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王子の訪問の準備というのは気も遣うし、結構大変だ。
屋敷の警備体制を普段以上に強化する。それから、カディオが連れてくる護衛たちの場所も前もって確保して――。
「シェスティがいてくれて助かるなぁ」
本日は比較的ゆっくり王宮には行くようだ。母と兄が出掛けた午前中、一人でのほほんと眺めている父に、シェスティは殺意が湧いた。
「苦手な虫でも吹っ掛けてやろうかしら……」
「お嬢様。お嬢様お願いです、大人になって」
大人びたと褒めていた一人である御者のマーレイが、後ろからシェスティを『どうどう』と落ち着けた。
「旦那様、パニックになると馬車に乗せるまで大変になるんです」
「それは……ごめんなさいね」
それも三年前から変わらないらしい。
父は敏腕ではあるが、仕事外になるとのんびりとした性格のお人だった。かなり仲がいい人以外にはそれを知らない。
外で、父のボロが出ないよういろんな人が支えてくれているからだろう。
そもそも他国にナメられでもしたら、困る。
父が外出して間もなく、カディオの到着が知らされた。
「いらっしゃい」
「う、うむ」
三年前と同じように彼を出迎えたのだが、久しぶりのせいか、なんだか二人の間に途端によそよそしい空気が漂う。
カディオとは目が合わなかった。
(来たくなかったんじゃないの?)
そんな可能性が頭に浮かんで、シェスティはなんだか寂しい気持ちになる。
やはり、あれは彼の意思ではなかったのかもしれない。シェスティが父にそれとなく促されたみたいに、彼のほうも両親である国王や王妃に、似たようなことを言われでもしたのだろうか。
どうしてあんな手紙を送ってきたのか問いたくなるが、今はこらえよう。
(ひとまず案内しましょ)
執事は父に同行してしまっていないので、シェスティが指示すると、事前に打ち合わせていた使用人たちが動いてくれる。
護衛騎士たちの数は、今回もさすがの人数だ。
ほとんどが獣人族で構成されているので、警備としては最強だろう。
「カディオはこちらに――」
「シェスティっ」
背を向けた途端、後ろから手を掴まれて驚いた。
「な、何――」
振り返った途端、シェスティはブルーの目を見開く。
彼女の視界いっぱいに飛び込んできたのは、赤い薔薇と数組の花で彩られた花束だった。
(近い)
出し方を間違えている。
(というか、どうしてカディオが花なんかを?)
家族同士の付き合いで必要が会った時にだけ、両親に言われて渋々差し出していたイメージしかない。
それも、かなり前の話だが。
「これ、……やる」
カディオが気付いたみたいに花束を下げて、咳払いし、今度は適切な距離感で差し出してくる。
改めて見てみると綺麗な花束だった。
薔薇の赤い色の強烈さが、彩る他の花々によって明るい調和をうんでいる。
「綺麗ね」
シェスティは、自然と目元を和らげた。
「好きなのか?」
「ふふ、ええ、そうね。女の子はみんな好きなのではなないかしら。もらってもいいの?」
今さらのように嬉しさが込み上げて尋ねると、彼が頬を少し赤くする。
「シ、シェスティに喜んでもらいたくて買ってきたんだ」
「え? 両親に言われたわけではなく?」
「なんでそうなるんだ。あっ、いや、違う、俺はそうつい言葉を言いたかったわけではなくて……君のために選んできた、これはもう……君のものだから」
カディオが顔を顰める。ほら、という感じで花束をもっと近付けられた。
あげ方は相変わらずだ。
でも――シェスティも、なぜだが頬が熱くなってしまった。
「あ、ありがとう」
「うむ」
両手で花束を受け取る。途端に、いい香りがした。
(隣国で、よく誰かがもらっているのを見ていたわね……)
シェスティは、見ていただけだ。
