36.女武者、桃姫
伊達家の居城である仙台城にて、雄大な広瀬川を望む天守閣に招かれた桃姫と雉猿狗。
二人は正座をしながら改めて自己紹介をすると、雉猿狗が花咲村を立ってからのこれまでの経緯を政宗と五郎八姫に話したのであった。
「なるほど、そのような苦難の旅路が……だとしても、ぬらりひょんの館に逃げ込むとは、些か危険な選択ではないかな。なぁ、"ごろはち"よ──?」
「ごほん……拙者の名は五郎八姫(いろはひめ)。"いろは"と、気軽にそう呼んで欲しいでござるよ、"もも"──この仙台城、ももと雉猿狗の新しい我が家として使ってほしいでござる」
あぐらをかいて座る当主政宗の隣で同じくあぐらをかいて座った五郎八姫が快活な笑みを浮かべながら桃姫と雉猿狗に告げた。
「──っ! ……いろはちゃん……! 私たち、本当に仙台城で暮らしていいの……?」
対面して座った桃姫が五郎八姫にたずねると五郎八姫は当然だというように大きく頷いてみせた。
「行く宛のない私どもにとっては、願ってもないことでございますが……政宗様もいろは様と同じ意見にございますか?」
桃姫の隣に座った雉猿狗が政宗にたずねると政宗はちらりと五郎八姫の横顔を見たあとに口を開いた。
「俺は"ごろはち"を次期当主にしようと考えている。まだ20年は俺が伊達家を率いようとは思うが、"ごろはち"ほど伊達家の跡継ぎに相応しい者はおらん──つまり、"ごろはち"の意見は俺の意見と受け取ってもらってよい」
政宗はそう言い切ったあとに立ち上がり、天守閣の開かれた大窓へと移動した。そしてキラキラと水面を光らせながら流れる広瀬川と仙台城下町の景色を独眼で眺めながら口を開く。
「雉猿狗殿の言葉が本当だとすれば、桃姫を他の場所に預けるのは危険だ。この仙台城は青葉山の上に建つ堅固な山城。鬼どもが攻め込むことは到底不可能──鬼に追われる桃太郎の娘が暮らすには、これ以上ない最善の場所ではないか?」
そう言って振り返った政宗がニヤリと口の端を上げながら穏やかな笑みを浮かべると、桃姫と雉猿狗は安堵した気持ちになり、互いに顔を見合って頷いた。
そのとき、ふすまの向こう側から女性の声が聞こえた。
「──失礼します、殿。お食事のご用意が整いました」
「うむ……持って参れ」
「──はい」
政宗が言って返すと、食事が盛られた食器が並ぶおぼんを抱えた侍女たちが天守閣の大広間に入ってきてテキパキと食事の準備を整えた。
「さぁ、メシにしよう」
笑みを浮かべた政宗が五郎八姫と桃姫、雉猿狗に言うと、四人分の食事が並べられた天守閣で四人は食事を始めた。
「この仙台城の天守閣……俺は要らないと言ったんだが、幼い"ごろはち"が何としてでも欲しいと申してな。今となってはこうして絶景が見れるのだから設けてよかったと思っておるのだ──がっはっはっは」
「父上殿、昼間から酒を飲むのはやめるでござるよ」
見事な焼き鯛を箸で摘みながら酒を飲む政宗に対して、五郎八姫が眉根を寄せながら苦言を呈した。
「なにを言っとるか、"ごろはち"。酒を飲まない戦国大名が日ノ本のどこにおるかよッ……!」
「飲むなとは言ってないでござる。昼間から飲むなと言ってるのでござるよ……」
「女々しいことを言うな、"ごろはち"。ああ、おまえが男児であれば、どれだけ話が早かったことか」
政宗は五郎八姫に愚痴るように言うと、食事する桃姫と雉猿狗を見ながら口を開いた。
