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「どうすんだよっ」
 実行委員が焦りの声を上げる。
「どうって……もう、中止しかないじゃんっ」
 もう一人が、頭を抱える。
「けどさ、これって今日の目玉じゃねぇのっ? せっかくの学祭なのにさぁ!」

 ここは体育館裏。
 今日のメインイベントでもあった、澤田明日香(さわだあすか)のミニコンサートが中止になった。とはいえ、このことを知っているのはここに集まっている文化祭実行委員の三人だけである。

 澤田明日香は学内でも有名な美人で、SNSで配信などもしている、ちょっとしたアイドル的存在であり、そんな彼女が体育館でのミニコンサートを引き受けてくれたのは、実行委員の中に澤田明日香の想い人がいるからだ。

「大体、このタイミングで真広が澤田さん振ったりするからだぞっ」
 傍らで慌てている二人を尻目に、名を呼ばれた加賀見真広(かがみまひろ)はポリポリと頭を掻き「すまん」と反省の色まるでなしの謝罪を投げる。
「ったく、なんで澤田さんはこんなやつが好きなんだ!」
「まったくだぜ!」
 真広と同じクラスの敦樹(あつき)俊成(としなり)が地団太を踏む。

「マジで、このまま中止かよっ」
「ああああ、どうすんだよ~!」
 騒ぐ二人を前に、真広は携帯を取り出し、ポチポチと文字を打ち始める。
「おい、真広、なにしてんだよ?」
 敦樹に聞かれ、
「あ、うん、代わりを探してる」

「はぁぁ? 澤田さんの代わりになるような女子が、この学校にいるのかよっ?」
「そうだよっ。ミニとはいえ、コンサートだぜ? 歌が歌える可愛い女子なんかっ」
「いる」
 頭ごなしに否定してくる敦樹と俊成の言葉をぶった切り、真広は送信ボタンを押した。
「ただ、出てくれるかどうか……」

「どこの誰だよ?」
「俺ら、知ってる子?」
 興味が湧いたのか、二人はズイ、と身を乗り出す。
「教えない」
「は?」
「なんでっ?」
「これは緊急事態だ。だから対応してる。元々、彼女を表舞台に引っ張り出す気なんかなかったし、正体も明かせないから」

 真広はそう言って二人を牽制する。と、口をあんぐり開いている二人を尻目に、着信音が鳴る。
 素早く携帯に目を落とすと、真広はにんまりと笑って見せた。
「俺のミューズがOKをくれた」
「ミューズって……」
「いや、マジで、誰?」
 敦樹と俊成は、首を捻っている。



「演劇部の公演は終わってるから問題ないけどさ、ほんとこういうのやめてよね、真広!」
 衝立の向こうからつんけんした声がする。
 その声を聞き、真広は微笑んだ。

「だって、俺のミューズの声が体育館で聞ける機会なんかなかなかないだろ? それに、本当のところ、マジで困ってんだ。だから、有難い」
 少し照れたような……いや、デレたような口調の真広に、声の主……萩野雨歌(はぎのうか)が言い放つ。

「今回きりだからね、歌なんてっ」
「わかってる。俺だって本当は、雨歌をこんな風にみんなに見せたくはないし」
 ここぞとばかり独占欲を前面に押し出す。
「……で、何を歌えばいいわけ? ミュージカル? オペラ? ゴスペル? 演歌? シャンソン?」
 思いつく限り次々に案を出す雨歌を、真広が止める。

「ちょ、待てって。体育館でやるメインのミニコンサートだぞ? オペラや演歌はないだろう? それに今着替えてる服から、ある程度想像は出来てるんでしょ?」
「まぁ、そうだけど。じゃ、流行りの歌とかでいいのね? 私、あんまり最近の歌わかんないんだけどな」
 衝立から姿を見せた雨歌は、ミニのワンピースからスラリと長い足を出し、首を傾げた。

「俺のミューズ、やっぱ出すのよそうかな」
 真広が真顔でコメントをする。雨歌はそんな真広を一瞥し、何も言わず鏡台の前に座ると、メイクを始める。元々目鼻立ちはハッキリしているが、普段は前髪を伸ばし、大きな丸メガネをかけ目立たないように気を付けていた。学校では極力目立たず、地味な生徒を演じている。演劇部所属ではあるが、裏方しかやっていないのもそのためだ。

