君は全然話を聞いてない!
そして、バレンタイン当日。
男子も女子も少しだけ浮き足だっている。特に男子。あと、私。
チョコは砕けないよう箱に入れて、しっかりラッピングをして持ってきた。放課後に渡すだけだ。
今日最後の授業は運悪く体育だった。男子とは分かれるので葵がどうしてるか分からなくて少し心配だ。とはい え、流石にもう帰ったなんてこと……。
「へ、あ、葵は?」
教室に戻ると大抵の男子はまだいるのに、葵の姿がなかった。
「柏くん、葵は?」
「え、葵? あ、ホントだ。いない。帰ったんかな?」
「嘘でしょ……」
バッグを取って、急いで教室から出る。
「わ、」
階段を降りて、一階の廊下に出たところで、友達と当たりそうになった。
「あ、ごめん。ちょっと急いでて」
「え、どしたん?」
「葵のこと、探してて」
「あぁ、あ、そういえばあっち行ってた気がする」
そう言って指差したのはいつも帰る正門とは違う方向。
もしかしてまだ帰ってない?
「ありがと!」
「おー、頑張ってねー」
走ったまま、後ろに手を振ってお礼の気持ちを伝える。
自販機のところは……いない。外階段下……もいない。
ダメだ、いない。やっぱり帰ったのかな。
「あ、そうだ。メッセージ」
あの帰り道からは何も送ってないんだけど。もう良い、どうせこの後全部言うんだ。
『葵、今どこ?』
……流石にすぐに既読はつかないか。
しょうがない、もうちょっと探そう。
side 柳 葵
「あれ、なにしてんの、葵」
部活棟横の階段に座り込んでココアを飲んでいるところを、伊織に見つかった。
「ココア、飲んでる」
「いや、それは見たら分かる」
じゃあ、何が聞きたいんだ。
「橘、探してたよ」
知ってる。さっきメッセージが来てた。そろそろ返そうと思ってたんだ。
「避けてんだろ?」
俺を奥に押しやって、隣に伊織が座り込んでくる。
「は? あぁ、橘のこと? そりゃ気まずいし」
「いや、違うね。嫌いなんだろ」
「そんなことない!」
「じゃあ、なんなんだよ」
こいつの時々真面目になるのはなんなんだ。そういう真剣な目をされると言い返せない。
「憎い、のが近い。好きだから憎い」
「なんだ、素直になれるじゃん」
伊織がしたり顔をする。俺は多分、苦々しい顔をしている。負けた感を払拭したくてココア缶に口をつけた。
「お前さ、自分のキャパがわかってないんだよ。我慢しすぎ、相手に合わそう、相手の要求に応えようってすんの悪いことじゃないだろうけど、なにごとにも限度がある。俺なんかだと顔みるとコイツ何か言いたそうとか分かるんだけどな~。残念ながらというか、面白いことにというか。そうじゃない人の方が多い。まぁ、時にはぶつかることも必要なんじゃないって話」
ぶつかること……か。確かに、思い返すと橘は怒った時も、謝った時も何か言いたげな顔をしていた気がする。
傷つけたくない。いや、嫌われたくなかったのかなぁ。何が求められただけだ。臆病になってただけじゃん。
ココアを飲み干す。やっぱり冬は暖かい飲み物の方がいい。モンスターとか論外だ。
黙っている俺に伊織は続けた。
「話さないと分かんないことあるじゃん。お前が橘のこと知りたいように、向こうも知りたいだろうしさ。言ってくれないと心配なんじゃない?」
「分かったよ」
認めるのは癪だけど、大体伊織の言う通りだと思う。
スマホを取り出して橘に『いつもの道で帰ってて』とだけ送る。ちょっと言葉たらずかもだけど、まぁいいや。どうせ会って伝える。
立ち上がって、伊織を見下ろす。伊織は楽しそうに笑って『やっとやる気になったか』なんて言った。
簡単なように言いやがって。結構怖いんだからな。
「まぁ、そういうこと」
少し歩き出したところで、振り向いて立ちあがろうとしていた伊織を指差す。
「お前、橘のこと呼び捨てじゃなかったろ。俺の好きな人だからお前は呼び捨てすんな」
伊織は一瞬キョトンとした顔をした後、不敵に笑った。
「独占欲強いねぇ~」
……知ってたくせに。焚き付けるためにわざと呼び捨てしたんだろう。ニヤニヤとうざい伊織を視界から外して、門の方へ向かう。
一歩踏み込むごとに決心が募っていった。校門を出て、少し遠くに橘の姿を見つけて走り出す。
