乙女に神器は似合わない

声が聴こえる。

聴き慣れた声だ。

胸が締め付けられるほどの郷愁を誘う声だ。

幽巳っ！

私の大事な妹

明るくて、快活で

そして、姉思いの優しい妹

その妹が

幽巳が、苦しんでいる

悲鳴を上げ、助けを求めている

闇と混沌の中を漂う自分にとって、それだけで目覚めるには十分だった。

待ってなさい、幽巳！

すぐに行くから

姉さんが必ず助けてあげるから

必ず……

私が……

【本当に、それでいいのか？】

誰かの声がした。

あなたは、確か……蛇比礼(おろちひれ)？

【我は、お前の神器だ】

【お前は、我を拒絶した】

【だが、今は我の力を欲している】

【本当に、それでいいのか】

質問とも、確認ともとれる意識が、頭に流れ込んで来る。

あなたは言ったわ

神器とは神の与えし至宝だと

あなたなら、あの子を助けられるんでしょ？

【我の力は神の与えしもの】

【それは、お前自身の人知を超えた力となる】

なら、その力を頂戴

あの子を

幽巳を助けるために

お願い！

【分かった】

声が止むと同時に、体内に何かしら熱いものが込み上げてきた。

それはまるで、蛇のようにうねりながら集まり始める。

それらの向かう先は、自らの胸元だった。

目を落とすと、瑠璃色に輝くペンダントが映る。

妹に貰った大切な宝物だ。

それが今、眩いばかりの光を放っている。

そして、光の中に浮かび上がる紋章

鋭利な八角の紋様──

突如、霊那の体から闘気が迸った。


バババァァァーン！！！


雷鳴の如き轟音が鳴り響く。

宙に浮き、瑠璃色の髪を揺らす霊那を、皆息を呑んで見つめた。

神々(こうごう)しい女神のごときその姿に、目が釘付けとなる。

霊那の視線は、仁王の体から突き出た一本の手に注がれていた。

「幽巳……」

霊那の口から言葉が漏れる。

すると突然、ゆらゆらと靡(なび)いていた髪が花開くように広がった。

その一本一本が、まるで生きているかのように蠢く。

次の瞬間、それらは一斉に仁王目掛けて襲い掛かった。

長く伸びた髪の毛は、巨人の首と腕に巻き付き、激しく締めあげた。

仁王の動きが止まる。

さらに、スルスルと伸びた先端が巨人の体内へ潜(もぐ)り込んでいく。

たちまち、仁王が身を震わせて苦しみ出した。

声にならない雄叫びを上げながら、懸命に振り解(ほど)こうと暴れ狂う。

「無駄よ。お前は私を食べれない。何故なら……」

霊那の瞳が怪しく光る。

「私が、お前を食べるから！」

そう言い放つと、少女の髪が波打つような蠕動(ぜんどう)運動を始めた。

それは明らかに、仁王の体内から何かを吸い取っていた。

「蛇王の晩餐(スネーク・ディッシュ)！！」

霊那の叫びが、空気を揺るがす。

見る見る仁王の巨体が、枯れ木のように痩せ細っていった。

まるで、体中の生気を吸い取られたかのようだ。

やがて、完全に動きの止まった巨人の身体を、幾筋もの亀裂が走った。

ガラガラガラ……

乾いた音をたて、体が瓦解(がかい)し始めた。

雪崩(なだれ)の如く崩れ落ちた肉片が、瓦礫の山を作る。

そして……

その山に、埋もれるように倒れる一つの人影があった。

気を失った幽巳である。

「鈴っ！幽巳を助けるんだ」

それを見た時空が叫ぶ。

「で、でも……今は時空さんの方が！」

「俺の事はいい！早くしないと幽巳が危ない。今アイツを助けられるのはお前だけなんだ！」

泣きそうな表情で訴える鈴に、時空が激しい口調で言い放つ。

「早く！」

時空の有無を言わさぬ指示に、鈴は決心したように頷くと幽巳のもとへ走った。

