第86話 『武悪』の性能と言うもの
誠達、機動部隊隊員の姿は今はハンガーにあった。
「起動準備!島田、固定状態はどうだ?しっかり固定しとけよ!こいつのエンジンは本当に特殊なんだ!固定が不完全だとどうなっても知らねーかんな!」
ランの言葉がハンガーに響いた。島田は黒いシュツルム・パンツァー、『武悪』の前で部下達のハンドサインを待った。
「固定状況異常なし!しっかりやってますよ!問題なんて何一つありません!」
いつものふざけた調子から緊張感を感じさせる声で叫ぶ島田の声に空気がぴんと張り詰めたように感じられた。それが黒い機体の周囲に浮かんでは消える干渉空間の振動のせいだと気づいたとき、誠はヘッドギアをつけてタイミングを計っているランの顔に目を向けた。
「よし!ひよこの方はどうだ!そっちのデータ収集も貴重な機会だかんな!このエンジンはおいそれと始動できない構造になってんだ!この機会を逃すなよ!」
ランが武悪の隣に置かれている簡易法術調整装置をいじっている神前ひよこに声をかけた。ひよこはすぐに手を当ててコックピット内部にいる嵯峨の法術展開状況が最適値に達していることを示した。
「オーケーです!ちゃんと記録もとってますよ!」
ひよこは緊張した面持ちでそう答えた。
「よし!じゃあ、隊長!起動開始してください」
『ハーイ。まったく面倒なことになっちゃったねえ』
ランの言葉に抜けたような返事をしている嵯峨の姿が一階のハンガーの隣にある管制室に映った。実働部隊の今日の当番の第一、第二小隊の面々もそこにつめていた。
「狭い……」
かえでの副官の渡辺リンがそう言うので隣に立っていた誠は少し反対に体をひねった。『武悪』の特殊な構造のエンジンの暴走に備えてハンガー狭しと敷き詰められた土嚢で誠達パイロットのいる場所のスペースは四畳半ほどの狭いものとなっていた。
「誠ちゃん……手が当たるんだけど」
やわらかい腕に当たるやわらかい感触とアメリアの声に誠は手を引っ込めた。それを見たかなめは振り向いて誠をにらみつけた。一方のカウラは画面に映されたくわえタバコでエンジン起動実験を開始している嵯峨を見つめていた。
『とりあえず……現在俺が無理して維持している干渉空間を制御してエンジンのバイパスと連結させれば良いんだな?まったく『最弱の法術師』へのこの仕打ちはどうしたもんかと思うぞ。俺はそんなに万能じゃねえんだ。こんなことならこの機体、神前にくれてやれば良かった』
嵯峨はパイロットスーツではなく普段の勤務服のままコックピットに座っていた。誠も何度か模擬戦の時に相手をしたことがあるが、嵯峨のパイロットスーツ嫌いは徹底していた。
「お願いします。展開率80パーセントを越えた時点で対消滅エンジンの炉を展開空間に干渉空間に移動させますからそのタイミングを間違えないように」
ランは慎重に指示を出した。対消滅エンジンの発する熱気でむせかえる管制室。彼女は額の汗をぬぐうと後ろで固まっている野次馬達に目を移した。
「こんな一般の任務に出てくることの考えられない機体の見物に全員集合とは……暇というか……何というか……」
真面目なカウラは勤務時間中に機動部隊員全員が見物しているこの光景を見てそうこぼした。
「まあ、言うなよ。もしこいつが出動なんてことになったらアタシ等の戦術も変わってくるんだ。まーそんな許可を司法局本局が出すと思わねえしな。それ以前に『ビッグブラザー』がその状況を許さねーだろーな。それほどまでのこいつの実力はこれまでのシュツルム・パンツァーのそれを凌駕している」
その隣でほかの野次馬と同じくランは薄ら笑いを浮かべつつそう答えた。かなめは必死になって管制用モニターの空いているのを見つけて自分の機体のスペックを再確認していた。
「西園寺……だからちゃんとさっきそこら辺の確認をしておけって言ったんだ。今更スペックなんて見ても無駄だって」
ランはいらだたしげに必死に起動手順を暗記しようとしているサラにため息をついた。
「でも大丈夫だよ。初めてじゃないし」
「まあ、それでもミスは許されねーぞ。場合によっては神前に乗ってもらうことになるかも知れないからな。まあ、こんな化け物みたいで乗りにくい機体を神前みたいな素人同然のパイロットに扱わせるような真似はしたくはねーけどな」
そう言ってランは皮肉を言いそうな笑みで誠を見上げた。
『おーい、クバルカ。どこまで出力上げればいいの?俺の力にも限界が有るんだよ。手加減ぐらいしてくれよ』
画像の中、嵯峨は余裕で鼻歌交じりである。スロットルインジケーターは順調に上がる。すでに出力は10パーセントを超えていた。
「この時点で05式と互角のパワー……化け物だな、こりゃ。まあ、エンジンの出力はこれでも手足のアクチュエーターがパワーに耐えきれねえだろうからな。戦う相手としてはなんとかなるかも知れねえ」
かなめは首筋にコードを差し込んで試験状態をチェックしながらニヤついていた。誠も目の前の黒い機体が化け物と呼ばれる由来がよくわかってきた。
「とりあえずノーマルのシステムで対応可能なラインまで回してみてください。そこでデータを取った後で本稼動の試験を行うかどうかの判断をしますから」
ひよこの言葉に嵯峨は余裕で頷いた。
「よくまああれほど余裕な表情ができるねー。あのおっさんの神経はどうなってるんだ?今は相当な負荷が精神にかかってるはずだぞ」
呆れたというようにランがつぶやいた。そして急にエンジン音が途切れた。
「駆動炉を干渉空間に移行したか……」
場違いなほどに緊張した言葉に、誠が振り向けばつなぎを着たままのかえでが親指のつめを口でかみながら画面を見つめていた。