「もうすぐ会えるね」
耳に当てた携帯型通信端末越しに、少女の弾んだ声が聞こえる。
湊(みなと)カイは、大きな一軒家の自分の部屋がある二階の窓から、人工の星空を見ながら頷いた。
ここは海深くに作られた海中都市Marinea(マリネア)。
地球温暖化による水位上昇や天変地異の影響により、地上の大部分は人間が住めなくなり、人類の多くは海底に都市を建設した。
地上や宇宙は、ほんの一部の特権階級が住まい、多くの人類は太陽や星を自由に見ることもできなくなり、風を感じることさえ叶わなくなった。
この頃の海底に住まう人達の夢と言えば、大抵は地上に行って自然に触れたいというものだった。一般の人々が、海上に出ることさえ稀だった。
高校三年生のカイや、彼と通話中の潮凪星玲奈(しおなぎせれな)も、星空や自然に憧れを抱いていた。
デートではプラネタリウムに何度も行き、手を繋ぎながら流れ星に何をお願いしようか、よく喋っていた。彼女は、秘密~と微笑んで、なかなか教えてくれなかった。
でも星玲奈の、「いつか二人で一緒に、地上で本物の流れ星が見たいね」という素敵な夢に、カイも頷いた。
そして彼女の方は、成績優秀かつ特権階級に近い父の仕事の影響で、この夏休みに初めて地上に短期滞在していた。自然科学系の大学に進みたく、推薦を勝ち取るために富士の研究所で調査員のバイトをしているという。
「まだ一か月はいかないけど、三週間はあるよ」
「そっか」
星玲奈の笑い声が聞こえる。
カイの方も、軍の要塞司令官であり厳格な父の影響で、高校は普通科だったが軍人を目指してタイダルと呼ばれる軍事用大型人型兵器(ロボット)の半官半民のパイロットの養成所に通っていた。
父譲りで彼もなかなか腕が良いようで、そのハイスクール部門の模擬戦優勝の賞品が、約十日間の豪華地上視察旅行だった。
「そうそう。今度アルプスに行くの」
「凄いじゃん! どうして?」
「お父さんの仕事の都合だよ。そこで国際的な会議が開かれるんだって。私は別行動で、地形や植物などの自然を見たり調べたりするつもりだけど」
「そっか~」
模擬戦とはいえ必死に戦ってようやく勝ち取った地上視察旅行で、一足先に夢を叶えていた星玲奈に追いつくと思っていたカイは、またしてもなんだか離されたような気がした。
「いつ行くんだ?」
「来週。三日間だけだけど」
「行き違いにはならないのか――。良かった。気を付けてね」
「うん。カイが来るころには、ちゃんと富士に戻ってきてるから大丈夫だよ。……前にプラネタリウムでした約束覚えてる?」
「ああ……もちろんだ」
ふふふと、楽しそうに星玲奈は笑う。
「一緒に流れ星、見れたらいいね」
「そうだな。俺も早く地上に行きたい。そういえば富士から見る流れ星と、アルプスから見える流れ星だとなんか違うのかな?」
「さあ~。そんなことまでわかんないけど、調べて見るのも面白いかも――」
「星座は場所によって違うだろうけど……。綺麗な星空眺められたら写真撮ってきて」
「うん。向こう着いたら時間あるときに連絡するね!」
それから二人はおやすみの挨拶をして、通話を切ったのだった。
翌朝、カイは庭に出て、星玲奈から預かっている犬のシリウスに餌をあげた。シリウスは元々海中都市の地下に縦横に張り巡らされている、排気ダクトの亀裂の中に捨てられていた子犬だった。
下校中、解体中のビルの敷地内にこっそり侵入して遊んでいたところ、鳴き声に気付いた星玲奈が見つけて、彼女が引き取った。それから五年程が経ち、大きく立派に育っていた。カイにもよく懐いていて、彼女達の一家は今全員富士にいるので、一時的に彼が面倒を見ているのだった。
その後、母に呼ばれて食卓に着いた。
テーブルにはサラダやハムエッグなどが並び、工場で生産された米と冷たいお茶が湯呑に注がれていた。食欲をそそる良い匂いがする。
カイは、頂きますと手を合わせてから、ばくばくと食べ始めた。
久々に家族三人での食事だ。
といっても別に嬉しくは無い。
昨日、要塞司令官である父は家に帰ってきて、休暇をこちらで過ごすようだ。
その軍事要塞はディープクラーケンという名称で、海の中を移動可能で難攻不落と言われている。何本もの触手みたいな機械が蠢き、核ミサイルすら捕捉するらしい。もちろん大量のミサイルや、タイダルの接近も難なく防ぐ。
深海の怪物クラーケンがモチーフで、巨大で外見はグロいのだが、緊急時の市民の避難所でもあった。海中都市群を守るのが使命という。
そんなすごいもの作って、いったいどこと戦うんだ? と以前、疑問に思ったことがあったが、海中都市連盟も一枚岩ではないらしい。
しかも詳しいことはあまり教えてくれないのだが、最近地上できな臭い動きがあるという。
情勢は複雑のようだ。
「模擬戦で優勝したぐらいで気を抜くなよ、カイ」
父の湊剣(みなとけん)が、低くて太い声で言った。きりっとした顔立ちで、大きな頭に髭を蓄え、鋭い眼をしている。鍛えられた体で、がたいが良く、半袖のシャツから逞しい筋肉のついた腕が伸びていた。
