18話 決闘と襲撃
本から放たれた光は空へ昇り、消えた──。
その直後、ストーンヘイルの上空に黒い雲が集まり始め、瞬く間にノクティリア全土を覆い尽くした。昼間にもかかわらず、世界は闇夜のような深い暗闇に沈む。
「へへへ...スゲェ...」
男は空を見上げ、笑みを浮かべる。
「貴様!何をした!」
「嬢ちゃん、返すぜ!」
グリアナが詰め寄ると、男はルネに向かって本と鍵を放り投げた。それを間に入ったウタが見事に受け取る。
「ウタ...」
「大丈夫、持ってて。」
ウタはルネに本と鍵を渡すと、すぐに踵を返し手斧を抜く。
「俺は知らねえよ。ただ、呼ばれた気がしたんだ...」
膝をついたまま、両手を広げる男。グリアナが剣を突きつけると、男は目を閉じ、口元に微かな笑みを浮かべる。
「混血よ。貴様に恨みはないが、ここで終わらせてもらう。次は誇り高き亜人となって、我が前に立つがいい。」
グリアナは身の丈ほどもある大剣を片腕で振り上げ、男に刃を振り下ろす──。
大きな金属音が響き渡る。しかし、男にその刃が届くことはなかった。
「ウタ、貴様──!」
「勝手なことをされても困るよ。」
グリアナの大剣を手斧一本で受け流し、冷静に告げるウタ。
「その人はまだルネと商談中。」
驚きに言葉を失うルネ。そんな様子を見たグリアナは、突如笑い出した。
「いいだろう、ウタ。この男の命を賭けて私と決闘しよう。」
「いいよ、やろう。決闘...手袋を投げればいい?」
「いや...」
グリアナは剣を持ち上げ、横薙ぎに振るう。それを冷静に後ろへ跳んでかわすウタ。
「女じゃないんだ、そんな女々しい真似するかよ。」
グリアナは笑いながら、猛獣のような威圧感を放つ。
「いや、亜人はみんな女の子でしょうよ。」
ウタは手斧を腰にしまうと、弓に矢を番える。近くで心配そうに見つめるルネの傍らにはシャイラが歩み寄る。
「あんたのツレ、度胸あるねぇ...」
「ほんとに...」
ウタは冷静にグリアナとの距離をとる。
「弓を構えなくていいのか?」
「その必要はないよ。」
「そうか...では。」
グリアナが一歩を踏み出す。
瞬間、石畳が音を立てて割れ、一瞬で間合いが詰められる。右腕一本で振り下ろされた大剣の鋭い一撃は予想をはるかに超える速度。ウタはかろうじて横に跳び回避するが、振り下ろされた剣が地面を抉り、飛び散る破片が空気を切った。
続けざま、グリアナの剣が予備動作なしに振り上げられる。その鋭さに、ウタは間合いを取りきれず一撃を浴びそうになるが──剣の腹を蹴り、軌道をずらしつつ、華麗に上方へ跳躍。
着地と同時に後方へ跳び退るウタ。滞空した体勢のまま弦を引き、矢を二連射。放たれた矢は高音を歪ませながら、なおも振り上げた剣を構えるグリアナに吸い込まれていく。
直後、鋭い金属音が連続で響き渡る。
「盾を使うのは久しぶりだな。」
グリアナが左手に構えた丸盾を掲げる。小ぶりながら堅牢そうなその盾が矢を受け止めた。彼女は顔の半分を隠しつつ、楽しそうに微笑む。
「両腕あるじゃん...なんで片腕って呼ばれるの?」
不満げに問うウタ。しかし、視線を外し弓の弦を手早く張り直して新たな矢を選び始めた。
「私から目を離すなんて、随分余裕があるじゃないか。」
「まさか。私は後ろにも目があるんだよ。」
グリアナは堂々とした足取りで、構えもせずウタへと歩み寄る。それを迎え撃つように、ウタも弓を構え、矢を番えた。
「ごめん。でも、もう余裕かも。私の勝ちだよ。」
「ほお?」
グリアナが好戦的な笑みを浮かべながら軽く左手を上げて応じる。ウタはゆっくりと弦を引いた。軋む音が辺りに響き、今までにない緊張感を醸し出す。
グリアナが再び踏み出す瞬間、ウタが矢を放つ。その矢は耳を劈く高音を出しながら一直線に飛び、グリアナの盾に命中──だが、矢の威力は強烈だった。
「なに──?!」
盾ごと弾き飛ばされ、グリアナは肉薄してきたウタに石畳に背中から叩きつけられた、というよりも寝かされたような感覚に呆然とした。視界の端にウタの顔が入り、首元には冷たい金属の感触。
「私の勝ちでいいよね?」
ウタは倒れたグリアナの上に乗り、手斧を首元に当てたまま静かに宣言する。
気づけば、周囲には人だかりができていた。口々に歓声が上がる。
「紫のー!すげえじゃねえか!」
「おいおい、勝っちまったよ...!」
◇
西門の見張り台で暇を持て余していた門番も、この一部始終を見逃してはいなかった。高台から望遠鏡を覗き込み、決闘の様子に感嘆の声を漏らす。
「すげえ...あのグリアナ卿を倒すやつがいるなんてな...」
だが、彼女が街の外を確認するのが遅れたことが事態を動かした。
突然背後から爬虫類の威嚇音が響き、慌てて振り向く門番。目の前には外壁をよじ登る2メートルを優に超える大トカゲがいた。
トカゲの口が大きく開き、無数の牙が見える。次の瞬間、右肩に激痛が走り、門番は悲鳴を上げた。薄れゆく意識の中、彼女は最後の力を振り絞って警鐘の紐を掴み、力いっぱい振るった──
◇
西門から警鐘の音が響き渡る──。
