バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

【原神】からかい上手のナヒーダさん #19 - 背中の温もり【二次創作小説】


休憩を終えた後、俺たちは再び洞窟の奥へと進み始めた。お姫様抱っこから解放されてからしばらく経つが、まだナヒーダの体重を腕に感じているような錯覚がある。

 洞窟の通路は再び狭くなり、時折足場も不安定になってきた。壁からは水が滴り落ち、床は湿って滑りやすくなっている。天井も低くなり、時には頭を下げなければ進めないほどだ。

「だいぶ奥に来たみたいだな」

 俺の言葉に、ナヒーダは頷いた。

「ええ、死域の気配も強くなってきているわ。おそらく、この洞窟の最奥部に近づいているのでしょうね」

 彼女の表情に、真剣さが戻ってきた。からかいモードを離れ、草神としての威厳が滲む。任務の重要性を思い出させるような、そんな雰囲気だ。

 二人で慎重に足を進める。しかし、その歩みは突然、障害物によって遮られた。

 通路の先で、道が水に遮られていたのだ。小さな地下水脈が通路を横切り、浅い池を形成している。水の広がりは5メートルほどで、その向こうに道が続いているのが見える。

 水深はそれほど深くなさそうだが、視界が濁っているため正確には分からない。また、周囲を見回してみても、この水場を迂回できるような道は見当たらない。

「……渡るしかないか」

 俺はそう呟き、靴を脱ぎ始めた。湿った靴のまま長時間歩くのは避けたいし、水に濡れた靴での歩行は滑りやすくて危険だ。

 靴下も脱いで、水に足を浸ける準備をする。すると、ナヒーダがすっと俺の服の袖を引っ張った。

「ねえ、旅人」

 彼女の声には、どことなく甘い調子が混じっている。また何かを企んでいるのだろうか。

「……なんだ?」

 警戒心を隠せないまま応じると、ナヒーダは小さく微笑んだ。

「私をおんぶしてくれない?」

「……は?」

 思わず、ナヒーダの顔を見返す。彼女は軽く小首をかしげ、じっと俺を見つめていた。その紫がかった瞳には、明らかな期待と、少しの悪戯心が浮かんでいる。

「いや、待てよ。これくらい自分で渡れるだろ?」

 素直な疑問を口にする。ナヒーダは小柄とはいえ、一人で歩けないほど弱々しい存在ではない。むしろ、草神としての力は俺を遥かに超えている。

「ええ、渡れるわ」

 彼女は率直に認めた後、彼女特有の靴——スメールの装飾が施された、裸足が出る形のブーツを指差した。

「でも……足が濡れるのは嫌だもの」

 ナヒーダは、少し拗ねたように唇を尖らせる。そして、ほんの少しだけ眉を下げ、「お願い」と小さな声で続けた。

(……うっ。そんな顔、反則だろ……)

 正直、この程度の水ならナヒーダだって普通に歩けるはずだ。でも、俺が渋っているのを分かっているのか、彼女はじっと俺を見上げたまま動かない。

「それに」

 ナヒーダはさらに理由を付け加えた。

「考えてみて。私たち二人とも濡れるよりは、一人だけ濡れる方が効率的じゃない?」

 その論理には一理ある。確かに、二人とも足を濡らして歩くよりは、一人が濡れて、もう一人をおんぶする方が、トータルでは「濡れる量」は少なくなる。

「それに、もし死域との戦闘になった時、二人とも足が濡れていると動きにくいでしょう? 少なくとも一人は乾いた状態でいる方が戦略的ではないかしら」

 屁理屈のようでいて、実は理にかなった意見だった。神としての知恵が感じられる論理展開に、少し感心してしまう。

(……くそっ、またしてもナヒーダのペース……!)

 結局、俺はため息をつき、ゆっくりとしゃがみ込む。屈辱感と共に、微かな期待も感じながら。

「……分かったよ。乗れ」

「ふふっ、ありがとう」

 ナヒーダは嬉しそうに微笑むと、そっと俺の背中に乗る。その瞬間——

「……っ!」

 ナヒーダの体がぴたりと密着する。思ったよりも軽いけど、背中に柔らかい感触と彼女の体温が伝わってきて、妙に意識してしまう。背中に感じる彼女の柔らかさに、頬が熱くなる。

(お、落ち着け……俺はただ、ナヒーダを運ぶだけだ……!)

 そう自分に言い聞かせながら、ナヒーダの脚を支えるようにしっかりと掴む。彼女の肌に直接触れることを避けようと、できるだけ衣服の部分を持つようにするが、完全には避けられない。

