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6話

 側には、血に染まったスケッチブックが落ちていた。
 彼女は、絵を描くのが得意だった。

「蛇室の目の前で彼女は事故にあったんだ」

 建早が、剣を構える。

「でも、蛇室は咄嗟に《《視なかった》》。怖くて、眼を逸らした」

 葦原も、杖をぐっと握りしめた。

「そして、その瞬間……少しずつ彼の世界観から視覚が崩れ始めた。世界観はじょじょに狂っていくんだ。こんな風に、時間をかけながらな」

 言葉を噛んで留めるように、建早が言った。
その時だった。

『ああああああ!!!』

 蛇室が叫びながら顔を上げる。彼の両目は、真っ黒にえぐり取られていた。

『見えない!! 見えないいい!!!』

 蛇室の身体が膨らみ、ぐちゃぐちゃに変化していく。身体は膨れ上がり、どんどん巨大化してゆく。

「建早さん……! 来ます!」

 蛇のような巨大なシルエットが二人の前に経ち現われる。それは、四メートルほどもある異形の蛇だった。全身が鱗に覆われており、表面は波打つように盛り上がっていて、その下に目玉があることがわかった。
 眼が、体中にびっしりと並んでいる。そこから、涙がぼろぼろと流れ落ちていた。だがその瞼は閉じられたままで、頑として開かない。
 これが、蛇室の歪みの核だ。

「行くぞ!」

 建早が、剣を振るって走り出す。葦原が杖を構えて続いた。

「葦原!音で世界を構築しろ!」
「はいッ!」

 葦原が、手で杖を叩き鈴を打ち鳴らす。歪みの核……異形の大蛇が鋭い鳴き声をあげた。
 その声に鈴の音がかき消され、視界がぼやけていく。

「くそっ! 鳴らしても鳴らしても……何も見えない!」
「声を上げろ!《《言葉》》で蛇室を導くんだ!」

 建早が地面を蹴り、跳躍する。彼の大剣が異形の大蛇を切り裂く。大蛇が、苦しみの悲鳴をあげる。
 剣で切り裂かれた傷から、蛇室の記憶が再生される。

 学校からの帰り道。
 道路の向こう側にスケッチブックを持った彼女がいた。
 道路のこちら側にいる蛇室は、彼女に気が付かない。
 彼女が、道路を渡ろうとする。
 そこに、トラックが突っ込んで来る。
 車のブレーキ音。
 悲鳴。
 死。

『ああああああ!!!』

 大蛇が身を捩って暴れる。その尻尾が飛んできて葦原を吹き飛ばした。

「うわあああ!!!」

 身体が宙に浮き、空中に投げ出される。
 視界の端に、ワンピース姿の少女が映り込んだ。

『助けて……』

(!?)

 少女は、苦し気に微笑む。そして、透明になり溶けるように消えた。

(誰だ!? 蛇室さんの彼女じゃない!あの子は……!)

 花の匂いがふっと鼻腔に香って、葦原の記憶が蘇る。

(あの子は……あの時の!)

 それは、五歳の時目にした。あの花畑の世界観をもった少女だった。
 くるっと一回転し、葦原の受け身を取った体が地面に叩きつけられる。
 少女の消えた後を追うように、銀髪の青年が出現した。青年は古風な水干のような服を着ている。
 青年が、ちらりとこちらを見て、笑う。

「葦原!」

 建早が葦原の名を呼ぶ。建早は大蛇の尻尾に斬撃を喰らわせながら、距離を詰めている。
 突然現れた二人の乱入者に気が付いていないようだ。
 葦原が立ち上がり、中空を見上げる。青年はもういなくなっていた。

「葦原!」

 はっとして、葦原は前を向いた。大蛇に向かって全身の力を込めて叫ぶ。

「蛇室さん! あなたはもう目を逸らさなくていい!彼女は、あなたに“見てほしかった”んだよ! 最後の絵を……見せたかっただけなんだ!」

 その瞬間、空間が震えた。
 正司の記憶に色が戻り始める。風が、吹いた。
 血まみれのスケッチブックが、パラパラと捲れていく。ページは、開かれた。

 そこには<彼と過ごす楽しい日々>が、描かれていた。

「彼女は、あなたが見ていた世界が大好きだった。
 だから、あなたがそれを“忘れないように”と、描いて残したんだ!」
『あ、あ……』

 大蛇が、動きを止める。葦原が、帽子の角を上下させて大蛇の周りを走り、鈴を打ち鳴らす。建早は剣を上段に構えた。ブルブルと大蛇の体が震え、悶えだす。

『ううう……っ!』

 大蛇が、声をくぐもらせる。鈴の音が鳴り続けていた。
 音が“視界”を切り開き、大蛇の体の輪郭線がはっきりと視界に映り込む。

「今だ、建早さん!」
「うおおおお!!!」

 建早の剣が、音の波を裂き、大蛇の首元へ突き刺さる。彼が、暴れる蛇の胴体の上で叫んだ。

「視るんだ! 直視しろ!」

 建早が剣を引き下ろす。大蛇が、苦しみの叫び声を上げて涙をほとばしらせる。

「彼女が死んだのはお前のせいじゃない!」

 瞬間、大蛇の閉じられた目が次々と開く。
 空間が音もなく崩壊していった。
 後には、仰向けに倒れた蛇室だけが残っていた。
 倒れ込んだ蛇室の身体が、ゆっくりと実体を取り戻す。
 白い空間に、何処からか淡く光が差し始めた。

 彼の目が、ゆっくりと開く。

「……視える……」

 蛇室の両眼には、煌めく目玉が戻っていた。
 辺りを見渡す。そこには少女の絵があり、正常に戻った神殿の回廊があった。
 目の前に、涙ぐむ道化師と、黙って剣を納める黒騎士がいた。

 葦原が、蛇室の手を握る。

「ようこそ、お帰りなさい。世界は、まだあなたを待ってますよ」
 
 蛇室は、顔をあげた。
 葦原の微笑みは、確かに《《視えていた》》。










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