第119話 『悪内府』と呼ばれる男の配慮
「奇妙なものですね。響子様。大公と我々がこうして取り残されるとは取り残されるとは」
前田は思わずそう言いながら自分の娘より年下の響子の正面に座った。嵯峨が消えて醍醐が帰った九条家の広間にはこの家の当主とその思想に相容れない武官と官僚達が残されていた。響子はこの状況を見て気が付いたように笑顔になっていた。
「いえ、もしかしたらこれは内府殿のご配慮なのかも知れませんね。こうして皆さんとお話しする機会などあまり無いでしょうから」
そんな柔らかい口調の響子の言葉に前田達は思い知らされた。この状況を作り出すことが嵯峨の意図したことではないかと。枢密院での論戦では常に平行線をたどる両者が面と向かって話せる場などこれまではどこにも無かった。
響子は四大公の一人とは言え、まだ28歳と言うことで派閥の統制が取れるほどの実力は無かった。そのことが先代の九条頼盛以来の重臣達に左右される不安を彼女に感じさせていた。
一方、西園寺派には豪腕として知られる西園寺義基への配慮もあって九条派と接触を取ることを自重しているところがあった。
「やはりあの人は食えないな。さすが『悪内府』。切れ者はやることが違う」
前田は一人つぶやくと目を輝かせた。
「せっかくの内府殿の心づくし。とりあえずお話でもしながら楽しむことにしましょう」
響子はそばが茹で上がるのを待つ間、この国の在り方について何を伝えるべきか思いをはせた。
前田もまた、『官派』の主義主張にまだ染まっていないその領袖に親しみを込めた視線を送りながら内心嵯峨の心遣いに感謝の念を抱いていた。