「橘!」
住宅街を歩く橘の背中を呼び止める。
「葵、」
橘の目が見開かれる。上がった息を整えながら歩いて橘のところに行く。
「ごめん、遅れた。なんか俺に用あった?」
「あ、うん。そう……」
はっと、我に帰った橘がカバンの中を探る。
「これ、葵に」
そう言って、取り出したのは包装されたなんかの箱、今日バレンタインだし多分チョコだろうな。
「ありがと」
「それで、」
「今、開けていい?」
何か言おうとした橘の言葉を遮ってしまったが、今日はあんまり譲る気になれなかった。
「あ、いいけど……」
「じゃあ」
包装を剥がして、箱からチョコを取り出す。あ、これ手作りだ。一粒口の中に入れる。
「ど、どう?」
「うん、美味しい」
「そう……」
橘が俯いて黙る、手をモジモジと下で動かしている。
「何か言いたいことあるの?」
俺は口に含んでいたチョコを砕ききって、聞いた。
「……うん。ある」
また二人の間を沈黙が支配する。俯いていた橘が顔を恐る恐る顔を上げた。
「なんか怒ってる?」
「実は、ちょっとだけ、ずっと」
「そう……なんだ」
俺の答えに少しだけ橘は驚いたようだった。
「珍しいね」
「いや、俺結構心狭いみたいだから、そんなに」
「そう、なんだ」
追い詰めているような感覚になる。実際、そうなのかもしれない。
「あ、葵!」
「何?」
「葵っ、いっつも怒んない。私が何しても。良いよ、とか、大丈夫とか。だから逆に怖いし。なんか、私ばっかり怒ってるみたいで嫌」
「だって、俺怒りたくないもん」
「でも! でも、何か言いたげな顔とかするじゃん……」
う、それを言われると。
「まぁ、それは、そうかも」
「てか、なんか当たり障りなくない? 最近の相槌とか適当じゃなかった?」
「だって、いつも愚痴ばっかじゃん」
「な、だ、だって葵、愚痴も聞きたいから良いよって」
「……限度がある」
「はぁ~! だったらそう言ってよ!」
「今、言った」
「ぶん殴るよ?」
橘が拳を構えて聞く。流石に、今の答えがダメなことは俺も分かってる。
「……俺も話したい時があって、でも、するとつまんなそうな顔するじゃん。嫌われたくなかったから、話聞いてる方が良いかって」
正直に言った。大体の俺の行動はこの嫌われたくないに帰結していくのかもしれない。
「……それは、ごめんじゃん。だって、ゲームの話されても」
少し黙った後に、苦し紛れに橘はそう言った。
「ゲーム以外の話もそうでしょ」
「そんなことないって」
「あるって」
「ない!」
「ある」
「ない!」
「あるって」
「ないし! 大体嫌われるかもとか女々しい! 嫌わないし!」
「拗ねるとすぐに嫌いって言う癖に」
「い、いや、言うけど。それぐらい言うでしょ」
「俺は言ったことないし」
「それは、葵も言ってよ!」
「なんで、嫌われたいの?」
「嫌われたくないよ! でも、私といるの好きじゃないのに我慢してまで一緒にいて欲しくないし。どうにかするから嫌いなところだって言って欲しい」
「…………」
「別れる前、葵。なんか壊れそうだった。私が壊しちゃいそうで嫌だった」
「はぁ? 壊れるって壊れないけど」
「全然、相談しないじゃん。葵、私に」
「いや、ないから」
「なくないでしょ! 不安だとか、こんな嫌なことがとか」
「いや、言えないじゃん。迷惑っていうか心配かけたら」
「かけてよ! 私ばっかり相談して、私ばっかり弱くなってくみたいで怖かった!」
「…………でも……良く分かんない。そういうのどうやってやるのか」
「意地っ張り」
「いや、橘の方が……」
「てか、その橘! やめてよ。名前で呼んで!」
俺の言葉を遮って橘が言う。
「いや、別れてるし、友達だし、これが普通」
「一回名前呼びしたじゃん! 嫌なんだけど!」
「あ~、もう。分かったよ。わがまま結月」
「は、はぁ~? わがままで悪かったね! ばか、最悪!」
叫んで結月は急に座り込んで膝を抱えた。
「あ、いや、言い過ぎた。ごめ……」
「謝んないでよ」
「…………」
じゃあ、どうすれば良いんだよ。
「好き、」
「え?」
「好き好き好き好き」
「結月?」
急に言われるとびっくりする。今そういう流れじゃなかったくない?