 しっかりとナヒーダを背負い、俺は慎重に足を踏み出す。水面に足先が触れた瞬間——

「ひゃっ……!」

 冷たい水が足首を包む。予想以上の冷たさに、思わず息をのんだ。春とはいえ、地下水は驚くほど冷たく、足がかじかみそうだ。

 ナヒーダは俺の背中でくすくす笑った。

「旅人、冷たくない?」

 からかうような声音に、少しイラッとする。

「……めちゃくちゃ冷たいに決まってるだろ!」

 思わず声を荒げると、彼女はさらに楽しそうに笑った。

「ふふっ。でも私は快適よ?」

「そりゃそうだろ……」

 皮肉交じりに返すが、彼女の楽しそうな様子を想像すると、不思議と怒りは湧いてこない。

 俺が歯を食いしばりながら水の中を進んでいる間、ナヒーダはご機嫌な様子で俺の首に軽く腕を回してきた。その感触に、また動揺が走る。

「ねえ、旅人?」

「……なんだよ」

 気を散らされないように、ひたすら足元と前方を見つめながら応じる。

「また転ばないように、ゆっくり進んでね?」

 その言葉と同時に、ナヒーダがそっと力を込めて抱きついてくる。首に回した腕に少し力が加わり、背中への密着度が増した。

(くっ……落ち着け……今すぐ全力ダッシュで向こう岸まで駆け抜けたい衝動に駆られるが、もし転んでしまったら……)

 万が一転倒すれば、ナヒーダもろとも水の中に落ちることになる。草神を泥だらけにしてしまうなんて、考えるだけで恐ろしい。

 俺がそんなことを考えた瞬間、ナヒーダがくすっと笑って耳元で囁いた。

「もし転んだら……罰ゲームは何にしようかしら?」

「~~~~っ!!」

 耳元で響く彼女の声に、心臓が一気に跳ね上がるのを感じた。温かい吐息が耳に触れ、思わず身震いする。

(こ、これはマズい……!)

 ナヒーダの体温が直に伝わり、意識がぐちゃぐちゃになりそうになる。なのに、俺が動揺すればするほど、彼女はますます楽しそうに微笑んでいる気がする。

「……あぁ、わかったよ。慎重にな……」

 そう返しながら、俺は水中での足運びに最大限の注意を払った。変なことを考えないように、ひたすら足元に集中するしかない。

 水中の底は意外と滑りやすく、時折小石や凹凸があって歩きにくい。しかも、水の抵抗で動きも鈍くなる。おまけに冷たさで足の感覚も鈍っている。

 それでも、一歩一歩慎重に進み、少しずつ前に進んでいく。背中のナヒーダが少し身じろぎするたびに、バランスを保つのに集中しなければならない。

 水の中を進んでいくうちに、少し不思議な感覚に気づいた。足元を流れる水が、徐々にぬるくなっているような気がする。最初はひどく冷たかったのに、今はそれほど不快ではない。

「あれ? 水の温度が変わった気がする」

 ナヒーダは俺の肩越しに水面を見つめた。

「不思議ね。この洞窟の奥に……もしかしたら温泉があるのかもしれないわ」

「温泉? こんな地下に?」

「ええ。スメールの地下には地熱活動が活発な場所があるの。死域の浄化が終わったら、探してみましょうか?」

 その提案に、少し期待が膨らむ。長い洞窟探索の疲れを癒せるかもしれない。

「それはいいな」

 会話をしながら進んでいくうちに、ようやく水場の終わりが見えてきた。あと数歩で岸に到着だ。

「もう少しね」

 ナヒーダの声が、耳の近くで響く。ここまで来れば安心だが、油断して転ぶ展開だけは避けなければならない。念のため、最後まで気を抜かずに進む。

 ようやく岸に足をかけ、水から出ることができた。俺は安堵の息をつくと、ゆっくりとしゃがんでナヒーダを降ろす。

「ありがとう、旅人。とても助かったわ」

 ナヒーダは俺の背中から降り、衣服のしわを整える。彼女の顔には満足げな笑みが浮かんでいる。

「俺は靴を履くから、先に行っててくれ」

 そう言って、濡れた足を拭き始める。幸い、岸辺には乾いた岩があり、そこに腰掛けて靴下と靴を履くことができる。

 ナヒーダは少し先に進み、洞窟の様子を観察している。彼女の姿は小さいが、その立ち姿には神としての威厳が漂っている。

「ねえ、旅人」

 彼女が振り返り、声をかけてきた。その表情は先ほどまでの遊び心から一変し、真剣なものへと変わっていた。

「死域の気配が強くなってきているわ。おそらく、この先に最後の死域があるのでしょう」

 俺も靴を履き終わると、立ち上がって彼女の元へ向かう。

「最後の死域か…」

 これまでの探索で、いくつかの死域を浄化してきた。それぞれが強力な魔物を呼び寄せ、危険な戦いを強いられた。最後の死域はさらに強力である可能性が高い。

「準備はいい?」

 ナヒーダの問いかけに、俺は頷く。彼女も同様に頷き返した。

「行こう。この任務をやり遂げよう」

 二人で前を向き、洞窟の最奥部へと足を進める。背中には、まだかすかにナヒーダの温もりが残っているような気がした。

 この洞窟探索で、さまざまな感情が芽生え、二人の距離は少しずつ変化していった。からかいや戸惑い、緊張や安堵。そんな複雑な感情の先に何があるのか。

 最後の死域との戦いを前に、俺の心は不思議と穏やかだった。ナヒーダがそばにいれば、どんな強敵も倒せるような気がしていた。

 二人の足音が洞窟の壁に反響し、その先に待ち受ける最後の戦いへと向かっていった。

しおり