「こんな風に、衣装とメイクだけで別人になれるんだもんな。さすが俺のミューズ」
 手際よく化粧をする雨歌を見ながら、真広が呟く。
「そのミューズっての、やめてくんない? キモい」
「だって『女優』って言われるのは嫌なんだろ?」
「……そうね。私は女優じゃなく『役者』だから」
 それは雨歌のこだわりでもあり、信念でもあった。

『役者に必要な色は、九つ。虹の色……赤・橙・黄・緑・青・藍・紫。それに、安息の黒と、絶望の白を足した九色なの』

 とある大女優の言葉である。

「じゃ、やっぱりミューズでいいじゃないか」
 真広が悪びれもせず、そう口にする。

 二人の付き合いは長い。雨歌はそれを「腐れ縁」だと思っているし、真広はそれを「運命」だと思っている。どこまでも噛み合わない二人である。

「真広、髪」
 雨歌が真広にブラシを手渡す。真広はそれを受け取ると、慣れた手つきで雨歌の髪を結っていく。背中まで伸びた髪を高い位置でまとめ、コテを使って巻きながら、更に結っていく。髪飾りを付け終わるころには、雨歌のメイクも終了していた。
 鏡に映るのは、誰が見ても芸能人としか思えないような女の子。

「音源は?」
「携帯から繋いで流す」
「曲数は?」
「MC入れないなら四曲……いや、アンコール入れて五曲かな」
「ん~」
 真広の注文を聞き、雨歌が考える。

 文化祭。
 体育館。
 アイドルの衣装で、四~五曲。
 誰の曲? セットリストは?
 脳内でシミュレーションをする。

「真広、あんたどのくらい踊れる?」
「は?」
 いきなりの貰い事故に、真広が慌てる。
「え? 俺はっ」
「逃げるな。巻き込んだのは真広の方」
 鋭い突っ込みに、思わず黙る。
「無理のない程度でいい。協力して」
「……わーったよ」
 真広が肩を竦めた。



 体育館にはもうかなりの生徒が入っている。その様子を見て、敦樹と俊成が顔面蒼白になっていた。そんな二人が真広を見つけ、駆け寄る。
「おい、真広!」
「どうすんだよマジでっ! すごい勢いで埋まってんだぜ、席!」

 真広はビビり散らかしている二人に、余裕の笑みで答える。
「大丈夫だ。準備はできてる。これ、セトリ」
 紙に手書きで書いたリストを二人に渡す。
「は?」
「マジで?」
 セトリを見ながら二人が声を上げる。

「一体誰がこれをっ?」
「それは聞くな。余計な詮索はなし、っていう条件で受けてもらってんだから」
 人差し指を立て、二人に向けた。
「俺、音響の方行かなきゃだから、お前らここで客の誘導とか頼むな」
 ポン、と二人の肩に手を置くと、真広はその場を後にする。
 敦樹がセトリをもう一度、見つめた。
 そこに書かれているのは、最近人気上昇中のアイドルグループの曲だった。
「澤田さんが出ないってバレた時点で、会場はブーイングだよな」
 二人はもし合わせたように、ハァァ、と溜息を吐いた。

 体育館に用意した椅子席は既にほぼ埋まっている。後ろには立ち見の客も集まり出した。その中に、澤田明日香と仲のいいグループの町田美緒《まちだみお》がいた。てっきり中止になると思っていたコンサートが中止になっていないと知り、明日香が様子を知りたくて体育館に差し向けたのだ。
「お客入ってるじゃん。どうなってんのこれ?」
 携帯で明日香に会場の写真を送る。

『中止の連絡はなし。あと五分で開始時刻なのに』
 メッセージを素早く打ち込み、送る。
『は? なにそれ?』
 画面の向こうでイライラしてるであろう、明日香の姿が容易に想像できる。自分をこっぴどく振った加賀見真広を困らせるつもりでドタキャンした舞台。頭を下げに来たら出てあげるつもり、と自信満々に口にしていた彼女に、しかし真広からの謝罪はない。

