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10話 嫡男様と、新治療係

 治療係は、教育的指導をする教師のようなものだ。

 そう、エリザは就任一日目で思った。

 これから付きっ切りで治療係として仕事をするため、屋敷の二階の一室を借りることになった。

 ふかふかのベッド、立派な机。衣装タンスなども揃っている立派な部屋だ。すごく広い客人用の浴室も使っていいとのことが、エリザ的に一番嬉しいことだった。

 できるだけ同行し、ジークハルトの治療にあたる。毎日報告をまとめ、ラドフォード公爵の仕事を邪魔しないよう報告書を提出する。

 驚いたことは、ジークハルトが『殿下』の護衛騎士であることだった。

 わざわざ臨時で就任する治療係のために、『殿下』が顔合わせも兼ねて彼の半日を休暇にしたのには恐縮した。

 とはいえ、これからジークハルトの問題に関しては、治療係であるエリザに全て投げられるのだ。

 ――つまり、引きこもりも同様である。

「親睦を深めつつ屋敷内を案内してもらおうと思ったのですが……」
「初日からボイコットですか」

 部屋に荷物を仕分け、書斎室でラドフォード公爵と報告までの流れを話し合ったのち、セバスチャンに申し訳なさそうに告げられた。

 前向きであると聞いていただけに、早々に人見知りを発動されるとは思っていなかった。

「私、やはり彼の治療係としてはだめなのでは――」
「いいえ、そうではないのです」

 セバスチャンがやんわりと否定した。

「先日のエリオ様のお話をお聞きになられた旦那様が、少しでも協力をしようと、まずは症状を確認するために何人か手配し、案内する先々に用意しているのです」

 それを聞いて、エリザは悟りを得たように遠い目をした。

「ああ、つまり罠に嵌められる気配を本能的に感じている、と」

 すると、セバスチャンが「恐らくは」と控えめに肯定した。

 帰宅してきたジークハルトは、「女性の気配が増えているような気がする」と不安をこぼし、真っすぐ私室に閉じこもってしまっているのだという。

「ルディオは――仕事でしたっけ」
「はい。坊ちゃまの代わりに護衛業に入っているかと」

 直して間もない扉を、また壊すというのも気が引ける。

「壊すことが前提なのでございますか?」
「思考がつい口からこぼれましたが、違います。誤解されないように言っておくと、私は物理的に物事を解決しようとは考えていません」

 凛々しい顔をしたエリザを、セバスチャンはそうかなという顔で見ていた。

 道のりと扉の形を覚るために、彼に案内されジークハルトの私室へ向かう。とにかく屋敷は広くて、扉がたくさんあるのもややこしかった。

(時間がかからず説得できるといいけどなぁ)

 彼女はそう祈りながら、扉を二、三回ノックした。

「ジークハルト様、いらっしゃいますか? 本日より、短い間ですが治療係に就任した〝エリオ〟です」

 呼ばれるのと同じく、自分でそう名乗るのも慣れない。

(友達はルディオしかいないし、他からは【赤い魔法使い】としか呼ばれないもんな)

 しかし、この男の恰好で『エリザ』と名乗ると、相手が性別を勘違いしていた場合は『実は女性なんですよ』言葉を続けるのもややこしい。

 すると、数秒もしないうちに扉がゆっくりずつ開かれた。

 そこから、騎士服に身を包んだジークハルトが顔を覗かせた。一回目の対面と変わらず、明るい栗色の髪が似合う眩しすぎる美しいお顔である。

 ――扉から頑なに手を離さず、廊下の左右を確認していなければ完璧だったに違いない。

「ジークハルト様、いったい何をされているのでしょうか」

 エリザは、ひとまず笑顔を作って尋ねた。なんとなく推測できたので、こうでもしていないと顔面に全部思いが出そうだ。

「じょ、女性が隠れたりしていませんか?」
「隠れていません。ここにいるのは、私とセバスチャンさんだけです」

 もしや、とエリザは不意に思い至る。

(本能的に、目の前にいる私が女性だと勘付いているとか?)

