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13話 聖騎士グリアナ





「ようやく着いたか……。」

赤褐色の髪に丸みを帯びた愛らしい耳を持つ女性が、大型の馬に揺られながらぼそりと呟いた。全身を鎧で固め、肩には赤い外套、背には自身の背丈ほどもある大剣を携えている。その姿は威厳と力強さを象徴するが、同時に近寄りがたい威圧感も漂わせていた。

普段なら供回りが数人付くはずだが、どうやら今回も志願者は居なかったらしい。最近の若い者たちは恋愛沙汰に忙しく、加えて彼女の剣捌きはあまりに豪快すぎて、供回りの出番がほとんどないのが現実だ。さらに、顔に刻まれた傷跡も手伝い、憧れこそ抱かれるものの、実際に近付こうとする者は少ない。はっきり言ってしまえば不人気なのだ。



「はぁ...。」


ため息を吐く彼女の耳がピクリと動く。可愛げのある仕草だが、彼女自身はそれを意識することもなく、馬を進めていく。今日から採石と炭鉱の町『ストーンヘイル』で、魔抜けや混血の駆除任務が始まる。だが、期待よりも憂鬱が勝る。

──また退屈な日々が始まるのだろう。

門が迫り、たれ耳の門番が緊張した面持ちで敬礼する。拳を左胸に当てる、エスカリオン共和国騎士の敬礼だ。ただ、たれ耳の彼女の動作は微妙に中央寄りで、その不正確さを正したくなった。

──いけない、こういった細すぎるところを直さないと...

「ご苦労。」


一瞥すらせずに一言を投げかけ、馬を歩かせながら門をくぐる。町の中は荒々しい賑やかさに満ちており、石造りの建物が目に飛び込んでくる。

ふと後方から声が聞こえた。


「おい、今のロード・グリアナ様じゃないか?」
「怖かったぁ...。」
「今日も供回りがいないんだな。」


──聞こえてるぞ、馬鹿者ども。クマの耳は良いんだ、知らないのか。

グリアナは心の中で毒づきつつも、顔には出さない。

──本当なら、私も首都アルデンフォードで良縁でも探していたかったよな...。


そんな愚痴めいた思考を振り払うように、馬を進めながら周囲を見回す。そして目に止まったのは、混雑した食堂に向かう小柄なブロンドの猫耳娘。見た目にも可憐なその姿は、グリアナの理想に近い。

──ああ、なかなか好みの子じゃないか。

彼女は馬車列を先に進ませ、猫耳娘の動きを眺めることにした。昼食を求めて賑わうオープンテラスの食堂で、その娘が見事に人々の波をすり抜けていくのを目で追う。やがて彼女は両手に食事を持ち、テラス席で待っている恋人らしき人物の元へ向かい、明るい笑顔で料理を差し出した。

だが、その席にいたのは紫色の髪を持つ女性だった。

「なんだ、友連れか...。」

一瞬がっかりしたグリアナだったが、紫色の髪に目を奪われる。これまで一度も見たことのない色だ。

──紫……?

興味を引かれたグリアナは、馬をゆっくり歩かせながらその女性に向かい耳を澄ます。町の喧騒の中、退屈な日々に終止符が打たれようとしていることなど、彼女はまだ知る由もなかった──





□◇





「ウタ!お待たせっ!」


まるで狩りを終えた猫が戦利品を見せびらかすように、ルネが嬉々とした表情で昼食を両手に持って戻ってきた。


「ありがとう、すごいね。あんなに混雑してたのに。」
「ふふーん、伊達にネコ被ってないからね!」


ルネは目を閉じて得意げな表情を浮かべる。言葉は洒落にもなっていて、思わず感心するウタ。そのとき、ふとルネが何かに気づいた。


「あれ?有名人がいるよ。」
「え?どこ?」


ウタがルネの視線の先を探し、身を乗り出す。


「あの馬に乗ってる人?」
「そうそう、聖騎士グリアナさんだったかな?『片腕の暴風』なんて呼ばれてる事もあるよ」

「片腕の暴風……。」

──隻腕じゃないんだ?


その人物に目を向けると、赤い外套で左腕が隠れている。動きからして二の腕から先は無いように見えた。


「なんか、こっちに来てない?」
「……うん、来てるね。」


グリアナとおぼしき女騎士が、二人のそばまで馬を寄せる。そして堂々と下馬した彼女の背格好にウタは目を見張る。馬の体高すら超える堂々たる体躯。

── 大きい...2メートル近くあるのでは...!


「食事中にすまない。私は騎士グリアナ。そちらの方、身分証はお持ちか?」


その問いに、ウタは正直に答えた。


「いえ、持っていません。」


グリアナの眉がピクリと動く。次第に場の空気が張り詰める気配を感じた。


「申し訳ありません、騎士様!」


唐突にルネが声を張り上げた。表情は華やかに花が咲いたように愛らしい。


「この方は私の友人で、田舎からわたしが誘って遊びに来てくれたんです!街に着いたのもついさっきで……どうか、どうかお許しを!」


ルネの振る舞いにウタもグリアナも呆気に取られる。普段の彼女からは想像もつかない高い声と芝居がかった仕草。

──え、こんな声出せるの?


