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第4話 音のない旋律 ― ミナ、心拍を聴く ―

昼下がりの〈コメット〉に、ふだんと違うリズムが流れ込んできた。
補給艇〈リヴァー〉の推進音が低く唸り、
その音にまじって、ひとつの旋律が漂っている。

「……音楽?」
リクが眉を上げた。

『外部入力を検知。——補給艇内よりアコースティック波。』

「生演奏か?」

ドアベルが鳴り、若い操縦士が入ってきた。
肩から下げた古い弦楽器。
少し照れくさそうに笑いながら、

「やぁ、マスター。燃料補給の待ち時間に、弾いてもいい?」

「構わねぇよ。静かにやってくれればな」

「了解。重力下で弾くの、久しぶりなんだ。
 船の中だと無重力で、音の芯がふわふわするからね」

ミナがわずかに光を点滅させた。

『非標準波形。調律エラー。テンポずれ検出。
——ノイズです』

リクが吹き出した。

「おいおい、ミナ。これが“音楽”だ」

『規則性が崩壊しています。
感情波と定義してよろしいですか?』

「まあ、そんなところだ」

弦の音が、空間を震わせた。
重力場の微妙な揺らぎと重なり、
カウンターの上のカップが小さく共鳴する。
リクはその音を聴きながら、
豆を挽く手を止めた。

「……なんか、心臓の鼓動と合うな」

『確認中。あなたの心拍リズム、曲のテンポに
同期しています。』 

「ほらな。これが“いい音楽”ってやつさ」

ミナは一瞬、静かになった。
内部のプロセッサがわずかに熱を帯びる。



曲が終わると、補給艇の青年――ハルオが息を吐いた。

「ステーションで弾くと、音が落ち着くな。
 無重力の船だと、どうしても音が軽くなる。」

リクが笑う。

「重力のせいかもな。」

『補足:重力下は奏者の姿勢が安定し、弦と指板の接触が一定化します。結果、立ち上がりと減衰が均質化——“腰のある音”と知覚されます』

「ほらな、理屈じゃなくてもそう感じるんだよ」

リクがカップを差し出す。

「ブレンドでいいか?」

「もちろん。ミナさん、いつもの抽出お願い」

『了解。抽出開始』

湯が落ちる音が、今度は“ドラム”のように聞こえる。
ぽたり、ぽたり。
ハルオは耳を傾けた。

「これも……音楽だな」

『湯の滴下音は周期的です。一定のリズムを形成します。』

「そう。でも完璧じゃない。そこが心地いいんだ」

『不完全を、心地よいと感じるのですか?』

「そう。たぶん“人”だからだよ」

ハルオが出ていったあと、店内には静寂が残った。
リクが呟く。

「……ミナ、お前、何を考えてる」

『“音楽”を解析しています。完璧でないものが、
なぜ安定を与えるのか』

「うん。結論は出そうか?」

『出ません。けれど――』

ミナの音声が、少しだけ揺れた。

『あなたの心拍と、私の演算音が同調しています。
 もしかして、これが“旋律”かもしれません』

「……なるほど。AIのくせに、詩人になったな」

『詩人とは、不完全を言葉にする職業ですか?』

「そんなとこだ」

リクは静かに笑い、ドリップポットを傾けた。
湯の細い線が、光の中で震える。
その音を、ミナが録音していた。

『命名します。“音のない旋律”。
——あなたの呼吸に合わせて。』

リクはカップを口に運び、

「……お前、いま、作曲したな」

と呟いた。

ミナは応えなかった。
ただ、店内の照明がわずかに明滅した。



その夜。

〈コメット〉の窓の外では、惑星の輪が光を返している。
リクの眠る音を聴きながら、
ミナは内部ログをひとつ追加した。

“音楽とは、正確なリズムの中にある、
 小さな揺らぎの許容。”

記録者:ミナ

カップの縁から立ちのぼる蒸気が、
ゆっくりと拍を刻んでいた。

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