バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

5話

 勢いよく建早が扉を開ける。
 その瞬間だった。扉の内部で鳴り響いていた記憶の声が、水を打ったように静まり返った。
 神殿中には、幾重にも続く回廊が待ち構えていた。
 先ほどの喧噪が嘘のように、回廊は深海のような静けさに包まれている。
 建早が神殿に足を踏み入れる。葦原が続いた。靴音が響いて、神殿が輪郭を帯びる。
 壁には、何枚もの肖像画がかかっている。その全てが、曖昧な描線で《《視えない》》でいた。
 葦原が鈴を鳴らす。音の振動に沿って、絵画に、女の子の姿が浮かび上がった。

「これは……!」
「データによると、クライアントの蛇室正司は、学生時代に恋人だった少女を事故で失った過去がある」
「じゃあこの子は……! 蛇室さんの彼女……!」

 建早がうなずく。

「蛇室は目の前で倒れる彼女を、《《見なかった》》。いや、《《見えなかった》》と自分に言い聞かせたんだ。その罪悪感が、長い間世界観を脅かし、今や自分の視界すら浸食しようとしている」
「だから、《《視ること自体が怖くなった》》んだ……!」

 葦原と建早は、神殿の最深部に向かって進んでいく。つきあたりに、大きな両開きの扉があった。葦原は、扉の前で足を止めた。

「ここ……嫌な雰囲気がします」
「ここか。この扉の向こうに歪みの核があるはずだ」

 建早が剣を抜いて構えながら、扉に手を伸ばした。視界は最早完全にぼやけおり、輪郭を留めていない。だが、二人の聴覚は研ぎ澄まされていた。建早の手が扉を押す。
 ゆっくりと扉が開いて行く。
 内部は、一点の光もない暗闇だった。二人は慎重に、内部に侵入して行った。
 葦原の鈴の音が、足元の空気を震わせて広がって行く。そのたびに、空間の輪郭が少しだけ視える。しかし、それはすぐに闇に溶けて、黒い無に戻って行った。

「完全に……視界が崩壊しているな……」
「先輩……っ気を付けて……!」

 葦原は額に汗をにじませて、建早の背を追った。
 前方に、大きな扉が出現する。二人は手探りで、扉に手を置いた。
 大扉がドクリと振動して、扉自身がつんざくように声を上げた。
 それは悲鳴だった。

『見なかった! 俺は見なかったんだ!』
「……っ……!」
「……チッ……!」

 建早が低い声で言った。

「この先は蛇室の最深の記憶がある……視ることを拒否し、認識ごと封印した場所……この扉の先に、歪みの核がある」
「……視ることでしか、救えないんですね……!」

 葦原は覚悟を決めて、鈴を強く鳴らした。
 その音が開かなかった扉の封印を解いた。扉は、軋みながら開かれた。
 中は、真っ白だった。
 床もなく、壁もなく、天井もなく、ただ白い空間が広がっている。
 中央には、ひとりの青年がうずくまっている。

 蛇室正司。

 彼はうずくまったまま手で顔を覆っていた。
 目の前には、セーラー服姿の少女が倒れている。
 少女は眼をおぼろに開けたまま動かない。鼻や口からは、どす黒い血がゆるゆると流れ落ちていた。







しおり