04th.05『君を信じない』
「マエンダだ。ここの詰所を取り仕切っている」
「……………………」
前衛兵が軽く自己紹介をしたので、トイレ男は軽く頭を下げた。トイレ男が喋れないという事は右衛兵から聴いているのか、前衛兵はそれを疑問に思った様子は無い様だった。
「さて、ここが襲撃されるという話だが⸺」
前衛兵は右衛兵の用意した背凭れの無い椅子に座りながら、
「⸺悪いが、正直今の所信憑性は低い」
そう言った。
「……………………」
あれぇー? とトイレ男は右衛兵を見るが、彼は軽く肩を竦めるだけだった。
「理由は二つ。先ず、単純にそちらを信用できない」
「……………………」
まぁ、それはそうだろうなと思う。喋れなくて、トイレを持っていて、おまけにお目醒め早々暴動を起こす様な男だ。簡単にはっきり言って狂ってる。仮にトイレ男が前衛兵の立場だとしたら、狂人の妄言と切り捨てるかも知れない。
そうすると直々に話を聴きに来てくれた(或いは聴かせに来た)のはまだいい方なのかも知れない。
「次に、こちらでその情報が一切掴めていない。現在、ここでヤクザやチンピラは拘留していない。彼らにとって重要な物品も無い。だとすると、襲撃の理由は奪還略奪ではなく、
「……………………」
成程。よく解る意見だった。
しかしトイレ男は知っている。敵は理解不能な、常識の通じない奴らであると。感覚を封じる白女に、動きを止め腕を伸ばす黒女。どちらも理外の存在だ。若し、仮にだが、彼女達の様な存在が他にも多数居れば、国に勝てる見込みを持って喧嘩を売る事は可能だろう。彼女達以外にあんな奴らが居るという証拠は無いが、居ないという証明も無い。そして事実として襲撃が有った以上、動機が前衛兵の言った通りだとすれば、居る可能性が高い。ならば大きな組織は兎も角大きな準備は無しに喧嘩を売れる筈だ。
問題はそれを前衛兵に伝えるかどうかである。
「……………………」
彼から見てトイレ男は怪しい。とても怪しい。感覚を封じたり腕を伸ばしたりする奴が居る、なんて言ってしまった暁にはトイレ男は完全に狂人認定されてしまうだろう。しかし言わなければ前衛兵の心を動かす事はできない。
どうする。
「……………………」
「…………反論は、無いな」
結局、妙案が見付かる前にタイムアップとなってしまった。
「……………………」
マズい。
衛兵が味方に付いてくれないとなると、襲撃に対応する事などとてもできない。いや、そもそも対応なんてできるのか? 白女や黒女に対し、幾ら警戒をしていた所で無駄ではないか? 結局多くの衛兵が倒れ伏す事になるのなら、自分の身を最優先に行動するのがよいのではないか?
考えがブレ始める。
「……………………」
「……但し」
トイレ男が紙に何も書き込もうとしないのを見て、前衛兵は口を開いた。
「そちらが頭の可怪しい狂人でない限り、あの様な事を言う必要は無い。という訳で君がその話を聴いた時の詳細を教えて欲しい」
「……………………」
どうやらまだ衛兵を味方にできる目は残っている様だ。
トイレ男は頷き、紙にペンを走らせる。
時々思い出すフリをして考え込んだのは言うまでもない。
◊◊◊
「へ? 親父マジ?」
「マジだ」
その言葉に男はポリポリと後頭部を掻いた。
黒い服を着た男だ。背はそれ程高くなく、童顔も相俟って子供に見えなくもない男だ。
「考え直さね?」
「直さない」
どうやら相手は既に意志を決めた様だった。
「……どうしても?」
「どうしてもだ」
黒男はスぅーと息を吐いた。こうなったら相手はもう絶対に意見を曲げない。長年一緒に居るからそんな事を知っていた。
「やっぱり……」
しかしそれでも食い下がってしまうのは、彼が今日はもうやる事無いぞと寝る気満々であったからであろう。仲間のミスに感謝してみたものだが、糠喜びであったと判った今やはりミスは赦さねぇと思っていた。
「
「え、白姉も?」
「そうだ」
黒男は首を傾げる。白姉といえば今回ミスをした奴だ。夕方、皆が作戦の配置に着き始めた頃に一般人に仲間と話しているのを聴かれたかも知れずその上にその人間を逃がすという結構致命的なミスをしたのだが。
「……ったーよ。じゃぁ作戦の一部が漏れててもやる理由を教えてくれ」
黒男はその辺りは訊かない事にした。黒男と白姉では立場が違うのである。きっと二人の間で大人の対話が有ったのだろう。それは黒男が気にする事ではないし、気にしようとも思わないし、気にしたくもない。
しかしそれでも決行というのは気が進まない。寝る直前であったという事を差し引いても、元々作戦は奇襲の上で行われる予定であったのだ。相手に知られれば奇襲は奇襲ではなくなる。なので成功率は格段に下がり、逆に命を喪う可能性は大きく上がる。にも関わらず目の前の人物が自分をそんな所に追い遣ろうとした理由が気になった。
黒男の問いに相手は、
「思っていたよりも衛兵が警戒した様子が無い。例の奴が衛兵に言わなかったか、言ったが衛兵が信じなかったか、或いはそもそも例の奴が聴いていなかったのどれかだろう。それならば別に支障は無かろう?」
「……それなら、まぁ」
相手が警戒していないのならば奇襲は成立する。こちらを釣る為に敢えて無警戒を装っているのかも知れないが、それでも完全に無警戒にするのは難しいものだ。人間、襲撃が有ると判っていれば見張りを増やさずには居られないものである。それすら無いというのなら、少なくとも衛兵には情報は漏れていないのかも知れない。
「納得したか?」
「あぁ、解ったよ。俺、ディグリー、ペテル、アーニ、白姉のほぼ総戦力で行くんだな」
「そうだ」
「御褒美待ってるぜ。結構な額なんだろ? 寝れると思ってたのに働かされるんだから、普段よりは貰えるだろ?」
やってやるから多めに金を寄越せ。
そう言った黒男に、相手は少々眉を顰めた。
「……考えておく」
それはとても信用できなかった。後で何事も無かったかの様に振る舞われるのがオチだ。
「断言しろ」
「…………解った、いつもより多めにしておこう」
「どんぐらいだ?」
以前ここまでは言わせたものの雀の涙程しか増えて無かった事が有るのでまだまだ油断はできなかった。
「……………………一
「一割」
「……………………二分」
「一割」
「……………………二分五厘」
「一割」
「…………三分だ。これ以上は厳しい」
「四分な。忘れんなよ」
はぁ、と相手が重い溜息を吐いた。
ここまで行けば大丈夫だろう。黒男は増額分の使い道にワクワクと思いを馳せながら、仲間を呼びに言ったのであった。