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「レイモンドが……」

リリア様がそう言いかけた途端、セバスチャンが慌てて言葉を遮った。

「奥様!……は、ただいまお戻りになられたばかりですので、まずはお部屋へご案内させていただきます。お疲れでしょうし、後ほど落ち着かれてからリリア様とお話をされてはいかがでしょうか?」

目の前で口元を引きつらせるセバスチャンの姿はどこか挙動不審だ。額には脂汗が滲んでいる。

「ベス、奥様をお部屋にご案内しなさい」

セバスチャンがメイドのベスに命じる。ベスは急いで応えた。

「は、はい!奥様、お部屋はこちらです!」

ベスが案内しようと廊下を歩き始めたところで、年配の女性が目を見開いて急いで声をかけた。彼女は身なりからしてこの屋敷のメイド長のようだ。

「ベス!ちょっと待ちなさい。そちらではありません。奥様のお部屋はこちらです!」

「あっ!」

使用人たちが一瞬時間が止まったかのように凍り付いた。彼らの目が泳ぎ、居心地が悪そうにそわそわとしだした。

「あの、その、つまり……奥様、申し訳ございません!」

ベスが頭を下げ、セバスチャンが言葉を次ぐ。

「予定では準備が整っているはずでしたが……申し訳ありません!」

「セバスチャン?」

彼はすぐに姿勢を正し説明をしだした。

「奥様のお部屋の準備がまだ整っておりません。大変申し訳ありませんが、今夜は客室を用意させていただきましたので、そちらをご利用いただけますでしょうか?」

「掃除ができていないということかしら?旦那様から、屋敷には私の部屋があるからいつでも帰ってきて良いと聞いていますが」

確かに旦那様はそう言っていた。先月までは普通にこの屋敷から神殿へ通っていたはずだ。1ヶ月もの間、掃除をしなかったということはないだろう。

一体どういうことなの?

「ご心配をおかけして申し訳ございません、奥様。すぐにすべてを整えますので、どうぞご安心ください。本日はどうか客室をお使いください」

すると、リリア様が突然話に割って入った。

「ああ、ごめんなさい。ステフィーナ様のお部屋は、現在私が使わせていただいているの」

彼女は肩をすくめながら申し訳なさそうにそういうが、どこか上から目線だ。
レイモンドの妻である私に対して、まるで当然のことのように部屋の使用を告げる。

「……え?私の部屋を……?なぜ?」

私は思わず眉をひそめた。

「セバスチャンをどうか責めないでください!」

別に責めたいわけではなく、説明を求めているだけ。彼女の言葉に困惑する。

まるで自分がこの屋敷の主人であるかのように振る舞う彼女を不快に思った。

「分かりました。では、リリア様、後ほどどのような経緯でその部屋をお使いになられたのか、詳細をお聞かせ願えますか?」

穏やかに微笑みを浮かべながらそう言ったものの、内心は怒りが込みあげている。けれど、今ここで感情的になり彼女と口論するのは悪手だ。

「ええ、もちろんよ」

リリア様は一瞬、戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐににこやかな笑顔で応じた。

「レイモンドの厚意で部屋を借りているだけよ。どうぞご心配なく!」

彼女の含みを感じるその言葉が、妙に引っかかる。

(……どうでもいいけど、旦那様を呼び捨て?)

やはり彼女は旦那様と親しい関係なのか、ただの勘違いなのか、それとも彼女には何か隠している理由があるのか。

***

ベスに案内され、客室へ向かう廊下を進みながら、私は一人、頭の中で考えていた。
同じ屋敷に若い女性を住まわせているということは、そういうことよね?
旦那様は浮気などできる時間はないと言っていたけれど、自分の愛人のことを、妻の私に言いづらかっただけかもしれない。

「奥様、あの……実は」

客室に足を踏み入れた瞬間、ベスが決意を固めたように口を開いた。

「奥様の部屋ですが、改装のため中の物をすべて離れに移しているんです」

「そう……なるほどね。それなら自室が使えなくても仕方ないわ」

そうは言っても、胸の中はモヤモヤしていた。嫌な予感しかない。

「旦那様が奥様はこれから、もしかしたら屋敷での生活に戻るかもしれないから、準備をしておくようにおっしゃいました。ですので、改装をして、部屋を奇麗にしようと私どもも準備していたのです」

私は黙って話の先を促した。

「ですが……その改装が終わったのは実は一週間ほど前のことなんです。そのタイミングで、リリア様が屋敷にお越しになり……」

ベスの視線が泳ぐ。

「そのまま……住み始められたんです」

「えっ?」

聞き間違いかと思い、反射的に問い返した。

「住み始めた、ですって?勝手に?」

こんな状況でも、声を荒げない自分を少しだけ褒めたい。

「旦那様が、『部屋はたくさんあるから好きに使わせろ』と仰ったんです。あ、手紙での指示でしたから旦那様とちゃんと話ができていなかったとは思います。それで、リリア様は、奥様のお部屋がとてもお気に召したご様子で……」