 入っている客は皆、澤田明日香というアイドルの舞台が見たくて集まっているはずだ。ここで別の誰かを出すようなことをすれば、総スカンを食う可能性が高い。それなのに、特に騒ぎ立てる実行委員の姿があるわけでもなく、客入れを続けている。
「そろそろ始まるわ」
 時計の針が、開始時刻を告げる。

 体育館の照明が落ちる。
 体育館のザワザワが少しずつ収まる。緞帳が静かに上がると同時に、音楽が聞こえる。
「え? これって……」
「マーメイドテイルの曲?」
「澤田明日香が、マーメイドテイル歌うのっ?」
 会場から驚きの声が上がる。美緒は慌てて明日香に電話を掛ける。
「始まるみたいなんだけど」
 テレビ通話に設定し、舞台に向ける。

 緞帳の向こうには、ミニスカートでマイクを持ち、踊っている誰かが見える。
「え? あれ誰?」
「明日香ちゃんじゃなくない?」
 会場が一斉にどよめく。だが、舞台の上の「誰か」はそんなことお構いなしに小気味よくステップを踏む。イントロから、それがマーメイドテイルの曲だとわかる。わかるが……舞台にいるのはひとりだ。それに対し、マーメイドテイルは四人グループ。歌のパートもダンスも、四人だから成り立つのであって……

「さぁ、みんなぁ! 今日は飛ばすぞぉぉ!」

 舞台の「誰か」がたった一言、そう叫んだ。
 それだけだ。
 なのに……。

「きゃ~~~!」
「おおおおお!」
「誰かわかんないけど、めちゃくちゃ可愛い!」
 黄色い声援が、飛んだ。

「最初の曲は、『シンクロ』だぁ!」

 「誰か」がそう言って拳を上げる。マーメイドテイルのデビュー曲であり、そして最大のヒット曲。
 会場の雰囲気が、ガラリと変わった。

*・:..。o¢o。..:・*・:..。o¢o。..:・*

新学期ってさ いつも憂鬱
変化に耐えられない 私たち
繊細だなんて 言う気はないけど
ナーバスな心 隠しきれずに

隣の席で いつもはしゃいでた
君ははまるで 少年みたいだ
くだらない話を いつでも
特別みたいに 思っていたんだ

シンクロしたいよ 君の心に
離れ離れに いつかなっても
シンクロしたいよ 君の記憶に
同じ風景の中にいたんだって きっと覚えていて

忘れないで
覚えていて

*・:..。o¢o。..:・*・:..。o¢o。..:・*

 舞台を見る生徒たちは、そこに立つのが澤田明日香ではないということは理解しているはずだ。しかし、そんなことは関係なく舞台の上の「誰か」に釘付けになっている。
 圧倒的な歌唱力。ダンスのキレ。マーメイドテイルの真似をしているわけではない。彼女はまるで自分の持ち歌であるかのように、舞台を駆け巡り、踊り、歌っているのだ。

「さすがだな、俺のミューズ」
 舞台袖では真広が舞台上の雨歌を見て目を細めていた。
 雨歌に話を持ち掛け、舞台が始まるまでは二時間足らず。その間にすべてを考え、マーメイドテイルのライブ映像を見て、ここまで再現するのだ。

 天才的な才能を持つ役者。
 改めて、それを見せつけられる。

「さて、俺も準備するか」
 真広は制服を脱ぎ、黒いジャージに着替える。黒いマスクをし、黒いキャップを目深に被る。

 一曲目が、もうすぐ終わる。



 ジャン!
 曲が終わり、雨歌が最後のポーズを決めると、会場からは割れんばかりの拍手と声援が飛んだ。雨歌は深々と頭を下げると、マイクを持ち直した。

「会場の皆さん、ようこそ!」
 大袈裟な手振りで声を張る。もちろん、普段の雨歌が出す声とはまるで別人である。
「澤田明日香さんが急に出演できなくなってしまったため、代打として歌わせていただきますっ」

 会場から「ええ~?」「どういうこと?」とブーイングが起こる。当然だろう。しかし、想定していたほどの声ではない。観客は、この得体のしれない「誰か」に、既に期待の目を向け始めているのだ。