カイも体を鍛えてはいたが、身長の伸びこそ緩やかになってきたものの、やはり完成された大人のボディになるには、まだ何年かかかりそうだった。
「ああ……。今度ホーミングミサイルの上手い振り切り方について教えてくれ――。あれは危なかった」
「わかった。腕のいいやつに頼んでおこう」
「ありがとう」
父の期待に応えたい訳ではないのだが、現役の軍人さんからシュミレーターで教えてもらえるのは、他の人と比べてやはり有利な環境だった。
将来は、士官学校に進学して軍幹部を目指すつもりだ。
「あなた。せっかく帰って来たんだから――。向こうで星玲奈ちゃんに会えるんでしょ。楽しみだわね。潮凪さんちには、お土産何を渡せばいいかしら」
母の名前は、心(こころ)。
髪は短くカットしていて、顔は細面で、目は活き活きとしている。綺麗な声で、唇は小さいが、よく動いた。気が利く上に快活な性格で、はきはきとしている。家事もてきぱきとこなし、職業は港(ドック)で管制の仕事をしていた。
両親は仲が悪いという訳ではないのだが、でも父は母のことには構わず、いつも自分の言いたいことを話していているということが多かった。
「視察旅行といっても、遊びに行くんじゃないぞ。向こうでも訓練がみっちりだからな。気を引き締めて行けよ」
「まったく。せっかく海の上にいる恋人に会いに行くっていうのに、ロマンが無いわねぇ」
「空中かぁ……」
カイは、ごはんを食べながら呟いていた。
タイダルは、水中では魚のようなトリトフィッシュ形態に変形可能だが、通常形態でも飛行可能だ。
海中都市内の飛行訓練域を飛んだことはあるが、海上すらロクに行ったことが無いのに、地上や本物の空中に出るのは初めてだ。
強い太陽の光や夜の闇。
地上や空の風ってどんなかなぁ……
やっぱり暑くて、動いてなくても汗かくんだろうか。
食事はどんなの出てくるんだろう?
どういう訓練内容かまでは全く聞かされてないが、星玲奈よりも高いところで星を見られるかもしれなかった。
初めて体験することに対して怖いというのももちろんあるが、それ以上にとてもわくわくもしていた。
また、以前父の知り合いの若い軍人さんから聞いた話だと、休憩時間や休暇中に空母の甲板や地上の港で、日光浴や釣りを楽しんだりできるらしい。
通常なら大金をかけて海上のそういう施設に行って旅行でやることだ。
それが無料で出来る。
日常の光景になってしまうとつまらないらしいが、今のカイにとっては憧れの一つだ。
自由時間は少ないだろうが、できれば体験したいと思っていた。
星玲奈と一緒に楽しめるのが一番だが、一人でも彼女や友達に自慢できるだろう。
「そういう気分で行くのがいかんのだ。墜落して行方不明になった者も過去にはいるからな」
「あら、やだ。それ本当なの?」
父が無言で頷く。
母が大きく口を開けてびっくりした後、心配ないという風に落ち着いた口調で言った。
「でも大丈夫。もしそんなことになっても、私がお父さんの機体借りて探しに行くから。絶対生きてるうちに見つけて、助けるからね」
「母さん、タイダルの操縦なんかできないだろう……」
でも、この人なら器用なので、習ってなくてもある程度は、気合と根性でやってしまいそうだが――と、カイは思った。
「恥さらしになって帰って来るなよ。事前にシュミレーターでよく訓練してから行きなさい」
「わかってるよ! 今日も朝からタイダルの訓練だから。行ってきます!」
まだご飯の三杯目をお代わりしようか本当は迷っていたのだが、ずっと聞いているとうるさいので諦め、そう言ってカイは席を立ったのだった。
星玲奈は、富士市の夜の海岸を、サンダルを脱いで裸足で散歩していた。
波の音がゆっくりと響き、踏みしめる砂は温かく、暑い風が長い髪や白いワンピースに纏わりついている。
月や星の光の中、上機嫌でにこにこしながら鼻歌を口ずさみ、華奢な体つきで胸は小さいが、
手足を大きく広げて踊るように歩いていた。
顔は卵形で、瑞々しいリップに形の良い鼻。その優しそうな瞳や柔和な表情は、無邪気や天真爛漫な雰囲気を醸し出し、親の愛情たっぷりに受けて育ったという印象を受ける。
彼女は、波打つ海と月や星に囲まれた夜空をうっとりと見上げると、早く来ないかな~、カイと思いながら立ち止まった。
一緒にやりたいことや、見せたいものがたくさんある。
綺麗な貝殻探すのを手伝ってもらったり、釣りやビーチバレー、水上バイクなどなど。
一日じゃ全部できないかも……。
待ちきれない。
カイが来たとき天気が良いといいな。
そうじゃないと星もよく見えないし――
こっちに来てから、あいにく流れ星にはまだ遭遇していなかった。
もちろん楽しみにしてるんだけど、できればカイが来るまで待ってほしい。
もっとも、そんなタイミングよく現れないだろうけど――
カイ、今何してるかなぁ……
星玲奈は、赤い皮のベルトのついた通信端末型腕時計に目を向けた。
カイから貰った誕生日プレゼントだ。
