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第182話 いつもの『駄目人間』の罠

「お待たせしました」

 誠はそう言ってかえで達に作り笑顔を向けた。ただ、誠のかえでへの警戒感は引くつくこめかみを見ても隠すことはできていなかった。

「大した時間では無いよ。ただ、これから君の事を知れるとなると僕も楽しい気分になる」

「そうですか……それは良かった」

 引きつった笑みを浮かべながら誠はそう答えた。誠の視界の中で、かえでが持って来た唯一の荷物らしい荷物である旅行鞄を持とうとするリンの姿が目に入り、誠は代わりにそれを持とうとした。

「荷物くらい持ちますよ」 

 誠はそう言ってかえでの手荷物を持つリンに声をかけた。

「いいですか?」 

 そう言ってリンから渡された旅行鞄はその体積の割りに重たく感じられた。

「じゃあ、隊長室は二階ですから」 

 誠はそう言うとそのまま階段を上る。かえでも渡辺も相変わらず黙って誠のあとに続いた。

「ここが更衣室です……」 

 かえでは特に気にならないというような顔をして黙っている。誠もとりあえず彼女と同じように黙っていようと思いながら廊下を右に折れた。

「ここが茜様の執務室か」 

 かえでが口を開いたのは彼女の従姉妹である嵯峨茜警部が常駐している遼州同盟法術犯罪特捜本部の部屋だった。

「挨拶していきますか?」 

 こわごわ尋ねる誠を気にせずかえでは首を振りそのまま歩き出す。誠はそのまま彼女の前に出て隣のセキュリティーシステムを常備したコンピュータルームを指差すが、かえではまったく関心も無いというようにそのまま嵯峨がいる隊長室の前に立った。

「しかし、君は僕には必要なことしか言わないんだね。好意を持っている女性にはもう少し優しい言葉をかけるものだよ」

 かえでは少し困ったような表情を浮かべて誠にそう言った。

「そんな……僕は純血の遼州人なんでモテたこと無いんです」

 とりあえず誠は自分が遼州人であることが女性の扱いに慣れない理由にしておけばこの場は丸く収まると判断した。

「そうなのか……遼州人の生涯未婚率は80パーセントを超えているからね……なら、これからそれを学べばいい。なんなら、僕が教えてあげても良いんだが?」

 いたずらをした少年のような笑顔でかえでは誠に向けてそう言った。誠はとりあえずこの場をなんとかしようと隊長室のドアをノックした。

「おう、いいぞ」 

 嵯峨の声を聞くとかえでとリンは当然のようにドアを開けて入った。誠は徒労感と疲労感に苛まれながらこれを嵯峨が狙っていたのかとあの『駄目人間』の悪意にまた騙された自分を責めた。

「それじゃあ、僕は戻りますんで」

 部屋にかえでとリンが入ったのを確認すると誠はそう言った。

「おう、ご苦労さん」

 嵯峨はそれだけ言って誠を送り出した。その顔にはしてやったりの笑みが浮かんでいた。これは完全にいつもの『駄目人間』の罠だった。そう悟った誠はかえでの魅惑的な視線とリンの刺すような視線を浴びながら隊長室を後にした。

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