倒れている少女の傍(かたわ)らに跪(ひざまず)くと、手に持つ古書を翳(かざ)した。

「これは……神器の力が殆ど残っていない。このままでは、命も危険だわ……」

幽巳の力の輝きを見通した鈴は、古書に手を添え集中した。

「命脈(めいみゃく)の降臨！！」

古書──道返玉(ちかえしのたま)から七色の光が噴水のように噴き上がる。

それは緩やかな渦を巻きながら、幽巳の体に降り注いだ。

「幽巳……」

それを目にした霊那は、ひと言囁くと、そのまま地表に降り立った。

そして瑠璃色の光が消失すると同時に、その場に倒れ込んでしまった。


「……キキィィィっ！お、おのれ！」

その光景に、我に帰った赤角が怒りの奇声を上げる。

「まさか、こんな時に覚醒するとは！」

悔しさで歯軋りしながら喚き散らす赤角。
この段階での幽巳の覚醒は、明らかに計算違いだったようだ。

「こうなったら……せめて、八握剣だけでも手に入れて……」

声を震わせながら、赤角はもう一体の仁王の方を顧みる。

「やれ！神武時空を殺せ！」

赤角の指示で、時空の腕を咥(くわ)え込んでいた仁王が両手を開く。

時空の体を抱え込む気だ。

「……くそ！」

懸命に抗(あらが)うが、奪われた腕の自由は戻らない。
引き抜くどころか、次第に巨人の体内へと取り込まれていく。

抵抗むなしく、巨大な手が時空の体を羽交(はがい)締めにした。

「ぐっ……！」

時空の口から呻き声が漏れる。

息が詰まり、骨の軋む音が頭の中に響き渡った。

「時空さん！」　

「せんぱい！」

皆の叫ぶ声が耳に響く。

激痛に耐えながら目を向けると、今なお異形の大群相手に死闘を続ける仲間の姿が見えた。

皆かなりの傷を負い、すでに満身創痍の状態だ。

「み、みんな……」

瀕死の幽巳とそれを助けんとする鈴。

気を失ったまま動かない姉の霊那。

すでに力の限界を超えている尊、柚羽、晶、凛。

そして身動きの取れぬまま食われつつある自分自身。

まさに、絶対絶命であった。

頭と片腕を残し、他の部位は巨人の体内に取り込まれてしまう。

薄れゆく意識の中、僅かに突き出した掌を固く握りしめる。

窮地を脱する事のできない自分の非力さが情けなかった。

「みんな……すまな……い……」


「…………」


「真龍飛炎！！」


頭部が埋没せんとしたまさにその時、聴き覚えのある声が辺りに木霊した。

どこからともなく現れた白い炎が、仁王の顔面を直撃する。

巨人は目を押さえながら、苦悶の声を上げた。

体内へ引き込もうとする動きが、一瞬止まる。

「そいつの弱点は目よ。ほら、しっかりしなさい！時空」

叱咤(しった)する声が耳に届く。

仁王の動きが止まると同時に、時空の意識も戻ってきた。

最後の力を振り絞って、剣を持つ手を動かす。


「ぬおぉぉぉっ！」


今までびくともしなかった腕が、嘘のように引き抜けた。

「霊鶏(れいけい)の蒼炎(そうえん)！！」

時空は、仁王の両眼に向かって青藍の炎を放った。

頭部が青い炎で包まれた巨人は、顔を掻きむしりながら身悶えた。

完全に体の自由を得た時空は、その隙に跳躍して難を逃れる。

かなり体力を奪われたが、まだ闘気は残っていた。

仁王と距離を置き、肩で息をする時空の眼前に何者かが降り立つ。

見覚えのあるブロンドヘアに碧眼の美貌──

両手に煌(きら)めく双柱剣(ふたはしらのつるぎ)──

伊邪那美仄だ！

「お前……！？」

絶句する時空の方を振り返り、仄はいつもの氷の微笑を浮かべた。

「お待たせ、時空。私がいなくて寂しかった？」