同じ海中都市の市内なら立体映像付きで通信できるのだが……、やはり顔が見えないのはちょっと寂しい。父が仕事で使っている官吏用の専用回線なら気にしなくていいんだけど、民間だと通信料が高くて、まだ高校生の自分では手が出せなかった。
彼からの連絡の代わりに、母から『いつまで一人でふらふらと遊んでるの。もう遅いんだから、さっさと帰ってきなさい!』とメッセージが届いていた。
ヤバい……。そろそろ戻ろう。怒られる。
彼女は小走りでサンダルを取りに戻った後、足裏についた砂を払ってそれを履いた。
最後にカイが暮らしている海の底に向かって思いを馳せると、今度はそれに背を向けて、海岸沿いにある両親が長期滞在しているリゾートタイプのコンドミニアムに向かって、歩き出したのだった。
「また海岸歩いてきたのか。好きだな星玲奈は――。母さんが心配してたぞ」
「ごめんなさい……。お母さん怒ってる?」
星玲奈が、ホテルの部屋にばつが悪そうに戻ると、彼女の父である潮凪星一郎(しおなぎせいいちろう)が、ソファに深く腰を下ろして、白いポロシャツ姿で気分良さそうに、切子グラスを片手に掴みながらお酒を飲んでいた。背が高くスマートな体格で、彫りが深い顔立ちに、低く落ち着いた声が特徴だ。
「呆れてもう寝てるよ。海中都市の貧民街(スラム)区画と違って治安が悪いということもないだろうが、それでも野犬とかいるかもしれないから、あんまり母さんに心配かけるなよ」
「は~い。お父さんは、まだ寝ないの?」
「面倒くさい仕事がようやく終わって、今一杯やってるとこだ。もうすぐ寝るよ」
テーブルの上には、琥珀色のウイスキーのボトルが置かれていた。ラベルの装飾も凝っていて、高級そうだ。
昼間なら、リビングからはバルコニー越しに海岸の美しい景色が見られるのだが、今はカーテンで閉ざされていた。
窓を開ければ波の音や潮の香り、風や虫の声などの自然をすぐに感じられる。
せっかくなので、月や星を眺めながらお酒を飲めばいいのに――
と思ったが、星玲奈は口には出さずに、靴を脱いでスリッパに履き替え、洗面所で手洗いうがいを済まして、またリビングに戻ってきた。
「そうそう。時計に、お誕生日のお祝いメッセージを入れたデータ送っといたから。今はロックがかかってるけど、誕生日になると開けられるようになってるよ」
「誕生日って――、まだ三か月ぐらい先だけど……」
星玲奈は、首を傾げた。
父らしいとは思ったが、用意周到というか、几帳面すぎるというか――
まだ、だいぶ先の話だ。
カイすらこっちに来ていない。
彼女は、自分の腕に嵌めている時計を見た。
そういえば内臓メモリーに、まだバックアップを取っていない、思い出の写真などがたくさん残っている。これからアルプスにも行って、さらにカイが来て、いっぱい写真や動画を撮ったりしたら、きっとすぐ容量がいっぱいになるだろう。クラウドも既にパンパンだ。
どうしよう……
「これから仕事で忙しくなるかもしれなくてな……。みんなで一緒に海中都市に戻れるかどうか……。ちゃんと誕生日に、三人でお祝いできるかわからないんだ」
「そうなの……」
「ああ……。だから忘れないうちにと思ってな」
ちょっと寂しそうな顔をする星玲奈。
「プレゼントは、せっかくだしアルプスでなんか買うか」
「ほんと!?」
「なんかいいのがあったら、そうしよう」
優しそうな表情で星一郎が頷く。
「うん。わかった。ありがとう。おやすみ」
そういって星玲奈は、母の眠っているベッドルームの扉を静かに開けて、中に入っていったのだった。
薄闇に包まれたような机一台分のスペースしかない狭い部屋の中、電気も点けずにオフィスカジュアル姿の湊心は椅子に腰を下ろし、パソコンのモニターに顔を向けていた。
画面には、黒く人のシルエットが浮かび上がっている。濃い影で、短い髪型やスーツのような服装、がっしりとした体格、腕に付けている大き目の腕時計のようなものなどから判断すると、どうやら男のようだ。
通信環境が悪いのか、時々映像が乱れている。
「明日行われる。役目ご苦労だった」
男が静かに伝えた。
「ちょっと待ってください。予定では――」
ひそひそ声だが慌てた様子で、身を乗り出すような格好でモニターに顔を近づけて、心が言う。
「逃げろ」
突然、通信は途切れた。
映像が消え画面はブラックアウトし、音量は低いが、ざざーっとうるさい無機質な音が流れ始める。
彼女は、どうしたらいいかわからないという表情で、モニターを眺めたまましばらく放心していたのだった。
夏休みの平日の午後。
今日はタイダルのパイロット養成所の訓練も午前中に終わり、カイは訓練所の仲間と昼食を済ませ、家に帰ってきた。
星玲奈は、今頃水陸両用の飛行機に乗り込んで、アルプスに向けて出発しているところだろう。
お父さんが仕事で遅れてくるから、別々の飛行機になっちゃった……と言って、一人で初めて乗るので、ちょっと不安そうにしてたけど――
いいな~。乗ってみて~!
俺は今度ようやく地上に出るというのに、星玲奈ばっかりずるい!