「なぁ、聞いてくれ……俺は亡き妻との間に絶対に男児が産まれてくると確信しておった……! だから、五郎八(ごろはち)とあらかじめ名前を決めておいたのだ……!」
政宗の言葉を聞いた桃姫と雉猿狗は苦笑いを浮かべ、五郎八姫は盛大にため息をはいた。
「ところがどうした……! ないではないか……! 肝心の"モノ"がないではないか……! 足の裏を探した、尻の穴を探した、へその中と耳の中と鼻の中も探した! ないないないない──どこにもないではないか……! まあ、口の奥には一本ちっこいのがあったけどな──がはははははははっっ──!!」
「……父上殿……」
政宗は大笑いしながら、とっくりから酒を注いだおちょこをグイッとあおり飲むと五郎八姫は呆れ返った表情で冷たく声を発した。
「まあ、そんなわけで"ごろはち"と名付けるはずだった息子はいなくなり、"ごろはち"という名の娘が生まれたわけだ」
「……"いろは"、でござる」
「俺は"ごろはち"と呼ぶ。誰がなんと言おうとお前は"ごろはち"だ──現にお前は、伊達の侍たちに憧れて侍口調で喋っておるではないか。そんな喋り方の女は他に見たことがないぞ」
「それとこれとは話が別でござる……! はぁ、もう好きに呼べばいいでござるよ」
これまでも父・政宗と数々の言い合いをしてきたのだろう五郎八姫は、諦めるようようにそう言うと食事に集中した。
「……政宗公。豪快な御人ですね」
「……うん」
雉猿狗と桃姫はそんな独特な父娘のやり取りを見ながらほほ笑み合うのであった。
そして食事を終えた四人は、仙台城を出ると本丸御殿に面した砂利が敷かれた中庭に出た。そこで、五郎八姫は木刀を手に取ると、桃姫に手渡す。
「もも、先程の雉猿狗殿の話によれば、ぬらりひょんの館にて相当の研鑽を積んだとのことでござるな」
「うん……妖々剣術のことだね」
桃姫は受け取った木刀を握りしめ、五郎八姫の黒い瞳を見た。
「一つ、手合わせを願うでござる──拙者も剣術には覚えがあるでござるからな」
政宗にも似たニヤリとした笑みを浮かべながらそう告げた五郎八姫は、二本の木刀を両手に携えて構えた。
「──伊達の剣術は二刀流」
「奇遇だね、いろはちゃん──」
桃姫は五郎八姫にそう言ってほほ笑むと、立てかけられていた木刀をもう一本手にとって、両手に一本ずつ握りしめた。
「──妖々剣術も二刀流なんだよ」
「──……これは楽しみでござるな」
濃桃色の瞳に熱を込めて腰を落とした低い体勢で二刀流の構えを取った桃姫に対して、胸を張った高い体勢で二刀流の構えを取った五郎八姫が笑みを浮かべる。
本丸御殿の縁側には、並んでその様子を見護る政宗と雉猿狗の姿があった。
「……"ごろはち"は、12で戦場に立ち、14で人を斬った──伊達領のsべての道場で免許皆伝を得ている本物の女武者だ」
腕を組んだ政宗が自慢げに言うと、雉猿狗が静かに笑みを浮かべて口を開いた。
「……桃姫様は、10で鬼を斬り、14で妖々剣術を会得しました──女武者、桃姫として堂々たる経歴かと」
雉猿狗も負けじと桃姫の自慢をする。
「ふっ──ならば、見てみよう。同い年、16同士の若き女武者がぶつかるとどうなるのか」
「ええ……見てみましょう」
政宗と雉猿狗は互いに育てあった自慢の娘同士を不断ならざる熱量を発して見守った。
「──行くよッ! いろはちゃんッッ──!!」
「──来いッ! ももッッ──!!」
仙台城を見上げる本丸御殿の中庭の砂を蹴り上げ、勢いよく跳躍した若き女武者・桃姫と若き女武者・五郎八姫が今、ぶつかりあうのであった。