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7.無人の訓練場

 誰しも決して譲れぬ物を持っており、このシェイラも例外ではなかった。
 カートが作っていたスープの味を見たシェイラの目つきが代わり、先ほどまでの気の弱い姿とは真逆の姿を見せている。

「何ですか、この味はッ!」
「食えりゃ良いんだよこんなのは!」
「食えりゃ、じゃないです!
 これでは食材の良さが全く出せていません!」
「うむ、()()とはそもそも――」
「スリーラインは黙ってなさいッ!」

 ベルグの耳は垂れ下がり、硬く閉ざした口から『ブフッ』と口を鳴らした。
 これは、叱られた時に見せる“拗ね”の反応であり、それを知るシェイラはギロッと横目で一睨みすると、ベルグは目を伏せてションボリとした反応を見せる。

 訓練場にやって来る前、料理から家事全般は全て彼女が担っていた。
 幼い頃は、それなりに不自由のない生活を送っていたが、今では明日の食事すら分からないような身である。
 僅かな食材を、全て無駄なく使い切る――これが身体に染みついてしまっており、他人が食材を無駄にしているのを見ると、相手が誰であろうと我慢できず口を出してしまうのだ。
 鬼気迫る表情のシェイラに、カートは仰け反り気味で『わかった、わかった』と返すしかなった。

「ったく、どうして女ってのは――」
「あっはっは、厨房は女の戦場、食卓は舞踏会だからねっ」
「女将さん、最近生ごみ多いですよ! 野菜には、捨てる部分なんて全く――」
「ああ、はいはい……」

 シェイラが作る料理は、町の者には評判がよい。
 この閑散とした食堂が埋まる時もあるのだが、ひとたび厨房を任せれば、カートが女将と差し替わってしまうため、女将も滅多に厨房を任せられないのである。

(料理は上手だし、いいお嫁さんになれそうなんだけどね……)

 女将は常々そう考えている。それを証明するかのように、シェイラの手直しが入ったスープは、ベルグとカートが『美味い』と唸るほどだった。
 ベルグに関しては貪る――と表現した方が正しいほど、玉ねぎ抜きの別注スープをはぐはぐと食べている。ただ単に腹が減っていただけで、細かい味はあまり分かっていないが。
 ベルグの見た目はもう立派な大人であるものの、その食べ方はシェイラにある思い出と何一つ変わっておらず、その懐かしさに優しい笑みをこぼしていた。

「冒険者より、料理人の方が向いてんじゃねェか?」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。シェイラちゃんは食材を無駄にしないケ……徹底したコストカットに励んでいるんだし、いつ嫁に出してもおかしくない程の器量良しなんだ。絶対に繁盛するよっ!」
「お、お嫁さんだなんて、そんな……」

 顔を赤くしてモジモジとするシェイラであったが、遠回しに『冒険者を諦めろ』と言われている事に気が付いていない。
 目の前にいる“弟”に『お嫁さんになってあげる』とよく言っていたな……と思い出すだけである。
 シェイラは、この中では最年長となる、二十四歳――。これから、冒険者になって借金返済のために自分を犠牲にし続ければ、結婚なんて夢のまた夢となってしまう。
 花の時間は短い。女将はそれを最も危惧していたのだ。

(以外にも、この中で一番若いのは“断罪者”様なんだよねぇ……)

 女将には、それが意外であった。
 カートは二歳下の二十二歳、ベルグに関しては四歳下の二十歳と、この中では最年少なのである。
 シェイラはこれに気付いていない。それどころか、自分の年を分かっているのかすら危うい状態だった。

「そう言えば、事務を務めていた職員も出て行くのだろう?」
「耳が早いねぇ……新入生もアンタ達しかいないし、最悪は訓練場の閉鎖――。
 どうにかしてもらわなきゃ、教官の補充だけじゃ済まなくなるよ」
「え、え……?」

 この会話は、シェイラにとって寝耳に水であった。

(剣術指南の教官が来れば、解決するんじゃ?)

 と、ばかり思っていたのである。
 “解放”の機会を窺っていた職員にとって、この“吉報(ケヴィンの死)”は、またとないチャンスだろう。
 職員のいない訓練場は閉鎖される。これは、シェイラにとって由々しき問題だった。
 別の訓練場に移ればいいだけの二人とは違い、彼女はもう行く場所が無いのである。
 この問題の原因でもあるベルグは、腕を組んで神妙な面持ちで思案に耽っていた。

「うーむ、職員の問題が大きいな……。
 ギルドの仕事などは受けられれば、名声はすぐに回復できるであろうが……」
「冒険者や迷宮、受注所や依頼者、もいねェのにどうやって受けるんだよ。
 それに、冒険者の資格、“認定証”を持ってなきゃ、色々面倒臭ェぞ。
 国は仕事しねェくせに、モグリの処罰だけは徹底してやがるし――
 結局は、訓練場のそれが必要になるんだ」
「うぅむ……教官、教官か……む?」