しかも無料で地上に旅行に行けるとはいえ、自由時間はあまりなくタイダルの訓練ばかりらしいし――
カイはそんなことを思いながら、メッセンジャー型のバッグをソファの上に置き、そのまま腰を下ろした。
母は仕事でおらず、父も休暇中のはずだが、出掛けているようでいなかった。
筋トレも犬の散歩も、朝にやってしまったし、正直なところ暇でやることがないのだが、いつも忙しく過ごしているので、たまにはのんびり過ごすことにしていた。
シリウスと遊ぼうかなどと考えていたのだが、ちょうど外で寝ているようだ。
番犬としては役に立たないな……
カイはやや呆れながら、ソファの前のテーブルの上に置かれているリモコンを手に取って、とりあえずテレビをつけた。
女性キャスターの小さな立体映像が白い壁の前に浮かび上がり、ニュースを伝える。
「たった今、入りましたニュースです。富士からアルプス行の水陸両用艇が、所属不明の武装グループに乗っ取られた模様です。周りを複数の戦闘機や、タイダルのような軍事用大型人型兵器に囲まれているようです。なお犯人達から何らかの要求があるかどうかなど、詳しいことはまだ一切わかっていません」
なんだって!
カイは思わず立ち上がって、食い入るような姿勢で、水陸両用艇の立体映像や、その周りに表示されているテロップを眺めた。
富士からアルプス行きって、星玲奈が乗っている飛行機なんじゃないか!?
地上のことはよくわからないけど、頻繁に旅客機が出ているとは思えない。
ハイジャックか!?
彼は、すぐには信じられなかった。
海中都市同士を結ぶシャトルなどは、今まで陰惨な事件や事故、凶悪な犯罪などに巻き込まれたことはごく稀にあったが、特権階級が暮らす地上での航空機がテロなどの対象になったことは、彼が生きてきた中で知る限りでは、初めてのことだった。
乗客はどうなっているのか? などもっと詳細な状況を知りたいが、女性キャスターは、ただ同じ情報を繰り返しているだけだった。
ザザ……
耳障りな音を立てながら立体映像が、ぐにゃりと歪む。
ザー
故障か? と思ったら、今度は飛行艇の機内と思われる様子が映し出された。
座席に着いている乗客達の中に混じって、銃を天井に向けて構え、ベレー帽を被り目元にはゴーグルを装着した迷彩服の軍人とおぼしき人物達が、数人通路に立っている。
「我々は海中都市連盟軍、要塞ディープクラーケン所属、特殊部隊シーグリフォン」
突然、男の大声が響いた。
ディープクラーケン所属って――
父が司令を勤めているところじゃないか!
声の主と思われる男が姿を現した。
髪は短く精悍な容貌で、迷彩服の下には過酷な環境でも活動できそうな、ごつい身体が隠されていそうだ。歳は四十代半ばぐらいだろうか。堂々として風格のある佇まいだった。
「一部の者達が太陽の光や風など自然を独占しており、海中都市開発機構を通しての搾取や圧政、汚職や癒着が蔓延る現状は、暴利を貪り目に余るものである。平等な世界を求め、我々海中都市連盟は立ち上がることにした。全ての人類は海中に降り、地上を去れ。四十八時間以内に、地上文明保全評議会から承諾の返事をえられない場合は、やむをえず宣戦布告する。また、これらの要求が受け入れられない場合には、飛行艇の乗客は二度と地上の土を踏むことは無いだろう」
カイが唖然としていると、男の姿が消え、カメラが移動したようだ。
ほどなくして、一人の乗客がアップで映し出された。
広い半個室のシートの中に、少女が脅えた様子で座っていた。
星玲奈だった。
「星玲奈!」
カイはびっくりして彼女の名を叫んだ後、ソファに腰を下ろした。
良かった。無事だ……
彼は少し安心した。
「そこの君、家に帰りたいよな?」
先ほどと同じ男の声が、星玲奈に優しい口調で語りかける。
「はい……」
おどおどしながら彼女は答えた。
「我々も手荒なことはしたくない。本当はこんなことしたくないんだ。巻き込んでしまって申し訳ない――。ところで君のお父さんやお母さんは、何の仕事をしているのかな?」
「母は専業主婦です……」
「そうかそうか。突然のことで、さぞ心配してるだろうね。お父さんの方は?」
「父は地上と海中都市の間を取り持つ、大事なお仕事と聞いてます……」
「おお~! じゃあ、お父さんにお願いしてみよう」
星玲奈は不安そうな表情で、うんと頷く。
だが彼女は俯いてしまい、弱弱しい態度のまま、それ以上喋ろうとはしなかった。
男が、その気持ちに寄り添うような口調で促す。
「怖いよね。ごめんね……。最後に、他にも何か言いたいことはあるかい? お母さんや、おじいちゃんおばあちゃん。兄弟などの家族。友達に向けてでも、なんでもいいよ」
星玲奈は戸惑っていたようだが、やがて顔を少し上げて、涙を流しながら震える声で伝えた。
「もし流れ星見えたら――、カイにまた会えますようにってお願いする。大好き!」
カイはいきなり自分の名前を出されて、しかも大好きと言われてドキッとした。
「ありがとう。お嬢ちゃんが無事に帰れることをおじさん達も祈ってるよ。……さて次の乗客は、そちらのマダム。お話伺ってもいいですかな」
カメラは、次の乗客を撮影しようとして移動していた。
だが突然映像がそこでプツンと切れて、しばらくしてテレビ局の報道スタジオの様子が映し出された。
女性キャスターは初め困惑していたが、ほどなくニュースが再開した。
カイもソファに座ったまま、衝撃の事態に、まだびっくりしていた。
あいつの口から好きとか初めて聞いたわ……
――って、今はそんなこと考えてる場合じゃない!
