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42話 嫡男様の甘々(奇行)に、治療係はピーク寸前です

 その翌日も王宮へ同行したエリザは、――知らせを受けて、ようやく会うことができたフィサリスに泣きついた。

「殿下っ、呪解の方法見つかりましたか!? 私もう耐えられませんんんんんんぅ!」

 執務室に迎え入れた彼は、目を丸くした。

「まぁ何があったのかは分からないけと、とりあえず落ちついてね?」

 フィサリスはすぐ微笑みを戻すと、エリザをなだめながら一人掛けソファへと導いた。

 そこに座ったエリザは、先程までの羞恥を思い返して顔を両手で覆った。

 そして、クリスティーナと茶会があった日に『勘違い(?)でベッドに押し倒された事件』から全部、フィサリスに怒涛のように話すこととなった。

「え? いやそれ、勘違いではなく――」
「しかも昨日は、指を食べられましたっ! 全然私と以心伝心していなくて、いや話しているのに話しがかみ合わないというか!」
「うん、君も話を全然聞いていないね」

 昨日あった『指を食べられる事件』も散々だった。

 それから王宮の廊下であったキャンディーのあと、屋敷に戻った夜も、ジークハルトに「怖い夢を見そうなので眠るまでお話をしてください」というおねだりをしつこくされるという出来事があった。

 エリザは男だと思われているが、女なのだ。

 同衾なんて絶っっっ対に無理。エリザが、異性と添い寝とかできない。

 というか、へたしたらバレて大変なことになる。これまで築き上げた治療係とその生徒(?)であるジークハルトの信頼関係が損なわれるうえ、彼が女性恐怖症で寝込むことになって翌日出仕できなかったら、全責任を負える自信がない。

「王子様に『仕事たせて』と言われているのに、それもできなくなったら治療係としてどんな罰がされるか分からないし……うっうっ……」
「あはは、もうツッコミどころいっぱいなんだけど、そもそもジークって怖い夢がどうのっていうタイプだったかな?」

 エリザは、話しの途中途中に放り込まれるフィサリスの言葉は聞いていなかった。

 もう、とにかく、話を聞いて欲しかったのである。

 その『眠るまでお話して』のおねだりを回避した翌日、つまり今朝だ。

 ラドフォード公爵家の侍女長モニカが、エリザに「小腹がすいたら食べてくださいね」と気を利かせて手製のクッキーを持たせてくれた。もちろん、王宮で『待つ』時間が長いエリザのために、である。

 ジークハルトが羨ましがったので、もちろん分ける――とは馬車の中で約束した。

 だが、ジークハルトは、あろうことか同僚や部下達が集まった訓練場の前で、頭を屈めて目線をエリザに合わせ、堂々こんなことをねだってきたのだ。

『今食べたいので、クッキーを食べさせてください』
『は……え、嘘ですよね? ご自分で取って食べるとかでは――』
『ないですね。エリオの手から、食べたいです』

 周囲一帯がぎこちない沈黙に包まれた。

「もうっ、とにかくおかしいんですよ! この前報告書で教えた、術の実行者と接触してから!」
「あー……ロッカス伯爵令嬢と令息が訪問した日かな?」
「まさにそれです! その日です!」