やがて北門、東門、南門へと連鎖的に警鐘が鳴り始めた。それは街が四方から囲まれていることを意味していた。
「敵襲──?!囲まれているのか?!皆を教会へ避難させるぞ!」
グリアナがすぐさま立ち上がり、鋭い声で指示を飛ばす。遠くではいくつかの門の警鐘が次々に鳴り止んでいた。
「シャイラ!教会の鐘を鳴らすように司祭に伝えてきてくれ!」
「ルネ!教会へ行こう!」
「う、うん!」
呆然と立ち尽くしていたルネを引き連れて教会に向かおうとしたその時、突如、悲鳴が上がった。振り返ると、教会の方から目を赤く光らせた巨大なトカゲが姿を現していた。その口が大きく開かれた瞬間──頭に矢が突き刺さり、トカゲは霧となって消えていく。
「なにあの大きなトカゲ...」
「あれはたぶん魔族の使い魔── あ、ウタ!あっちの空!」
ウタの疑問に答えようとする途中で何かに気付き、ルネが空を指差す。その先の上空には飛竜に跨る者がいた。青白い肌、鋭く尖った耳を持つその男は街を冷たく見下ろしている。
「魔抜けだ...さっきの光で魔抜けが起きたんだ。アイツを倒せば使い魔は消えるはず。」
ウタが弓を構え、魔抜けに向けて矢を放つ。しかし矢は直前で軌道を変えられ、魔抜けに届かない。
「ダメよ!魔族には矢は効かない。ニューマ、風の魔法で弾かれるわ!」
魔抜けはゆっくりとルネに視線を向け、その目が鋭く細められる。
『見つけた、アビスブック...』
そう呟くと、魔抜けは飛竜を大きく羽ばたかせ、ルネ目掛けて急降下してきた。ウタが矢を放つが、またしてもニューマで弾かれる。飛竜の鋭い爪が迫るが、ルネは近くの石像へ飛び込むように避ける。
『ちょこまかと...下等な動物風情が...』
「狙いはこの本みたいね...」
「ルネ!石像の傍に!」
教会の鐘が鳴り続ける中、街の外側から次々と人々が逃げ込んでくる。それを追って侵入してくる大トカゲたち。グリアナとシャイラはその対応に追われていた。
教会は既に満員となり、外に溢れる人々が助けを求めていた。ルネとウタはテオの石像の近くへ移動し、石像を盾にすることで飛竜の動きを封じ込めることに成功していた。
「なるほど、この石像もたまには役に立つわね。」
「うん。でも、矢はもうないよね?さっきので使い切っちゃった。」
「ええ...」
「降りてきたところを斧で──」
ウタが相談を始めようとした時、聞き覚えのある悲鳴が響く。
「アリサ──?!」
逃げ遅れたアリサが大トカゲに追い詰められていた。ウタが手斧を構えてトカゲ目掛けて投げようとするが──。
「ウタ!危ない!」
ルネがウタの襟を掴んで後ろへ引き倒す。次の瞬間、飛竜の鋭い爪がウタのいた場所を抉る。
振り返ると、アリサが転んでいた。その目の前でトカゲが牙を剥き、襲いかかろうとしている。
「──銃を使うしかない。」
ウタが拳銃を取り出し構えた瞬間、混血の男の叫び声が響き渡った。
「ファイアアァァァ!!」
白い光をまといながら男がアリサへ駆け寄る。彼の右拳は燃え上がる炎に包まれ、大トカゲの頭を殴り飛ばす。トカゲは壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
その光景に、一瞬、辺りの喧騒が静まり返る。飛竜に乗っていた魔抜けでさえ、その様子に視線を向けた。
ウタは拳銃を構え直し、魔抜けに向けて二発撃つ。乾いた銃声が響き、弾丸はニューマを貫通。魔抜けの肩に命中する。
『うおおおお!』
バランスを崩した魔抜けが飛竜から落下する。ウタは追撃しようとするが──。
「勝機ッ!!」
グリアナの怒号が響いた瞬間、大気が震えた。彼女の足元から石畳が蜘蛛の巣状にひび割れ、激しい衝撃が街路を駆け抜ける。右腕一本で掲げられた大剣に、今や左手が添えられる。
──両手持ち!?
その時、世界は音を失った。
一筋の閃光が大剣から放たれる。ウタの目をも欺く速度で振り下ろされた刃は、石畳を砕き、粉末に変え、触れるもの全てを灼熱の熱で溶かしていく。その力は剣の形を超え、暴風そのものとなって突き進む。荒れ狂う海のうねりの如き猛威が、目標を粉砕し、さらにその背後にあるものさえも飲み込んでいく。
グリアナの一撃は、魔抜けやその乗騎の飛竜を呆気なく塵と化し、進路上の温泉の施設や東の門をも吹き飛ばした。その破壊の余波は外壁を超えてなお続き、街の外へと達した。
やがて、空を覆っていた雲が裂け、陽光が再び街を包む。逃げた水蒸気は高空で結晶となり、大きな虹を描き出した。その光景は、先ほどまで起こっていた事を忘れさせるほどに美しかった。しかし、誰一人として言葉を発することはできない。あまりにも圧倒的で、あまりにも非現実的な出来事に、喉元に声を詰まらせていた。
「すまん!やりすぎた!」
グリアナが振り返り、無邪気な笑顔とともに言い放つ。その子供じみた謝罪が、かえって奇妙な愛嬌を醸し出し、緊張に凍りついた空気にかすかな温もりを戻した。
彼女の異名──『片腕の暴風』それは、彼女が両手を使う時、眼前に立つ者ばかりか、彼女を見た者の思考までも吹き飛ばしてしまうことに他ならない。ウタは、胸の奥でそう確信せざるを得なかった。