あいつ状況わかってんのか!?
ハイジャックの最中に――
あれじゃあ、もう二度と会えないみたいじゃないか!
まるで、お別れのセリフみたいだ……
それに父が所属する軍が、地上に住む人達に戦争を仕掛けようとしている?
でも星玲奈が人質になっている。
もし本当に軍の部隊が行動していて、父が関わっているのなら、あの水陸両用の飛行艇には星玲奈が乗っていることを伝えて、今すぐやめさせないと!
彼は携帯型通信端末を操作して 通話アプリで父に架けた。
しかし呼び出し音が鳴るだけで、やがて留守番電話サービスに切り替わった。
ダメだ。出ねー。
しょうがない! 母さんに!
今度は母に架けるが、こちらもしばらく経っても出なかった。
どっちもだめか!
くそ!!
どうしよう……
父に連絡を取り、まずどういう状況なのか聞きたい。とにかく話がしたかった。
電話がだめなら、会いに行くしかないか……。
どこにいるんだ?
そうだ!
基地に行ってみよう!
カイは、父の勤務先を訪ねようと思って、急いで家を出たのだった。
カイは家から二十分ほど電動アシスト付き自転車を漕いで、港(ドック)にある軍の施設を訪れたが、警備の兵に止められ中に入ることは出来なかった。
父の階級や役職等を告げて会いたいと伝えたが、今は厳戒態勢でスパイや工作員等が入り込むのを防止するため、大変申し訳ないが家族でも民間人を中に入れることはできないという。
他にも面会に来ている人達がいたが、同様の理由で門(ゲート)のところで止められていた。
基地内の兵士達も慌ただしく動いている。
父は非番のはずだが、緊急事態だから来ているだろう。
電話を架けるが、やはり出てくれず。
母にも改めて連絡しようとしたが、繋がらなかった。
もう、二人とも何やってんだよ!
カイは、とても苛立っていた。
しょうがない。
母のところに行ってみるか――
ここにいるよりは、マシかもしれない。
彼は再び自転車に乗ろうとしたところ、
「私は要塞ディープクラーケン司令官、湊剣」
天から聞き慣れた声が降ってきた。
見上げると、空中に制服を着た父の大きな立体映像が、投影されていた。
「現在この海中都市マリネアは、正体不明の敵の攻撃を受けている」
周りがざわついた。
海中都市に攻撃って――
防御隔壁にひびでも入って、海水が入ってきたらどうすんだ!?
バカかよ!
何を考えてるんだ、攻撃してきてるやつらは……
「これは演習ではありません。市民の皆さんは直ちに警察や軍の誘導に従い、都市中央最深部のシェルターに避難してください」
父の映像は消えたが、基地内や街中にあるスピーカーから放送が繰り返される。
そのとき足元が大きくぐらつき、爆発したような音が響いた。
海底地震か!? と思うような揺れだった。
音や衝撃は、街の外れであり、基地の奥の方から断続的に伝わってくる。
「現在このマリネアは、大規模なミサイル攻撃を受けている。危険だ! 早く避難して!!」
門を守っている兵士が、大声を張り上げて叫んだ。
最初は半信半疑だった人達も、放送の内容は本当のことなんじゃないかと、急に実感が湧いてきたらしく、我先にと逃げ始めた。
カイも自転車を漕ぎ出したのだが、携帯型通信端末に母からメッセージが届いたので、慌てて道端に止まり開封した。
その中身は、
『ゆっくり通話している暇が無いの。ごめんね。今から指定するポイントに行って!』
というものだった。
場所を確認すると、他の海中都市との間を行き来する大型潜水シャトルが、入出港する港の方だ。修理工房などがある区画だろう。
――え?
と彼は思った。
軍が避難しろと指示している街の中心部とは正反対だ。
今、こんなところに行ったら危険なんじゃないか?
でも、母のいる職場に近い……。
状況はわかっているだろうから、きっと何か考えがあるのだろう。
合流するか――
そして二人でシェルターに避難した方が、父も安心するだろう。
ひょっとしたら、父もそこにいるのかもしれない。
カイは自転車に乗り、メッセージで送られてきた場所へと、急いで向かったのだった。
スチールでできた長く狭い階段を手すりに掴まりながら、カイは薄暗い地下へと降りて行く。
カンカンと乾いた足音が、小さく響いていた。
下は明かりが点いていて、広い空間になっているようだ。
母に、ここに行けって言われて来たけど……
どこ、ここ?
そこは、使われていない倉庫のようなところだった。
ガランとしていて、何も無い。
カイは、なんか不安だった。
本当に場所合ってる?
人がいる様子は無い。
母は一体どこにいるんだ?
五階分ぐらいはあっただろうと思われる長い階段を下りきって、少し休憩しながら恐る恐るあたりを見回していると……、床の一カ所が突然ガチャンと音を立てて開き、中から若い男が姿を現した。
金髪でイケメンだが、やや目つきが悪い。
中肉中背で、黒いシャツにカーゴパンツ、スニーカーというラフな格好だ。
首元には、金のネックレスを着けていて、ちょっとチャラチャラとした印象を受けた。
「君か! 湊カイ君だね。お母さんの心さんから話は聞いてるよ」
彼は早口で言った。
「え? あ? はい……」
カイが戸惑っていると、若い男はドタバタと壁まで走り、何か操作した。
隔壁がゴゴゴゴゴ……と音を立てて、ゆっくりと開いていく。
うわ!?