誰も彼女に花なんて贈ってくれなかった。そんなもの欲しがらなそうだと、学校゛誰かが話していたのを耳にしたこともある。
花なんてなんの役にも立たない。
でも、ほしくないなんて、言ったことはない。
羨ましかった。あまりもらえないからこそもっと特別なものに思えたし、こっそり花屋に寄って自分で買った。
「嬉しい。ありがとう、カディオ」
シェスティは花束を胸に優しく抱いた。
カディオの顰め面が増す。彼の背中で、尻尾が勢いよくぶんぶんと動く。
「べ、別に。ほしいなら、また買ってくる」
「いいの?」
パッと花束から彼のほうを見たシェスティは、けれど「あ」と声を萎ませる。
目敏く気付いたみたいに、カディオが見てくる。
「なんだ」
「無理しなくていいわ」
「は?」
「だって、贈る相手は私なのよ? それでもいいの?」
カディオが、あんぐりと口を開けた。
彼のそんな表情を見たのは初めてだ。シェスティもびっくりして、目を丸くしてしまう。
そばで移動を待っていた護衛騎士隊長が『あー……』と言いたげな、悩む表情を浮かべたのが見えた。同行するらしく、同じく待っていた数人騎士たちも、なんだか似た空気を醸している。
「お、俺はシェスティにと選んで買ってきたんだっ。贈る相手が君で悪いなんて、あるはずがないだろっ」
なんとも伝わりにくい言い方だ。
(でも、私が感じていたように――)
つまるところ彼は、自分の意思で選び、そして買ったので間違いないみたいだ。
シェスティは少しどきどきしてしまった。
父が言っていたように、ずっと付き合いのある相手なのは確かだ。
そして、もしかしたら大人になって二人の関係はよいほうに変わるのではないかと、そんな期待が再びシェスティの胸に込み上げる。
胸の鼓動が速くなった。
(他に、意味があったりするのかしら?)
こんなこと、家族以外の誰かにされたことはない。
世話になった隣国のアローグレイ侯爵家の人々はシェスティのことを、家族みたいに温かく接してくれたから対象外だろう。
「あっ、すまない、大きな声を出した」
「ううん平気よっ」
「そういうわけで……また、贈るから」
また、という言葉に、どうしてかシェスティは、普段彼にどんな言葉を返していたのか思い出せなくなる。
二人の間に気恥ずかしい沈黙が落ちた。
「お嬢様?」
こそっと、メイドが後ろから声をかけてくれる。
「あっ、えっと、こっちよ」
シェスティは花束をメイドに預けると、カディオをサロン側へと案内した。
そこは開けた場所だ。護衛もじゅうぶん入れるし、何より大きな窓から見える公爵邸の庭園は客人から評判がいい。
(彼は以前もよく来ていたから、目新しく感じないかもだけど)
先日シェスティの帰りを待っていたくらいだから、そのあと国王の右腕としてディオラ公爵家と交流が続いていた可能性もある。
もしかしたらシェスティと引き合わせたのは、彼の後ろ盾のためかもとは留学先で思った。
シェスティと接点を持ったことにより、彼女が信頼を得ている先とも繋がりができる。
実際、王子という地位を固めていくのに彼はシェスティの知り合いの家とも、よくパーティーで話していた。
「訪ねたいと手紙に書いてあったけど、何かしたいことでもあったの?」
「ごほっ」
窓に近い円卓席につき、二人の茶会が始まったとこでシェスティは尋ねた。その途端、なぜだかカディオが紅茶を少し噴いた。
彼の手にも少し紅茶がかかる。
「まぁ、大変」
シェスティは立ち上がろうとしたのだが、そばについていた護衛騎士隊長が、素早く手を前に出して「私のほうでしますので」と言ってきた。
「し、したいこと、なんて……」
「殿下、落ち着いてください。深呼吸です」
世話をしながら護衛騎士隊長が、カディオにそんなことを答えている。
(何かしら。私、悪いことでも言った?)