「葵は、葵はっ、どうなの! 私のこと好きなの? 好きじゃないの?」
急に顔を上げた結月が俺の目をまっすぐに睨みつける。
「俺は……」
「あー、もう好きじゃないんだ。ふーん、そうなんだ。あ~あ。永遠の愛ぐらい、いくらでも誓うって言ってたのに」
言い淀んだ俺のことをほとんど待たずに捲し立てる。あと永遠の愛どうこうについては恥ずかしいんでやめてくれないですかね。
「そういう面倒くさいところは、嫌い、」
「あぁ~、もう最悪。嫌いじゃん。ばか、最悪」
俺の言葉を遮って、一人で騒いでそのまま膝に顔を埋めてしまう。本当に面倒くさい。
「まだ、話してるじゃん。最後まで聞いてよ」
「嫌」
「聞け」
「嫌」
「好き」
「私も好き」
なんだこのくそ可愛くて、くそ面倒くさい生き物。ふざけるのも大概にしてくれないかな。もうこのまま引きずって家まで運んでやろうか。お宅のダンゴムシ拾ってきましたって言って。
「あのさ、心配かけてごめん」
「謝んないでって言ってるじゃん。全然話聞いてない」
「聞いてるよ。あー、分かった。じゃあ。心配してくれてありがと」
「心配って何」
本当に一々細かいなぁ。
「えぇ、俺が壊れそうとか?」
「全然分かってないじゃん。ばか」
「ばかじゃないです」
「ばかじゃん」
「ばかって言う方がばかです」
「敬語やめろばか」
「敬意はないので敬語じゃないです。どちらかというと赤ちゃん言葉」
「赤ちゃん扱いするな!」
「だって、ずっと泣いてるじゃん」
「泣いてない!」
そんな目元を赤くして、流石にそれは無理があるだろ。
「で、どうするの?」
「何?」
「俺、まだ振られてんだけど」
「は? もう分かるでしょ」
「…………俺からは言わないよ」
結月が睨んでくる。それを俺は少しあごを上げて高圧的に見下ろした。
「……くっ」
何その悔しそうな顔。
「葵」
「うん」
「私と付き合って」
「分かった。もう怒るし、叱るし、嫌うからね」
「嫌うな……」
「えぇ、さっきと話が違うじゃん」
「葵が話聞いてないんだよ」
「いや、聞いてたよ?」
「聞いてない」
「はぁ……。はいはい、もう良いよ。疲れた」
「疲れるのなし」
「流石に、それは無理でしょ」
俺もその場にヘタレこむ。住宅街で二人して座り込む変な高校生がそこにはいた。
「危ないから、車来る前に行くよ」
「ダジャレ?」
「違うわ」
本当に、疲れた。こんな風に喧嘩するのは久しぶり。いや、なんなら初めてだったかもしれない。少なくとも結月
とは初めてだった。
沈黙が流れた、でも、そんなに気まずくはなかった。
空が高い。オレンジ色の光が優しく虹彩を刺激した。
風が吹いた。さっきまでは熱くなっていたけど、落ち着くと少し寒かった。
「いる?」
さっきもらった、チョコの箱を差し出して言う。
「私の作ったチョコだし、味見もしたんだけど」
「うん」
「話聞いてる? まぁもらうけどさ」
俺も最後の一個を取り出す。
疲れた。本当はどうなることかと気が気じゃなかったから。
「葵」
「何?」
「疲れた」
「俺も」
こうやって座り込んで空を見上げるとため息が出る。
「ねぇ、葵?」
結月が隣から顔を覗き込んでくる。
「何?」
「また喧嘩しようね」
そう言って笑う。どうやらお気に召したらしい。すっきりしたって言うのは分かるけど……。
「疲れるから嫌だよ」
「まぁ、それはそうだけど。なるべく避けるけどさ。お互いに不満がゼロになるなんてのは無理だと思うし。こうした方が長く葵といれると思う」