カイは驚いた。
扉の先には、見たことも無いタイダルが格納されていた。
可動式の短い通路がコクピットまで伸びていて、彼は吸い寄せられるように近づいて行き、機体を上から下まで眺めていた。
普通は水圧に耐えられるよう、肩やコクピット周りなどを含め、全体的に四角くごつごつしている。顔もクジラのようでカラーも漆黒なのだが、目の前のそれはサメのように鋭い表情をしており、骨格もスマートで格好良かった。
軍の新型……か?
「お前、それに乗れ!」
「え!?」
カイは思わず聞き返した。
「時間が無い。運び出すぞ」
若い男が、戸惑っている彼に向かって確認する。
「乗れるんだろ?」
「は、はい……」
「じゃあ、頼んだぞ」
そう言われたが、カイはなお迷っていた。
母さんの仕事関係の人か?
それとも父さんの方か?
この人、いったい誰だ?
言われた通りにしていいんだろうか――
「早くしろ! もうじき注水が始まる! 死にたいのか!?」
いらっとした表情と怒気を含んだ声を向けられる。
「ええ!?」
とてもびっくりした後、目の前の機体を改めて見上げながら、わかりました――と意を決したように彼は頷いた。
「よし!」
若い男は満足そうに言う。
「ほら、さっさといけ!」
彼に促されるままカイは、タンタンタン――と足音を響かせてタラップを伝い、慌ててコクピットを開けて乗り込んだ。
養成所の練習機の中は、たいてい汗臭いむわっとした空気が籠っているのだが、この機体は真新しいシートの素材の匂いがした。
自動で静かに扉が閉まり、駆動音と共にモニターが点いて、システムが起動する。
画面に外の様子が映し出された。
若い男は、カイが搭乗するのを見届けたようで、最初に出てきた床の扉に身を沈めて、姿を消した。
その後、カイはコクピット内を見回し、計器類や操縦桿などの位置を確かめ、コンソールを操作する。
操作方法は、シュミレーターや訓練機と変わらないようだ。
良かった――
彼は一安心した。
すると前方の床が、ガーっと音を立てて左右に分離していった。
二重になっている分厚い床が、どんどん開放されていく。
なんだあれは?
潜水艦か!?
タイダルが十機ぐらいは格納できそうな、巨大な潜水艦の背面が現れた。
扉が開ききったようで、ロックがかかったような大きく鈍い音がして、動きが止まった。
警報が鳴り、周囲のランプが赤く明滅する。
今度は注水が始まったようだ。
心臓がバクバク鳴りだした。
このまま海中都市の外に出るのか?
訓練で何回もやっているが、外は本物の戦場だろ!?
敵の攻撃が、もう終わってたらいいけど、巻き込まれやしないのか……
かといって、今更コクピットから降りる訳にもいかない――
階段を登って上の階に避難し、元来た場所まで戻ろうかと考えた。
いや、危険すぎる……。
攻撃を受けてるなら、もしかしたら途中で爆発とか起こるかもしれないし、どうなるかわからない。
すると携帯型通信端末に着信があった。
誰だ、こんなときに!?
確認すると、父だった。
ようやくか!
カイは、端末を操作して呼び掛けに応じた。
父の上半身の立体映像が、モニターの前に浮かび上がる。先ほどと同じ軍の制服姿だ。
「父さん! ニュース見たか!? 地上でハイジャックが起きて、星玲奈が人質になっている!」
「無論、知っている」
「軍の特殊部隊が行動してるみたいだけど、本当なのか!? どこかのテロ組織が軍を騙っているだけなんじゃないのか? もし本当なら父さん、止めてくれ!」
「あの水陸両用艇には、潮凪星一郎が乗っているはずだった。彼は海中都市開発機構から、海中都市に関わる重要な機密情報を盗み出し、地上の連中に渡そうとしていた――」
「もしかして……星玲奈は、それを止めるために、人質にされたっていうのか!?」
「あいつが寝返ったんだ! 仕方あるまい……」
「仕方ないって……、機密って何なんだよ!?」
「海中都市の換気や空調等、都市機能全てをコントロールするプログラムだ。本来は厳重なロックが何重にもかかっているのだが――。あいつは自分の職権を悪用し、海中都市連盟からの信頼を裏切り、私達と騙した。これが無ければ我々は、生殺与奪の権利を他人に握られたようなものだ。そもそも地上とは異なり、海中都市の仕組みの維持そのものに、膨大な費用がかかるというのに――。地上のやつらは森林や湖などの自然の他、我々には無いものをたくさん持っているというのに、海中都市連盟の持つ魚介類などの水産資源・海洋資源に手を伸ばそうとしている。我々はそれを売り、生活のための重要な資金としているが――。さらに太陽光発電や風力・地熱によるエネルギーだけでは飽き足らず、石油・天然ガスなどを狙ってきている」
「おじさんは、なんでそんなことを――」
「わからぬ。そして星一郎は殺されたが、重要なデータがどこにもなかった……」
「こ、殺されたって――」
家を出てから、カイは新しいニュースは見ていなかった。みんなが知っている事か、それとも一般には報道されておらず、父など軍関係者しか知らないことか――
「そのこと星玲奈は――」
「おそらく知らないだろう。別の飛行艇に乗っているところを、我々の仲間が拘束し調べたが、持っていなかった。最後まで口を割らなかったそうだ。我々は、彼の妻や娘が持っている可能性が高いのではないかと思っている。それが入手できれば、これは終る……はずだった。海洋と大陸の全てを巻き込んだ戦いは回避され、多くの血が流されることも無い。だがやつらは、先に我々に対して直接攻撃を仕掛けてきた――」
カイは愕然とした。事態は自分が思っていたよりも、遥かに深刻だった。