「次の曲、行ってみよう! 『未来へ』……レッツゴー!」

 「未来へ」もマーメイドテイルのダンスナンバー。ダンスパフォーマー「END」のメンバーとコラボした曲で、激しい掛け合いダンスが特徴である。これをひとりでというのは、無理がある。この曲を知るものなら誰もがそう思うだろう。 
 しかし……

「え? 誰あれっ?」
 舞台にもう一人出てきたのである。
「ちょっと、どうなってんのーっ?」
「黒い人すごい! やばい!」
 舞台の二人が踊る。激しいダンス合戦が始まったのだ。



 全部で四曲を歌い、雨歌が舞台を降りる。

 だが、会場からのアンコールが止まない。雨歌は予定通りアンコールを含め五曲を歌い切った。アンコールではバラードを歌い、余韻を残したまま舞台からはける。そのまま舞台袖で衣装を脱ぎ捨て、制服へと着替えを済ませる。メイクを拭き落としメガネをかけると、パーカーを頭から被り、裏から校舎へと姿を消した。

 制服に着替え終えた真広が、舞台袖からマイクを通しコンサートの終了を宣言すると、体育館は大騒ぎになったのである。



 歌姫の話は、瞬く間に学校中に知れ渡ることになった。文化祭実行委員だった三人は、コンサートの担当だったこともあり、歌姫の正体を知りたい生徒たちから質問攻めに遭っていた。
 もちろん、知らないと言い張ったが。
 その話題は文化祭が終わってからも、しばらく収まることはなかった。

「真広くんっ」
 昇降口で声を掛けてきたのは、澤田明日香。
 彼女もまた、しつこいほどに文化祭の歌姫は誰なんだと聞いてきていたが、真広は答えなかった。

「今帰り?」
 部活終わり、こうして待ち伏せされるのも何度目だろう。ハッキリと断りを入れたはずなのに、どうにも明日香は諦めが悪い。

「うん、まぁ」
 曖昧に返し、靴を履く。
「私もなんだ。一緒に帰ろう!」
 真広は小さく息を吐き、
「いや、俺ちょっと」
 と言葉を濁し歩き出す。が、明日香はお構いなしだ。

「私さ、今やってる配信で変な人に目付けられて、ひとりで帰るの怖いの」
 なんだかんだ理由を付け、体を寄せてくる。
 真広は天を仰ぎ、明日香の話を聞き流す。

 校門を出ると、門柱に体を預け腕組みをする短髪の美女が立っていた。ダボっとしたトレーナーにひざ丈のタイトスカート。特に派手な装いではないのに、妙な色気と、美しさ。道行く男たちが彼女を見ては「ヒュ~」と声を上げる。

「あ」
 真広は彼女に気付くと、立ち止まった。明日香が怪訝な顔で真広と門柱の女性を見遣る。
「知り合い?」

 二人に気付いた女性が、パッと顔を上げた。
 まるでその場に花が咲いたかのような華やかさと、熱い視線。

「真広!」
 女性が満面の笑みで真広に駆け寄った。
 真広もまた、優しい眼差しを彼女に向けた。
 それがどういうことか、説明を聞くまでもない。

「……もしかして、彼女?」
 引き攣った笑顔で明日香が訊ねる。真広は照れたように頬を掻く。

「真広、行こう」
 女性が真広の腰に手を回し、体をこすりつける。その目は真広しか見えていないかのように一途だ。

「澤田さん、じゃ、ここで」
 真広は彼女の肩に手を回した。熱っぽい視線同士がぶつかり合い、もはや明日香の存在など、どこにもない。
「あ、うん……」
 明日香はそれ以上何も言えず、その場に立ち尽くし二人を見送る。

 
「これは貸しだからね」
 真広の腰に絡みついたまま、ウイッグを付けた雨歌が小さく言った。
「ショートも最高に似合うな。一生隣にいてくれ、雨歌」
 真広は口元を歪めている。
「は? 話聞いてる?」
「まぁ、そう言うなって」
 腰に回していた雨歌の手を取ると、指を絡めて手を繋ぐ。
「あ、こらっ」
「俺のミューズ、今は(・・)俺の彼女だろ?」
 そう言って真広は、満足気に笑った。



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