「おお、なんと可憐な花……。」

グリアナは感動したようにルネの手を取り、片膝をつく。目を閉じたその仕草は、まさに騎士の風格そのもの。


「どうだろう、今夜、私とお食事でも。」
「まあ、そんな急には困りますわ……。」


ルネが微妙にウタの方をちらりと見てくる。ウタはその視線を受け、思わず立ち上がった。


「身分証は明日、ギルドで作りますから!」


緊張の中で発したその声に、グリアナは一瞬目を細めたが、やがてゆっくりと立ち上がる。その威圧的な体格に、自然と見下ろされる形になったウタだが、視線を逸らさない。


「……そうか。ならば、発行後に教会へ届け出てくれ。私の名前を出せば通してくれるだろう」
「分かりました。」


グリアナはキザに一礼し、馬に戻っていった。


「ふう……緊張した……。」


グリアナが完全に見えなくなってから、ルネは大きく息を吐いた。


「なんだかなぁ……。」
「ふふっ、私の名前も聞かずにウタを煽ってただけよ。」


ウタは拍子抜けしたようにルネを見つめた。


「……そうだったのか。なんか負けた気がする。」
「そんなことないよ♪」


ルネは満足そうに微笑んでいる。それが妙に気になったウタは、さらに突っ込もうとしたが、その前にルネが一言を添える。


「あんな大きな相手に堂々としてたのは、カッコよかったよ♪」


急な言葉にウタは一瞬ぽかんとした。すぐに頬が熱くなるのを感じながら、なんとも言えない照れ臭さが胸に広がった。


「さ、食べよ。」
「うん。これ、なんていうの?」


ウタの目の前には、ルネが買ってきたサンドイッチが置かれている。黒っぽいパンに挟まれているのは、香ばしく焼かれた鶏肉、シャキシャキのレタス、そして黒い小さな実──見たことのない食材ばかりだ。ルネの分には、色鮮やかな野菜がぎっしり詰まっている。


「こっちは赤ブラ鶏のサンド、ラコの実入り。私のはパップーサンドだよ。」
「……赤ブラ? ラコ? パップー?」


聞きなれない名前に思わず笑いがこぼれる。だが、未知の味への期待と不安が入り混じり、ウタは少し躊躇してしまった。


「首都とは反対側にブライトって街があるんだけど──」


ルネが楽しげに説明を始めたタイミングで、ウタは恐る恐る一口かじる。

柔らかいパンの香ばしさ、ジューシーな鶏肉の甘辛い味付け、シャキシャキのレタスの歯ごたえ。その中で、ラコの実がプチっと弾け、フルーティーな酸味が口いっぱいに広がる。


「んっ、美味しい!」


声に出してしまうほどの美味しさだ。だが、その瞬間、テーブルの上からラコの実がひとつ転がり落ちた。


「あっ!」


反射的に手を伸ばしたウタだったが、白い影が横切る。気づけば、一羽の白い鳩がテーブルの上にとまり、ラコの実を奪い去っていく。


「えっ、速い...この辺の鳩って、みんなこんななの?」
「いや、その鳩は...特別かな。」


よく見ると、青い宝石がはめ込まれた首輪をつけている。その鳩はさらに図々しく、ルネのパップーサンドを包みごとくわえ飛び立った。


「あ、こら! 返して!」
「仕方ない、追いかけてくるわ。」


立ち上がったルネを制するように、ウタが弓を構える。


「撃ち落とそうか?」
「ちょ、待って! 知り合いの鳩なの!ちょっと待っててすぐ戻る」


ルネはウタを慌てて止めると、すぐさま鳩を追いかけていった。

──鳩って、食べれるのかな?

ウタはぼんやりとそう考えながら、テーブルに残されたサンドイッチを見つめた。





白い鳩を追い、ルネは路地裏に来ていた。高い建物に囲まれた薄暗い場所。鳩はある扉の前で執拗にくちばしを叩いている。


「こんなところに入るの...?」


ルネは小さくため息をつき、扉を押した。

中は真っ暗だった。だが、鳩は迷うことなく奥へ進む。ルネはポケットから黄色い宝石が埋め込まれたガラス玉を手のひらに転がし、白い光を送り込む。次第に宝石が回転し始め、淡い光を放ち始めると、周囲にぼんやりとした明かりが広がる。


「もう少しマシな登場はなかったの、アイマン?」


目の前にある古びた机。その上に白い鳩がちょこんと座り、羽を整えている。


「手段を選ぶ余裕はなかった。」


鳩から発せられる低い男性の声に、ルネは肩をすくめる。


「それで、何か起きたの?」
「首都に潜伏していた者たちから、三日前から連絡が途絶えている。」


ルネの表情が険しくなる。


「三日も? それじゃ...」
「首都で何かが起きているのは間違いない。」


アイマン──白い鳩は少し首をかしげるようにして話を続ける。


「組織としては調査に行くことを推奨したいが、今の首都は危険すぎる。それに君はひとりだ、無理をさせるわけにはいかない。」

「...考えさせて。後で連絡する。」


ルネはそう答えると、再び路地裏の冷たい空気の中に身を戻した。扉にもたれ掛かり、ポケットに手を突っ込んだ。


「...手に入りそうになった瞬間、これか。」


視線を上げても、見慣れた街並みがただ静かに続くだけ。何かを振り払うように一度目を閉じると、ルネは小さく息を吐いて足を踏み出した。







パップーサンドを買い直し、ルネは食堂へ戻る道を急いでいた。市場の喧騒が耳に響く中、向こうにウタの姿が見える。

ウタはぽつんと一人、椅子に座り、じっと何かを考えているようだった。どこか遠くを見るような瞳、指先でテーブルをなぞるその仕草が、どこか儚げで──

ルネの足が思わず止まる。


自分でも理由はわからない。ただ、その姿が胸の奥をじわりと締めつけるような感覚を呼び起こした。

一瞬だけ、手にしたサンドイッチをぎゅっと握りしめる。気づけばルネの口元に自然と笑みが浮かんでいた。ウタの元に駆け寄り声をかける


「ウタ、お待たせ!」


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