 エリザはたまらず、顔を両手で隠したまま「うおぉおぉっ」とソファの上をゴロゴロした。

 その間にもフィサリウスつきのメイド達が、手早くエリザの分の紅茶を用意し、テーブルに甘いクッキーを揃えていた。

「たぶんこの国の大昔の魔法って、厄介なんだと思いますっ」
「とすると?」

 フィサリウスは、持ち上げたティーカップの上の湯気に息を吹きかける。

「クリスティーナ嬢と接触したことで作用、というか効果なんかが強まって悪化したに違いない……!」
「へー、それはどんなふうにかな」

 彼が言って、紅茶を口にした。ワゴンを押してメイド達が出て行く。

「恐らくなんですけど、私にとっては術の副作用的な!」

 そう!まさにれかも!とエリザは自己解決し、ソファからガバリと上体を起こした。

「ほら、私の〝聖女の体質〟の件ですっ。ジークハルトの慕いっぷりが、親に懐く幼児レベルに悪化しているのだと思います!」
「ごふっ」

 フィサリウスが、口にしていたティーカップに少し噴き出した。

「『幼児レベルで悪化している』って、ふ、ふふふ」
「悪い事ではありません!」
「ああ、うん、ごめんね。君は真剣だものね」

 ぶわっと泣いたエリザを見て、フィサリウスがさっとサンカチを出した。

「さすがは王子様」
「思ったことが口から出てるけど、それはまぁ今の状況なら仕方ないか。少し機嫌は直してもらったかな?」

 エリザはハンカチを目元にあて、こくりと頷く。

 ようやく静かになった彼女を見たフィサリウスが、小さくほっとした。

「あ~……まぁ、なんとなく分かったよ。うん。これはまた、自覚して吹っ切れた途端になかなか手強い」

 いったい何を言っているんだろう。意味が分からない。

「手強いっていうレベルじゃないですよっ」

 エリザは、ハンカチでテーブルをぺしぺしと叩いた。

「うん、君ってほんとすごいなぁ。見ていて面白いよ」
「何が!? 私、必死なの! 面白くないのっ」
「話していて楽しいよ。それで、君はジークにどきどきさせられて困っているわけ?」
「違います! ジークハルト様、人目があろうと堂々と甘えてくるようになって……これじゃあ」

 エリザは、大きな赤い目をうるっとした。

「ジークハルト様の精神年齢が周りから疑われますよぉぉぉおおおっ!」
「ぶはっ」

 予想外の『感想』を聞いたと言わんばかりに、フィサリウスが噴き出した。彼はエリザの反応を気にしてか、さっと口元に手を置く。

 けれどエリザは気づいていなかった。

「呪いのせいなのに、ジークハルト様自身がおかしなやつだと思われるのが嫌なんです。殿下達が女性恐怖症をお隠しになられているのも、私も、今になっては少し気持ちが分かる気がするんです」

 彼女はジークハルトの女性恐怖症の改善を手助けする中で、出来の悪い弟子か生徒のように愛着がわいていた。

 ジークハルトは呪いのせいで女性と長年距離を置いていたが、女性が苦手だという感覚もいい感じに改善されつつあった――ようには思うのだ。

 それなのに、呪いが悪化したせいで治療係ヘの明らかにおかしい態度が発生した。

「こ、このままでは『公爵家の嫡男なのに』とか悪評が立つかもしれないと考えると、申し訳なくてっ。私が治療係じゃなかったらこれほどまでにひどい副作用も出なかったと思うと……!」
「待った。ストップ、とりあえず落ち着いて」

 手の前にずいっと手を出されて、エリザはきょとんとした。

「まさか辞めた方がいいかもとか考えてる?」
「はい、私が治療係じゃない方がいいのではないかなと思って」
「それはだめ、やめよう、絶対に。うん」

 なぜかフィサリウスが力強くそう言った。

「君が『辞めます』なんて置手紙して屋敷から去ったら、それこそ大変な事になるから、絶対にやらないでね。ほんと、片っぱしから手当たり次第に壊滅させられるから」
「壊滅……?」

 やばい、泣いて頭が回っていないのか理解できない。

 ひとまずフィサリウスが自分を引き留めていることは分かってので、エリザは彼をじっと見つめ返した。

「私、ジークハルト様に奇行をさせちゃっている状態なんですが、まだ治療係として役に立つんですか?」
「うん。むしろ君じゃなかったら困る。出会った頃くらいだったら、まだどうにかなったかもしれないけど」

 エリザはしばし考え、「……はい?」と小首を傾げてしまった。

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