「ところでお前、今どこにいる? こんなときに養成所で訓練か? 放送聞いてなかったのか? ちゃんと指示に従って避難しなさい」
彼はようやくそこで、自分の置かれている状況をまだ父に説明してなかったことと、母のことを思い出した。
「それが……よくわからないんだ。母さんに、ここに行けと言わて――。母さんの職場の近くで、地下にある大きな倉庫に格納されていた、見たことも無いタイダルに乗ってる。しかも巨大な潜水艦もあって、今ちょうど注水作業をしてる」
それを聞いた途端、父が険しい顔になった。
カイは、あれ? っと首を傾げる。
何も聞いてないのだろうか――
「父さんは知らなかったのか? 軍の新型かなんかだと思ったから――。母さんは? 母さんと一緒じゃないの? 父さん、今どこにいるの? マリネアにいるの? それともクラ―ケン?」
カイは父に向かって、多くの質問を投げかけた。
剣は答える。
「今は、まだマリネアにいるが、我々はまず避難した市民を乗せた大型輸送艦を護衛して、要塞ディープクラーケンに向かう そして心は、スパイ罪の容疑で拘束された――」
「なんだって!?」
カイは、シートから飛び上がらんばかりに驚いた。
「拘束されたって――、父さんが指示したのか?」
「そうだ」
「そんな……。なんで――」
彼は信じられない、という表情をしている。
「まだ容疑の段階で、詳しいことは私も直接聞けておらず、細かいことまでは全部把握しきれていないのだが……。とにかくそこから離れて、今すぐ戻って来なさい。誰と一緒にいるのかわからないが、素性の知れない連中だ。心がそんなことするとは思えないが、お前も星玲奈さんと同じように、もしかしたら地上側の人質にされるかもしれん……」
「そんなこと言われても……」
カイは非常に困惑した。
注水は、すぐ足元まで迫っている。巨大な潜水艦は、既に水の中に沈んでいた。
階段で地下深くまで降りてきた。
脱出するには、もう機体ごと地上に飛び出すしかないが――
できんのか?
カイは、機体を操作してタイダルの首を上に向けて、モニター越しに確認した。
天井を突き破っていけるかわからない。固いコンクリかもしれないし、土かもしれない。
この機体の強度や推進力とかもまだわからないし、下手したら頭から激突して、機体ごと潰れて死ぬ――
「潜水艦もあると言ったな。今発進準備をしているのだろう。都市駐留の部隊は、防衛で手一杯だが、近くの海域には友軍の艦隊が応援に来ている。このまま海中に出れば、不審な動きを察知され、おそらく敵とみなされ撃墜されるぞ!」
彼は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「それに我々は、その機密データが見つからないか、地上文明保全評議会が要求を呑まない場合、宣言通り四十八時間後に軍事行動を開始する。人質の命も保証できない」
「そんなことしたら星玲奈の命は!?」
カイが叫んだとき、潜水艦の底の方から、何かが爆発したような重低音が響いた。
海水が一気に流れ込んできたようで、水嵩が増えて機体の足が浸かる。
この近くに攻撃が!?
空気漏れなどは無く気密はしっかりとしているはずなのに、僅かに海水の匂いが漂ってきたような気がする。大丈夫なはずだが、なぜか溺れる恐怖に襲われた。
立体映像も乱れ、ザザ……ザーと雑音が入っていた。
「俺は……俺は、星玲奈を助けたい! 俺が聞き出しに行く。父さん頼む! 待ってくれ。止めてくれ――」
「心から何を言われたかは知らんが、不用意に首を突っ込もうものなら、下手したらお前も殺されるぞ。実際、星一郎の遺体は、飛行中の機体から海に捨てたそうだ……」
カイは、父の言葉に動揺した。
人をまるでゴミか物のように扱うんだな……と思った。
身近な人がそういうふうに扱われて、正直に言うとかなりショックだった。
「現場の混乱で細かい指示が、行き渡らない可能性がある。手は尽くすが、非常時だ。何が起こるかはわからない。お前まで危険に晒すわけにはいかん! 大人しく戻って来なさい!」
そう言われて、彼はとても悩んでいた。
所属不明の潜水艦と行動を共にするというのは、確かに無茶無謀かもしれない――
しかし、ここも危ない。
いつ敵の攻撃を受け、ミサイルが着弾するかわからない。
そのまま爆発に巻き込まれて、死ぬ可能性だってある。
どちらにしろ、早く脱出しないといけなかった。
そして……
父の言う通りかもしれない。
でも――
どうしても、星玲奈のことが気になった。
ここで会いに行こうとせずに、大人しく引き下がってしまうと、彼女の存在が遠ざかってしまいそうな……。
永い間、会えなくなってしまうような――
そんな予感がした。
「もし母さんがスパイなら――、単純に攻撃があるのを知って、俺を逃がそうとしたんだろう。母さんがそんなことするとは思えない……。ただ俺が人質なら、最悪それでも構わない。大人しく捕虜になってくる。そのときは、星玲奈と交換だ。彼女を解放しろ。自由にしてやってくれ!」
「カイ!」
父はまだ何か言いたそうだったが、さっきより大きい爆発音と衝撃がして機体が僅かに揺れ、その声は掻き消された。
ほぼ同時に映像も消え、通信がブツッと大きな音がして途絶える。
ミシッ
亀裂が入ったような音が、やや離れたところにある前方の壁や周囲から聞こえ、嫌な予感がした。直後にそこが崩壊し、物凄い音と勢いで海水が押し寄せてきた。
それが機体を襲い、一瞬で格納庫に溢れ返る。
周囲の電源が落ちたようで明かりが消え、配線がショートしたらしく、火花が散ったのが見えた。
うわあああ!