 コッパーの訓練場を救うには、まず“教官”と“訓練生”の確保――そこから、汚名の払拭をせねばならない。
 新たに生まれ変わった事をアピールし、その卒業生が実績を残せばその名が高まり、再びそこに人を呼び戻す事が出来る。

「半端な悪評を残したまま再編すっより、デフォルトして立て直した方が効率がいいんだがな……。置物でも何でも、“頭”となる奴が必要になるか――」

 カートは、何か良案がないかと思案に耽っている。
 一度ゼロになったそれは、逆に大きく跳ね上がるチャンスでもある。しかし、どのような手段を取るにせよ、()()()の殻となった訓練場に、教官が必要となるようだ。
 それを聞いたシェイラは、ぎゅっ……と両手を握り締め、意を決したようにゆっくりと口を開いた。

「わ、私が……」
「ん? どうしたんだいシェイラちゃん」
「わ、私が職員になるっ!」
「な、何言ってんだお前!?
 そんなの、一日や二日でなれるモンじゃねェぞ!」
「そうだよっ! シェイラちゃんは、借金を返すために冒険者になるんだろうっ?
 それに、職員なんかになったら……」

 厳しい試験と、冒険者となる夢を捨てなければならない――。
 女将にはその言葉が言えなかった。特に後者に関しては、これまでやって来たこと全てを捨てる事となってしまうからだ。

「だ、だって……だって、このままいても私も、卒業できないし……。
 女将さんや、町のみんないい人だもん……。
 訓練場を閉鎖して、みんなを辛い目に逢わせたくないよ……」

 町の者に同じ思いをさせたくない、その想いから、自らの“犠牲”を申し出たのだった。
 借金は働いて、有名になって頑張ったらきっと返せるから――と。
 甘すぎる考えであるのは重々承知している。しかし、誰かがやらねば皆が苦しむ事になってしまう。
 その健気さに女将は心打たれ、沸き起こる涙を堪えた。
 しかし、一名に関しては――

(んむ? 誰かが職員になるのか?)

 ベルグは、全く話を聞いていなかった。
 木箱の中にあった手紙に、何やら職員についての記述があったのを思い出し、それを思い出そうとしていたのだ。

(あれは、ケヴィンと名乗る男の事ではなかった――)

 はて、何だったか……と、部屋に戻って再確認しようと思った時であった。
 一匹のリュックを背負った黒犬が、食堂の入口で『ワンッ』と吠えた。

「ぐす……あら、木箱を持って来た子だよ」
「む? おおっ、“黒犬の宅配便”ではないか!」

 ベルグが歩み寄ると、犬同士でウォウウォウ唸り合い始めた。
 手紙を持って来たらしい。それと入れ替えるように、リュックの中た小金貨を数枚入れると、黒犬はひと吠えし、すぐにそこを去って行く――。
 誰もがその緊張感のない、異様な光景に眉を中央に寄せていた。

「むぅ……あれほど、“字”を書ける者に書かせろ、と言ってあるのに――」
「な、何だ? 何語だこれ……ワンワン書いてるだけじゃねェか」
「その文字のやり取り、まだやってたんだ……?」

 シェイラは少しだけ知っていた。
 《ワーウルフ》は、字の読み書き出来る者が限られている。
 大半が口頭で伝えるのだが、書物に残す際は吠え・唸るのを、()()()()()()がそのまま紙上に反映しているのだ。
 大体の者が“書き残せた”気になっているため、記憶が薄れた頃に読むと、何が書いてあるのか全く分からない事が多いのである。

「読める所だけ読むと……『新たに職員と、る者を送る』……?
 えぇっと『その者は……前の――』これ以上は読めんな」
「お前の種族も、良く人間界で暮らせるな……」

 《ワーウルフ》は人に化け、人間の村や町に紛れ込んで生活している者も多い。
 その実態を知ったカートは呆れていたが、新たに職員が送られて来る事が分かり、皆が安堵の表情を浮かべている。
 だがベルグの表情を渋く、じっと《ワーウルフ》の長――父からの手紙に目を落としたままであった。

(あのクソ親父が、こう短期間に二通も便りを送るなぞありえん……。
 これに、何かとんでもない事が書かれている気がしてならん。
 しかし、読める部分だけでも読んでも……一体何のことだ?)

 新たに読めたのは、【そ・姉妹の、姉が・前の・・・ある】との文字だけ。
 手紙を横に向け、裏を向け、光に透かしてもその意味が全く分からなかった。

(まぁ、近々新たな姉妹の職員がやって来る。とかであろう)

 どうして《ワーウルフ》が、訓練場の職員を送り込んだのか?
 そこまでは考えず、ベルグは軽く胸に留めておくだけであった。

しおり