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地の巻

廊下を歩く鈴の目は、前を向いていなかった。
眉間に皺を寄せ、しきりに何か考えている。
その胸元には、例の褐色の古書があった。
元の場所には戻していない。
この本との出会いが、何かしら運命的なものに思えたからだ。

手放すべきではない──

そんな予感めいた感情が、この本との離別を拒否していた。

たまに立ち止まっては本を開き、何事かぶつぶつと呟き、また閉じる。
すれ違った生徒の怪訝(けげん)そうな視線も、お構いなしだった。

「……絶対に何か……意味があるはずよ……」

彼女の直感によると、道返玉(ちかえしのたま)の神宝図を表紙に()えたこの本は、間違いなく【本物】だった。
何が【本物】かと問われても、具体的な説明はできない。
だが、【十種神宝(とくさのかんだから)】に関係している事は間違いない。

あるいは……

鈴はまた立ち止まると、しげしげとそれを眺めた。

「これが、神器そのものとか……」

現存する宝物(ほうもつ)には、古文書、古絵図(こえず)など書物に類するものが多い。
いまだ正体の分からぬ【十種神宝】が、実は書物であったとしても、なんら不思議はない。

ただ気になるのは、何も記されていない事だ。

何故、全ての頁が白紙なのか……

確かに古書の中には、未完成のものも少なくない。
それも歴史的背景を示す、一つの(あかし)と言える。

もしかして、これもそうなのだろうか?

装丁(そうてい)はされているが、内容の作成まで至らなかったのだろうか?

それとも……

もしかしたら……

この形態こそが、この神器の特徴なのだろうか?

分からない。

もっと、よく調べないと……

鈴は大きくため息をつくと、今日で四日目となる図書室への階段を上り始めた。

その時だった……

ふいに、抱えていた本に違和感を覚えた。

微かな、静電気のような衝撃が両腕に走る。

咄嗟に目を向けた鈴の顔から、血の気が引いた。

褐色の表紙が、まるで虹のように七色の光を放っていたからだ。

それは【光る】というより、【踊る】といった方が正解かもしれない。

時に速く、時に戸惑うような動きで、本の内外を出入りしていた。

何これ!?

一体、何が起こったの?

あまりに非現実的な現象に、鈴は心中で絶句した。

光る本など……ありえない!

様々な色に変化しながら、光は手の上を飛び回る。
誘導されたかのように、鈴は無意識に本を開いた。
視線を落とした途端、体に衝撃が走る。
あまりの衝撃に息が詰まり、額から汗が噴き出した。

信じられない事だが、そこには……


事代(ことしろ)(すず)さんね?」

突然、階段の上から声がする。

呆然と本を睨んでいた鈴は、思わず飛び上がった。

「……え、あ……は、はい!?」

反射的に向けた視線の先に、ひとりの女性が立っていた。
ブロンドヘアに碧眼(へきがん)の、身震いするほどの美少女だ。

「あ……あなたは、確か……」

「こんにちは」

しどろもどろの鈴に、その少女は妖艶な微笑を投げかけた。

伊邪那美(いざなみ)(ほのか)といいます」

この少女の噂は、鈴の耳にも入っている。
文武両道で、超絶美形の帰国子女。
三年生の間では、ファンクラブも存在していると聴く。
鈴のいる二年のクラスでも話題にのぼるが、実際顔を見るのはこれが初めてだ。

「あ、こ……こんにちは」

ぎこちなく返事を返しながら、相手に表紙が見えないよう本を胸に抱える。

「あの……私に何か」

自分に何の用事があるのかは知らないが、これを見られるわけにはいかない。
探るような視線を向ける鈴に、仄は氷の笑みを崩さなかった。

「そうね。用があるのは、どちらかと言えば《そちらの方》かしら」

そう言って、仄は鈴の胸元の本を指差した。

ハッとした表情で、鈴が身構える。

「私にもその本……道返玉を見せてくださらない」

張り付いた笑顔のまま、仄は階段を下り始めた。


*********


「主将、どうしたらいいんでしょう……」  

目に涙を溜めた伊織が、声を震わせる。

事代鈴が、昨日から家に帰っていないという。

先方の家族から連絡を受け、伊織も心当たりを探したがいまだ見つかっていない。
放課後に学校の廊下で見かけたという情報があるが、それが最後らしい。
警察への捜索願いも含め、学校側と家族とで協議が行われているようだ。
校舎の裏庭では、時空を前に伊織の激白が続いていた。

「私のせいです!私が【十種神宝】の話なんかしたもんだから……」

悔しそうに言い放つ伊織。
涙を拭い過ぎて、頬が赤く腫れていた。

「まあ待て。まだ何かあったとは限らないし……そんなに自分を責めるな」

そう言って、時空は伊織の肩に手を置いた。

「主将にあれほど口止めされていたのに、私ったら我慢出来ずに……」

「それについては、俺も反省しているんだ」

時空は、声のトーンを落として呟いた。

「俺の個人的なトラブルに、お前たちを巻き込んでしまった。そのくせ、結局何のフォローも出来なかった。本当に、すまないと思っている」

「そんな……主将は悪くありません!」

素直に頭を下げる時空に、伊織はすぐさま強い口調で否定した。

本当に、この人は悪くない。

悪いのは約束を破った私。

そして……

この人にこんな思いをさせている奴だ!

私の大切な……憧れの人に……

こんな思いを……

絶対……許せない!

「……俺も、心当たりを当たってみるつもりだ」

時空は、励ますように笑みを浮かべて言った。

「居場所が、分かるのですか?」

「いや」

伊織の言葉に、時空は小さく首を振る。

「だが、この件にもし神器が関係しているなら、聴くべき相手は一人しかいない」

そう言いながら、時空は背後にそびえ立つ校舎を見上げた。

その最上階……伊邪那美仄のいる教室を。

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