激しい衝撃が彼を襲う。
カイの乗るタイダルは、濁流に呑まれた後、錐もみしながら暗い海中に引き込まれて行ったのだった。
もの凄い強い力で吸い込まれるように海中に放り出され、カイはコクピットの中で目が回りそうだった。気持ち悪くなって、ちょっと吐き気がしたものの、なんとか堪えた。
彼は操縦桿を必死に握り、機体の態勢を立て直し、トリトフィッシュ形態に変形させる。
通常は、魚のように縦型になるのだが、エイのような平たい形になり、
ええ!? どうなってるの?
と彼は非常にびっくりした。
ステルスモードONとなっており、コンソールを操作して説明を表示させ、ざっと目を通すと、攻撃も当たりづらく、レーダーにも捕捉されづらいらしい。
それを消して、今度はモニターで周囲を探索する。
遠方で、激しい閃光が立て続けにいくつも上がっていた。
海中都市マリネアの方だ。
街に海水が流れ込んでいるんじゃ――
父の言っていた要塞ディープクラ―ケンに向かう輸送艦は、もう脱出したのだろうか?
友達は全員避難したかな……
そこで彼は、はっとした。
シリウス――
星玲奈から預かっている、彼女の大切な家族なのに……
誰か近所の人が気付いて避難させているか、賢いから自分でリードを噛み千切って、どこかに上手く逃げていてくれないだろうか。その可能性は低いけど……
頼む。どうか無事でいてくれ――
カイは、そう強く願った。
しかし都市への攻撃は、依然として執拗に続いているようだ。
閃光は断続的に、今も瞬いている。
このまま本当に戦争になってしまうのだろうか?
いや、もう始まっているのかもしれない――
「こちらブルーリヴァイアサン」
突然、コクピット内に、前方のスピーカーを通して若い女性の声が響いた。
映像は無い。音声のみだ。
あの潜水艦からの通信だろう。
カイは、応答しようか迷っていた。
「聞こえてる? 応答して! 聞こえてるんでしょ?」
彼の操縦するタイダルは、クラゲのようにふらふらと海の中を漂っていた。機体の下部に気泡を発生させる技術で、上手く使えばミサイルなどの攻撃も防ぐことができる。
「……何かのトラブルで発信できないの?」
困ったような声が聞こえる。
「じゃあ、これからこの海域を離脱するから、はぐれないようにしっかりとついてきて」
そう言って、通話は一方的にプツリと切れた。
どうやら、のんびりとこちらを気にしている余裕は無いらしい。
しかし……
いざマリネアを離れるとなると、カイはとても戸惑った。
生まれ故郷の都市(まち)に、次に帰ってくるのはいつになるか――
あの潜水艦の人達の正体は?
信用していいのか――
母はなんで、あそこに自分を呼んだんだ?
一緒に地上に脱出するつもりだったのか?
でも俺は――
ただ逃げるわけにはいかない。
星玲奈に会いに行き、殺されそうなら救出しなくちゃいけないし、近づけそうも無かったら、仕方なく父のところに戻るしかない。めちゃくちゃ怒られそうだが――
そしたら今度は、母のことだ。
父も、まだ詳しいことは把握していないと言っていたが、一体どうなっているのか心配だ。
でも母さんなら、『なんで助けに行かなかった。男なら助けに行け! 好きな女の子を守れ!』と怒られそうだな――
一度要塞ディープクラーケンに戻ったら、父に背いて敵と一緒に行動していたわけだから、俺も戦いが終わるまでは、二度と自由に行動できないだろう。
それで、考えたくはないが――、
万が一、星玲奈が犠牲になったら、一生後悔するに決まってる。
なんであのとき、助けに行かなかったんだ……
どうして引き返したんだ――
諦めなければ良かった――
と……
やはり星玲奈を一緒に連れて帰ってくるしかない。
なんとしても、必ず助け出してみせる!
もう、それしかない!
ただ……
無事会えたとしても、良いことばかりじゃなくて、悲しいことも伝えなくちゃいけない。
シリウスも生きているかわからないし、もし会ったときに星玲奈がおじさんのことを知らなかったら……
あいつに伝えるの辛いな――
きっと目の前で泣かれるだろう。
くっそ~~~~~
俺も、これから彼女に会うまでに、流れ星を見たら無事を願うし、帰るときは絶対に一緒だ!
そして平和な時の星空が綺麗な夜に、二人で肩を寄せながら笑顔でそれを見るんだ!
カイは、依然として閃光の迸る海中都市の方角を見たが、進路を反対の方へと向け機体のエンジンを噴射し、通信士がブルーリヴァイアサンと名乗った、所属不明の潜水艦と合流する道を選んだのだった。