「お気に召した?それで……彼女は私の部屋を使って……?」

驚きで眉間に皺が寄るのを感じながら、なんとか怒りを制御する。

「申し訳ありません。私どもは止めようとしました。でも、リリア様は旦那様の従妹でいらっしゃるので……」

従妹という言葉が頭の中でぐるぐると回る。リリア様は親戚ということよね。でも、だからって何でも許されると思ったら大間違いよ。
ここは公爵夫人として、使用人たちにはっきりと言っておかなくてはならない。

「急に屋敷に帰って来た私にも責任があるわね。ごめんなさいね、屋敷の者たちも大変だったでしょう」

「いいえ、とんでもありません。奥様はこのお屋敷の公爵夫人でいらっしゃいますから、いつお帰りになっても問題ありません」

「けれど、人の部屋を勝手に使わせたのはどうかと思います。旦那様の命令だったのなら仕方がないけれど、妻の部屋ですから、さすがにそれを知ったら許されはしないと……それとも、旦那様が進んで夫人の部屋をリリア様に与えられたのかしら?」

「旦那様は、リリア様が使われている部屋をご存じないと思います。ただ……」

「ただ?」

ベスの言葉が途切れる。彼女の視線がわずかに伏せられ、ためらいが感じられる。

「今まで、奥様はあまり屋敷で休まれませんでしたので」

「え?どういうことかしら?」

「あ、あの……その、奥様は離れの館に住んでいらしたので」

「え?私、離れに住んでいたの?そんなことは聞いていないわ。屋敷に私の部屋があるのでしょう?」

(屋敷に部屋ではなく、屋敷の敷地に部屋がある……の間違いだったのかしら?)

「あの、実際はこちらにもお部屋はございます。奥様は数年前まで、その部屋で就寝されていらしたのです。けれど、いつからか離れに住まわれるようになって」

「なぜ?私はどうして離れに?その理由があるのよね」

「はい。奥様は聖女様でいらしたので、屋敷の使用人たちに気を遣わせてしまうから、自分は離れで生活しますとおっしゃいました。奥様は修道服しか着られませんでしたので、ご自身で着替えもされていらして……」

ベスの話が続く。

「朝はとても早く神殿へ向かわれ、『屋敷の者たちに迷惑をかけないように』とおっしゃっていました。私たちは聖女である奥様にどう接して良いのか分からず、性格や状況に合わせた対応が大切だと感じていました」

「食事はどうしていたの?入浴は?侍女がいると聞いていたのだけど」

私はさらに質問した。

「朝5時前には起床されて、朝のうちに身を清め(湯あみをし)朝食を摂り、神殿へ向かわれました。昼と夜は神殿で済まされていました。神殿に泊まられることもありました」

私が屋敷を出た後に、メイドたちが離れの清掃や洗濯をして、私が帰宅後すぐに眠れるようにしていたという。私は常に疲れた状態だったから、とにかく睡眠を重視した環境を整えていたらしい。
確かに一人の方が静かで眠れるだろう。

まぁ、けれど、とても孤独な生活だったということね。

「朝の準備は手伝ってもらっていたのね。夜は迎えもないまま離れで一人で休んでいたと言うことね。大丈夫よ、責めているわけではないから」

旦那様とは完全な敷地内別居状態だったのね。それはもう、夫婦関係は破城していると言っても過言じゃない。

「あの……奥様の希望でした。ひとりの方が楽だとおっしゃっていました。けれど、もちろん。奥様のお世話をしたいと私どもは思っていました。それが仕事ですし、旦那様ともう少し交流を持っていただきたいと望んでいました」

使用人は朝の2時間私の世話をしてくれて後は、翌朝まで会わないということも多かったという。

「屋敷には立ち入らなかったということなのね?」

「いいえ、週2,3日は顔を出されていらっしゃいました。必要なものがあったり、早めに食事を準備してほしいなどの要望を聞いていました。だいたいは、朝、その日の予定を言ってくださいましたので、それに合わせて私たちは仕事をしていました」

とにかく、屋敷の使用人たちとは親しくはなかったけれど険悪な雰囲気ではなかったようだ。
それは少なくともよかったと思う。

これから、聖女として奉仕する必要がなくなれば私は公爵邸で夫人としてやっていかなければならない。部屋の問題もあるし、リリア様のこともはっきりしなくてはならない。

「そうなの……それじゃぁ、この屋敷の私の自室というのは、3年前まで使っていた部屋で、今は空き部屋になっていたってことね」

ならば、リリア様が私の部屋を使っていることに文句は言えない。さすがに私のベッドで寝て、私の洋服を着ているのだったら許せないとは思ったけれど。

「空き部屋でしたが、改装し、今は全て新しい家具が入っています。ですが、もうリリア様が使用されましたので、新しいわけではないですよね……も、申し訳ありません」

ベスは涙を流しながら頭を下げた。

今さらリリア様に部屋を明け渡せというのも面倒だ。
客室に通されはしたが、先月まで生活していたという離れのことも気になる。

やるべきことが山積みだ。


「ベス、まずはお茶を入れてくれるかしら?少し休憩したら部屋を移動します」

泣きたいのはこっちの方だわ。

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