【019:届かない未熟さ】
ふむ。
筆は進んだのだろう。意識を取り戻した時、散乱した画用紙の数が物語っている。
「――届かない」
一応後日色塗りもしたいではある。
そう、色塗りは是非やってみて具合を確かめたいのだが、それに値するまでの絵が出来上がってはいない。
同じ正面からの構図は累計100枚を超えた。それ以外にも角度を変えてみたり世界観を作ってみたりと色々なパターンを試行錯誤してみた。もう一体どれほど同じ絵は下記続けただろうか。
途方も暮れる時間と枚数を消費した挙げ句、聞こえない。
ビリリと破られるこれらの絵からは燦歌が聞こえない。
「ふう」
(つくづくボクは未熟らしい)
一度休憩にしようとゴミ捨て場から持ってきた椅子から立ち上がり食事の準備に取り掛かる。
街灯がポツポツと気持ちだけ光る。
あまり税金が使われていない街だとこれだけで気付く。
七輪に炭を詰め込むとチャッカマンで火を作る。燃えた新聞紙はやがて炭へと伝わる。パチパチと風情を愉しもうとするが、夜の春風がいじわるしてくる。
しかしこちらも丸腰ではなく、段ボールでしっかりガード。自然を超越した文明の利器の勝利だろう。暖を取るのも適しているが、この暑さに慣れてしまうと同じ温度でも夜中寒さを強く感じるので覚悟が必要だ。
串刺しにした魚を網の上に乗せる。
ジリジリと音を楽しむように焼かれ、油が七輪に落ちると炎の供給が安定した。
じわりと口の中の潤みが(うるみ)分泌されキリリンビールで体内に戻す。
「魚をー乗せてー」
二匹目も投入。
後は出来上がりを待つだけの幸せの時間になる。
パチパチと炭を割る燦としたあざやかな音は一つの歌。
橋の切れ目から漆黒の空が続く中、彩るのは不自然に浮かぶ満月
指で輪っかを作ると、その輪の中に月を収めた。
今、
ボクの指の中に満月がある。
「むーーーーーん」
長時間やっていようで、空きっ腹で飲んだためにどうやらもう酔ってきたようだ。
光は一秒間に地球を7週半するそうだ。小学生から大人まで知ってる常識でうんちくにもならない。
でもって地球は一周約40,000km。円周率3.14で割ると直径約12,742kmらしい。
月はその4分の1。直径3,474.8km。
そしてこれは自慢の雑学だが、北海道庁から沖縄県庁までの直線距離が2,246kmらしい。
「むーーーん」
頑張れば歩けるだろうか?
2,246km。
これがいかに短いか。
時速100kmの車で一日中走れば、と言いたいが一日すら持たず22時間半で端から端まで到達できてしまう。
「ん?」
いや、球体だから違うのか。
惑星は丸いので丸みを計算しないと。
直径じゃなくて、表面積で考えれば3,474.8×3.14÷2で……。
あれ、÷2ってなんだっけ……?
「……」
プシュ。
気持ちよくなってきたので、もっと気持ちよくなろう。
焼けた魚を月へと翳す(かざす)
月は地球の衛星ではなく二重惑星だと思う。
命を失うと月の裏側にある死後の世界へと導かれるのだ。
死者はどこに眠るのだろう?
お墓や枕元、事故現場……などなど。
どこでもいい。どこでもいいが、それは全てx軸y軸z軸の座標で縛られ地球の重力から逃れられていない。
色を失った死者は月の裏側にある死後の世界へ昇華され、生まれ変わる時色を彩り燦歌を口ずさみ生命を帯びる。
春の魚は美味しい。
なんの魚か教えてもらったけど、忘れてしまった。
静寂の中に虫の鳴き声と車の走行音が入る。自分を見つめ直す時間は無限に存在する。
至らない。
世界で一番の絵を必ず描かなければいけない。
世界で最高の絵を描き続けなければならない。
歴史上で圧倒的に偉大な作品を作らなければいけない。
そうでなくては、失礼になる。
"この無礼は絶対に許されない"
「しかし未熟だなあ」
生み出したい。作り上げたい。
でなければ可哀想だ。この絵は生まれてくるはずなのだ。
タイトルは初めに浮かんだ。それなのにまだ名乗れない。
足りない物がなんなのかはわからない。
わからないなりに最善を尽くすしかないのだ。
目を瞑ると浮かんでくるのは『ヴィタリス・アートフェスティバル』の看板作品。
シエル・リュミエール。
それはなんの変哲もないテーマで、町並みを歩く日常の絵。
彼女の絵には世界がない。
色助が最も重要だと考える感性、いわば"力"の部分だ。
彼女の絵は"技"でしかない。
よくいるタイプで先日もそういう女の子がいた。自分が大好きで、自己の優秀さに陶酔した様子を絵で表現する。
個人的に好ましくは思わないが、絵描きを初め多くは承認欲求を求める。そしてその承認欲求こそがクリエイティブ活動の根源である以上、相反する要素を否定をする事はできない。
そう。よくいるタイプの絵師。色助はこれが好ましいとは思わないのだ。
その例外こそシエル・リュミエール。
自己愛を貫き通した圧倒的なナルシストと選民意識が彼女の絵から伝わってくる。
絵の被写体。街並みを歩く様子にこだわりはなく発想もなく想いもない。
彼女の描く絵はなんでもいいと思っている。
『凄いだろ、私はこんなものが描けるのだ』と絵を通して人間が語りかけてくる圧倒的な知識量と高い技術と洗練された技術。
力の一号。技の二号。こうきてなんと力と技の三号となれば、誰がどう見ても三号がズルいと思う。
力と技を持つプライム・アーティストの最高位である序列一位の久慈筆丸。
そんな生きる伝説に立ち向かう二号は頑なに力を拒む。
己の技だけで蹂躙してやる――。
その自己愛に偏ったカタルシスは本来なら嫌悪の対象であるが、異次元まで突き抜けたナルシストは圧倒的な美へと昇華させた。
では力の一号はと言うと、
「……ふむ」
輪っかの中に満月を入れて遊んでいるようじゃ、先が思いやられるなあ。
出来上がった絵を手に取る。我ながら中々良い出来だと胸は張れる。
ビリリ、と二つに。四つに。八つに破れる。
「未熟だな」
至らない。
この線画でも、もし完璧に塗る事ができれば95点。いやいや、98点か、なんなら100点かもと淡い期待が浮かぶ。
満点では至らない。それは無礼にあたる。
無礼だの、失礼だの、誰に対して?
「燦歌彩月第六作――」
その先の言葉は続かなかった。