第196話 似たような境遇と語る春子
「じゃあ、追加のいつもの豚串。かえでさん、これもうちの特製なのよ。食べて行ってちょうだい」
二階に上がってきた春子は手際よく盆の上の焼鳥を娘の小夏と一緒にテーブルに配っていく。
「リンさんとか言ったわね。私も似たような境遇の育ちなのよ」
月島屋の女将、家村春子はうつむきがちに焼鳥の乗った皿を受け取ったリンに語り掛けた。
「似たような境遇?では東和にも『岡場所』があるんですか?先ほどの神前曹長の話では東和では売春は違法だと聞こえたのですが」
リンは不思議そうな表情を浮かべて春子を見つめた。春子は一度嵯峨の方に目をやった後、静かに自分の身の上について語り始めた。
「私は中学を卒業してアルバイトを転々とした後、安いのが売りの『ソープランド』に勤め始めたの。当時はお金が無くて……しかもその時付き合っていたチンピラに金を無心されて仕方なく勤め始めたんだけどね。そこは表向きは合法だったけど売春禁止のこの国でオプションで本番アリの最低の店だったの」
自嘲気味に語る春子の言葉に純情な誠は衝撃を受けていた。噂には聞いていたがそう言う店にかつて春子が勤めていたと言うのはある意味ショッキングな出来事だった。以前から春子に感じていた影の原因がそこにあるのだと気づいて誠の心は揺れた。
「その付き合っていたチンピラも最低の男で、お腹に小夏が居ると言うのに金の為だと休まずに店に出されて、
安い風俗店ならたぶん現れるだろう嵯峨の登場に誠はある程度予想がついていた。誠がこの『特殊な部隊』で初めて嵯峨に会った時、嵯峨が呼んでいたのはそう言う店の情報が載っている雑誌だった。当然、当時からそう言う店には通っていたに違いないことは容易に想像がついた。
「新さんは初めは客で来てたんだけど、この店に違法なオプションがあると聞くと私に警察に密告するように言ってくれたのよ」
嵯峨を見る春子の視線は輝いていた。彼女が嵯峨に好意を持っているらしいことは、いくら恋愛に鈍い誠にもすぐに分かった。
「警察に密告?そんなことしたら店が潰れて隊長が通えなくなるじゃないですか」
春子の言葉に誠は『駄目人間』の駄目っぷりから考えてそんな善人のようなことはしないものだと決めてかかっていた。人を騙すことと陥れることに関しては天下一品の策士。それが誠の嵯峨への評価だった。
「おいおいおい、神前。俺をそんなに『駄目人間』だと思ってたのか?俺はそこまで腐っちゃいない。俺は合法の店しか行かないよ。それに当時の俺はそう言う店の摘発に手を貸しててね……警察に色々出入りする仕事をしていたから」
嵯峨はそう言いながら苦笑いを浮かべて誠を見つめた。
「その頃の新さんは小さな弁護士事務所の売れない弁護士をしていたのよ」
「弁護士!隊長が!」
ここでもまた誠は驚かされた。茜が弁護士なのは知っていたが、それが父の影響であることは誠はここで初めて知る事実だった。確かに切れ者の嵯峨の頭脳なら東和共和国の難関資格である司法試験に合格したとしても不思議ではない。誠も少し考えれば分かることだと思った。
「そうよ、金に拘らない事件しか受けない個人の弁護士事務所。だから売れない。食べていくのがやっとの貧乏弁護士。私が自分のヒモの事を相談したら話を付けてくれるって言うのよ。なんてこの人は馬鹿なんだろう。私とヒモの関係を整理したって一円にもならないのに」
誠は春子の言葉でこの部隊に入ってから初めて嵯峨と言う人間を尊敬することが出来るような気になっていた。
「あの男はキレたら何をするか分からないって言うんだけど、自分は軍に居た事が有るからチンピラ程度どうと言うことは無いと言って間に入ってくれて……それであの男の呪縛から解放してくれたのよ。アレが無ければたぶん小夏は死んでた。生まれたばかりの小夏をどうするんだって私を脅しつけるような男だもの。きっと小夏を殺してたわ、あの男が」
純粋に尊敬のまなざしで誠は嵯峨を見つめた。春子の告白にただひたすら照れ笑いを浮かべる嵯峨の姿が誠の瞼の裏に強く焼き付いた。
「あの男。もうこの世には居ないわ。私と別れた後、強盗殺人を三件も起こしてすぐに警察に捕まって……全部で五人も殺したんですもの、最高裁まで争っても死刑は免れないわ。去年だったわね、死刑が執行されたって話は聞いたけど……このことは小夏には内緒にしておいてね。死刑囚の娘だってことはあの子にはしられたくないから」
春子は階下にランの日本酒を取りに行ってきた小夏が帰ってくるまで、手短に自分の境遇を語った。
「だから私にはリンさんの気持ちは少しだけわかる。これからは自由に生きなさい。何にも囚われる必要なんてないわよ。私もこの私の城を持って自由に生きてる。せっかく自由の国東和に来たんだもの。人生を楽しまないと」
春子はそう言って追加の豚串を持って来た小夏に笑いかけた。その表情はどこまでも母親のそれだと誠には思えた。