種族を超えたもの
相変わらず、ルースは一人、部屋の隅で頭を抱えたままだった。
ジールたち女性陣は、温泉とかいう風呂に行ったままずっと帰ってこないし……なんでもここスーレイは、地面の底から沸かさなくてもいいくらい熱いお湯が、年がら年中至る所から湧き出しているって話だ。なもんでそれがスーレイの観光資源とやらの一環になっているとらしい。旅人の疲れを癒す温泉って触れ込みでな。
ってことで、来客用のでっかい部屋には俺やルースの他にアスティたち、あとから来た男たちが、特に何をするってわけでもなく、疲れた、いまにも寝ちまいそうな顔でテーブルに伏せっていた。
そうだ、例のルッツェル公が言うには、数日ここから出ないでくれと。なんでかって聞いたら……もちろん原因は俺。
生け贄の暴動の件で街中で俺が大暴れしちまったもんだから、まだ殺気立った街の男どもが俺をブッ殺そうと血眼になって探しているらしい。
そう、あのあと俺が捕まったことすらも知らずにだ。
だからほとぼりが冷めるまでの間はここにいてくれて構わないんだとさ。まあ俺が撒いてしまった種だからしょうがないか。
「で、ルース……ジャノって子の件、あれ本当なのか?」
イーグ怪訝そうな顔をして聞いてきた。もちろんルースは即座に「うん」って返答しただけだがな。
けどそれって、なんか疑問か?
もちろん親方に隠し子がいたことに関してはちょっと衝撃的だったが、親方の方も根っからの傭兵稼業大好きな仕事人間だったんだし、別にそこで子供を宿してしまったジェッサと別れたところで、なにぶん不思議にも思わないし。
「いや、そうじゃないんだ」
苦笑いしたルースが俺の心情に突然割って入ってきた。
「うん、いや……しょうがないか。ラッシュはこのことに関してはまだ教えが足らなかったしね」
「え、ラッシュそんなことも知らなかったのかよ。こんなの常識中の常識だろ」と、なんかフィンの言い方が気に食わなかったから、とりあえず奴の鼻にデコピンして黙らせた。
かくして、またルースのお勉強会が始まった……のか?
「ずっと前に僕が家庭教師をした時に話したっけ、異なる種からは子供ができないって」
ああ、そういや以前そんなこと話してくれたっけな。ほとんど忘れちまったけど。
「あの時僕らが会ったジェッサ……彼女は僕らと同じ獣人だったよね」
そうだよな。黒くって小さめの丸い耳の、黒豹だったっけか。
……あ!!!
「でしょ、もしそれが……親方が日記に記したことが真実だったとすると、獣人であるジェッサと人間の親方との間には子供なんてできない」
そうだった、うかつだった。違う、俺がバカすぎた。
子供ができたとかそう言う問題じゃねえ。俺たち獣人と人間とで子供が出来たって言う方のが問題だったんだ!
でもね、と一拍置いて、ルースはアスティ他男全員を呼び寄せ、静かにこう付け加えた。
「しかし彼女は違っていた……いや、違うというか、ジェッサは獣人だけど人間でもあったんだ」
「「「「なんだってえええ!?」」」」
その言葉に、イーグもアスティも……いや、その場にいた男たち全員揃って変な声が出てしまった。
⭐︎⭐︎⭐︎
「……こうして、ジェッサは半分獣人、そして半分は人間という身体になったのさ」
ルースは俺たちにジェッサの、いや親方が遺した日記のことをすべて話してくれた。
もちろん俺が驚いたのは言うまでもない。ずっと俺は辺境の地で買われたって言われてたんだ。今更……そう、ネネルも話してたっけ。俺がマシャンヴァル生まれだったってことを。
「ラッシュが戦っている最中に突然人が違ったみたいに暴れるのって、そういう意味があったんだな……まあ別に俺っちはそんなこといまさら言われたって驚きもしねえさ。俺たちに良くしてくれるんだしな」
屈託のないイーグの笑顔にちょっと救われた気がした。
「ですよね。それにまだラッシュさんがあのマシャンヴァルの生まれだと決まったわけじゃないし。たまたまそこにいたところを親方さんが救ってくださったわけであって。それもきっとディナレ様のお導きがあったのだと僕は思います」
ありがとよ、と俺は熱弁するアスティの頭を撫でてやった。
まるで子供みたいに喜んでくれてるし。いいやつだ。さすが俺のファン1号。
そうだよな、まだまだ俺の生まれには謎が多すぎる。ディナレとの関係だってその一つでもあるのだし。
「けどさ、なんでオルザンの池に落ちちゃっただけで人間の身体になるの? それが全然わからねーんだよな」
「ああ、たしかにフィンの言うとおりだ。親方の日記は確かに謎が多すぎる。だから僕は……」
ルースは拳をぎゅっと胸に置いて、力強く告げた。
「この交易が終わったら、僕はオルザンを探しに出ようと思うんだ」
ああ、あらかた見当はついていた。何よりこいつの、ルースの身体も良くなったことだし、また研究心に火がついたんだ。それを止めることは誰にもできやしない。
「これはオルザン……いや、敵国マシャンヴァルを知るために必要なことなんだ。未だに歴史の書にも記されていないほどの閉ざされた国なのだし。まずは敵をきちんと知らなければ……」
「まだまだ課題は山積みだね……」あくびをかみ殺しながらトガリはそう答えた。
「うん、それにジャノの兄さんであるガンデにも会ってみたいしね」
そういやジャノが言ってたな。双子の兄貴……しかもご丁寧に親方の名前を付けるっていうのもなあ。
「なに深刻な顔して会議してるの? 温泉最高だったよ」
と、バスローブ一枚身体に巻き付けただけのジールが部屋に戻ってきた。つーか女連中の部屋は隣だろーが。
「みんなで一緒に温泉でお酒飲んでたんだよー、もう最高! きゃははは!」
ジャノとパチャがお互い肩組んで入ってきた。こいついつの間に意気投合してたんだ。
いや、この二人結構性格似てるっぽいし、だからあっという間に仲良くなれたのかもな。
「おとうたん、おふろしよ」
いつの間に眠りから覚めていたのか、チビが俺のスカートの裾を引っ張って催促してきた。
……いや、ようやく俺のもとに戻ってきてくれたんだな。さっきまで近寄ってもくれなかったんだし。
いや、俺も風呂しないといけないのか?
さっきは生贄の件で半ば無理やり身体を選択させられたんだが、また入らないとダメなのか!?
「ラッシュさん、みんなで温泉入りましょう。ここの温泉って旅の疲れも一発で吹き飛ぶって話ですし」
「そうだよね。ラッシュって風呂してるとこ俺も見たことなかったし」
「じゃあ、僕も温泉入ってみようっと」
「ラッシュ、一緒に入ろうぜ。裸の付き合いも必要だぞ」
……マジか。