 ジークハルトから距離を取ろうとしたエリザは、ほっとした彼の、続いた言葉を聞いた途端に拍子抜けした。

「何かあれば、あなたが守ってくれると父から聞いているので安心です」

 あなたの本能、どこか故障しているのでは。

 思わず心の中でツッコミした。

(守るってなんだ。相手はか弱い女性なんだけど、詳細を知っている側からみるととことんヘタレ野郎だよ?)

 エリザは顔が引き攣りそうになった。

 それが顔面に滲みでしていたのだろう。セバスチャンから目配せをされて、咳払いをする振りで表情を戻す。

 治療係がいれば大丈夫、と彼が思ってくれるのもまたいい兆候だ。

 これは彼が出歩ける環境を作れるチャンスである。

 ジークハルトには悪いが、彼の女性恐怖症がどれだけのものか確認したくもある。ラドフォード公爵が張っているという罠、もとい作戦に乗り出していただこう。

「お任せください、ジークハルト様。あなた様は私が守りますので、積極的に出歩くべきです」

 エリザは凛々しい顔でそう言い切った。

 なんとも正義感を漂わせ見事な嘘を断言しきった――と、のちに屋敷内で使用人が話しているのを聞くことになる。

 ジークハルトが私室から出てきてくれたので、そこでエリザは仕事もあるセバスチャンと別れた。

「案内、本当に大丈夫ですか? なんならセバスチャンさんを呼び戻して――」
「その必要はないです。大丈夫です。僕が案内したいので」

 エリザは、歩き出した彼を不思議そうに見上げた。

「ほら、エリオとはまだ二回目の顔合わせですから」

 意外と治療係にも律儀なのかな、とか彼女は思った。

 ジークハルトに案内されて、まずは二階から回ることになった。

 彼が出歩く時はメイドに外出禁止令でも出ているのか、一階に向かう階段からも女性の使用人を見掛けなかった。

 不思議に思ってジークハルトに訊いてみると、彼が出歩くルートは事前にセバスチャンに伝えられており、その時間に合わせて女性の使用人は動いているらしい。

(仕事を振り分けるの、セバスチャンさんも大変だろうなぁ)

 エリザは、彼が大変優秀さであるのを感じた。

 とはいえ、エリザもまたラドフォード公爵に雇われている身だ。

 公爵邸の主要な使用人を知らないようでは困る。せめて屋敷内を取り仕切る立場にいる女性くらいは紹介して欲しいと頼むと、あっさり「分かりました」と返事があった。

「まずは侍女長を紹介します」
「え、いいんですか?」
「実は、彼女は僕が産まれた時から世話になっているので、近付くだけであれば大丈夫なんですよ」
「はぁ、なるほど? ……逃げだしたい衝動はないということですか?」
「…………震えは出ません」

 進んで顔を会わせられるほど平気ではない、ということのようだとエリザは解釈した。

 侍女長のもとへ案内されながら、エリザは毅然とも見えるジークハルトの綺麗な歩き姿をこっそり眺めた。

(公爵様が屋敷内に罠を張れたのも、彼が事前に歩く範囲をセバスチャンに伝える環境があったからできたことなんだなぁ)

 症状を確認できるように手配したというから、その人達は全て女性だろう。

 次の治療係が探される間までの短い期間なので、就任初日にジークハルトの女性恐怖症の症状を見られるのは有り難い。

(うん。フォローはしよう)

 心の中で、隣をあるくイケメンに合掌する。

 一階の使用人側の廊下を進むと、部屋の一室から時事長は出てきた。

「わたくしは侍女長を務めさせていただいております、モニカと申しますわ」

 きっちり指を揃えて前で組み、彼女は見本のような挨拶をした。

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