一応は早く帰ってくる予定だったんですよ?」
 雀荘の管理人が絡んでこなかったら。
 勝ち続けた禅雁にイラついた管理人が、元締めまで呼んで禅雁を身包み剥がそうとした。禅雁が上手だっただけで。
 禅雁に「負けない」麻雀を教えたのは、この元締めのそのまた上の人だったりする。……うん。禅雁は悪くないはずだ。その元締めが、「知り合い」にみっちりと絞られるのを脇目に、昔通った雀荘の常連と「楽しく」麻雀をしていたら、見合いを忘れてしまったというオチである。

 父親の雷は凄く、勘当されそうになったのを兄と何故かその場に居合わせた檀家の一人が取り成してくれた。
 それ以来、父親は「しっかりした嫁さんがいない限り家を出せない。ご先祖様にもお釈迦様にも、檀家の方々にも申し訳なさ過ぎる」という決心の元、女性を捜すが、誰一人こんな負債物件に乗ってくるやつなどいなかった。
 そして、歳とともに溢れる性欲を風俗で片付けようとして全員に咎められ、AVをおかずに毎日戦っているのだ。

「……叔父さんのお嫁さんになってくれる人って、よほど徳の高い人か物好きな人だよね」
 そうこきおろしたのは、甥っ子と姪っ子だ。二人揃って仏教系列の大学に進んでいる。しかも甥っ子は禅雁の後輩になっていたりする。
「入学してさ、『お前|あの《、、》禅雁の甥っ子? 問題起こさないでくれよ』って教授に泣いて言われた瞬間、ものすっごく恥ずかしかったよ」
「それはすみませんねぇ。そいつは教授じゃありませんよ。私と同期です」
 名前を聞いた禅雁は思わずそう言ったものの、甥っ子は呆れていた。
「いまや教授だからね、叔父さん」
「なんとも世知辛い世の中です」
 その瞬間、兄に思いっきり頭を叩かれた。

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