「まぁ、そうかもな」
少し喧嘩するカップルのが別れないなんてのは聞いたことある。それを羨ましく思った時もあった。
結局のところ、離れられないのだ。受け止めてくれる相手から、理解してくれる人から。積み上げてきた時間が相手を手放したくないと思わせる、好きだと思わせる。
「じゃあ、改めてよろしく」
立ち上がって、結月に手を差し出す。
「……うん」
その手を結月は取った。
◆
◇
◆
◇
◆
side 橘 結月
「ねぇ、結月。結月ってば」
小夜香が顔を覗き込もうとするのから顔を逸らして、無視する。
「結月こっち向きなさい」
バシッと小夜香の両手が私の両頬を捉えた。
「だって、どうせ仲直りしろって言うんでしょ?」
「そうよ」
「でも……」
私から謝ったら負けな気がする……。
「そもそも、なんで喧嘩してるのよ」
「だって、葵が私のことわがまま姫って」
「……そんなことで喧嘩してるの……嘘でしょ……」
小夜香の呆れた視線が痛い。きっかけは確かにくだらないんだけどお互い意地張っちゃって。葵は謝ってくれない
し、かと言って私が謝ったら認めるみたいで嫌だ。
「ごめん、柊さん。結月貸して」
「あ、葵」
小夜香の後ろから葵が来て言う。小夜香はじゃあとは二人でどうにかしてと言って帰っていった。
「…………」
「…………」
お互いに黙り込む。ここまで来たんだから言えば良いのに。
「あのさ、わがまま姫って、そんな悪口のつもりじゃないんだけど」
「……分かってるけど。謝って」
「えぇ~。謝りたくない」
「バカ! 嫌い!」
「ちょ、結月!」
side 柳 葵
「あ~、もう本当に面倒くさい。絶対逃げるの気に入ってるじゃん。はぁ、捕まえたら文句言ってやろ」
「あ、追いかけるんだ」
こっそり見守っていた伊織が出てきて、ニヤニヤとしながら言った。
「まぁね」
教室から飛びでて、結月が走っていった方向へ行く。まぁ、多分下に降りたんだろう。
「あ、柳くんだ。結月さん。下行ったよ~」
「ありがと」
やっぱり下だったか。
「あ、柳じゃん。橘あっち行ってたよ」
やべぇ、みんなが教えてくれる。恒例行事だと思われてるなこれ。だって知らない人が俺見た途端、どっかの方向
指差すんだもん。
五人目ぐらいの助言でやっと結月の姿を見つける。
「あ、また見つかった」
「そりゃ見つかるよ。みんな結月の場所教えてくれるもん。これ疲れるからもうやめない?」
「私は葵が毎回急いで来てくれるから愛されてる感あって好き」
「…………たまにね。たまににしよう」
「うん、分かった」
まだ喧嘩中なはずなんだけど、結月は素直に頷いた。結月がじっと俺の目を見つめてくる。
「分かった、謝るからさ。さっきの言葉、撤回して?」
「どれのこと?」
「嫌いっての」
まっすぐな目を見つめ返して言う。結月の表情がふっと綻んだ。
「良いよ、それなら認められる。嫌いじゃない、大好きだよ」
別に、そこまで言ってほしいとは言ってないんだけど。
「ごめん」
「うん、謝れてえらい」
「結月は謝んないの?」
「謝ってほしい?」
「いや、良いや。それよりさ、一緒に帰ろ?」
「うん!」
目の前の人をこんな風に愛しく思える。そのことに感謝を。分からなくなるたびに喧嘩して、また分かりたい。
ぶつかって、離れて、また引かれ合う。案外、人間関係というのはそういうものなのかもしれない。