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14話 硬い殻と果実






ストーンヘイルの市場は昼下がりでも活気に満ちていた──

石造りの町の中心には露店がひしめき合い、新鮮な野菜や果物、塩漬け肉に手編みの防寒具、さらには石割り用の工具までが所狭しと並べられている。商人たちの声が飛び交い、買い物客たちの笑い声が交じり合う中、煤けた空気には焼き菓子やスープの香りが漂い、香辛料や薬草を扱う屋台が色彩豊かに市場を彩っていた。この場所こそ、町の心臓とも言える活気そのものだった。

昼食を終えたルネとウタは、首都アルデンフォードへの旅に必要な食料や交易品を買い揃えるために市場を訪れていた。


「すごい人だね……」
「うん、手を繋ぐ?」


ウタの少し不安そうな表情に気づいたルネが片手を差し出し、にっこり笑う。


「うん」


迷うことなくその手を取るウタに、ルネは目を細める。彼女の手を引きながらゆっくりと歩き出すと、握った手を軽く持ち上げて「ほら、いくよ」と無言で示した。触れる手の温かさに、ウタはふとキャンディ博士を思い出す。


「何を買うの?」
「んっとね~鶏肉でしょ、ワイン樽と御影石。それと……鶏肉!」

「さっきの昼食も買ってくれたよね」
「さすがに飽きる?」


ルネが振り返り、少し心配そうにウタの顔を見る。


「ううん。ルネが好きなものも食べたいなって」
「私の?何でも好きだけど、強いて言えば桃かな。リンゴも好き」

「果物が好きな猫なのか」
「にゃあ~♪」


猫になりきるルネの仕草につい笑みがこぼれる。ネコ被るのは得意だとばかりにルネは声色まで真似してみせた。

やがてふたりは一軒目の屋台に到着する。鶏肉を串に刺して回転させながら焼く屋台で、香ばしい匂いが漂う。看板には包丁と鳥の絵が描かれ、いかにも専門店といった趣だ。


「わぁぁ……!」
「美味しそうだね」


焼きあがる鶏肉を眺め、感嘆の声を漏らすふたり。そんな様子を目に留めた尖った黒耳を持つ女性店主が、手慣れた動きでナイフを取り上げる。香ばしく焼けた鶏肉の一部を切り落とし、小さな木の皿に乗せてふたりの前に差し出した。


「ほら、食べてみな。美味しかったら買ってくれよ」
「ありがとう」


ルネが皿を受け取り、ウタに差し出す。

──うぅ……お箸がほしい。

日本であれば試食用に爪楊枝やフォークがついてくるのが当たり前だが、ここではそうもいかない。指でつまむのがためらわれ、手が止まってしまう。そんなウタを見かねて、ルネが肉をつまみあげる。


「何やってんの、ほら食べな~」
「あ……」


促されるまま口を開けたウタだが、勢い余ってルネの指まで咥えてしまった。唇が指に触れた瞬間、ルネがビクッと身体を震わせる。


「わ、わたしの指まで食べないでよ!」
「ごめん」


ルネは頬を赤らめながら注意し、ウタは手で口元を隠しながらモグモグと肉を咀嚼しつつ謝った。その視線がルネの指に向けられているのに気づき、ルネは「狙われてる」と言いながら布で指を拭く。


「店主、これ赤ブラ鶏?」
「お、よく分かったな!」

「うん、旅用に2クロン分包んでもらえる?」
「まいど~、銀2枚でいいぜ」


黒耳の店主が手際よく肉を葉で包み、布で巻いて差し出すと、ルネは銀貨を渡して取引を済ませた。


「クロンってなに?」


ウタは小さな疑問をルネに聞くと、近くの果物屋を指さす。


「あれがクロンの果実でね、重さがだいたい均一だから昔は計る時に使われてたんだよ」


ルネが教えてくれた果実は灰色の硬い外皮を持ち、中から赤い果実が覗いている。


「食べてみたい?」
「うん!」


ルネと一緒に果実店の傍まで歩いていき、店主に声をかける。しかし「クロンの果実をひとつだけ」と伝えると、黒い角を持つ羊の店主は言葉を発することなく、どこか困惑したような表情を浮かべた。


「これでいい?」


ルネは静かに前掛けのポケットから淡い水色の水晶を取り出して見せる。その瞬間、店主の表情が一変し、硬かった顔はにこやかな営業スマイルに変わる。

──この水晶も通貨として使えるのかな?

私が考え込んでいる間に、ルネは水晶で支払いを済ませ、クロンの果実を受け取ると、手際よく肩掛け鞄にしまい込んだ。


「部屋に戻ったら一緒に食べようね」
「うん」


楽しげに微笑むルネが、どこか頼もしく見える。それでも私はふと気になって、ぽつりと聞いてみた。


「なんか、今日の私は少し大人しく見えるかも」
「そうね、知らないことが多くて不安なんじゃない?かわいいと思うけど」


そう言いながら、ルネは微笑み、私の背中を軽くポンポンと叩いてくる。その優しさが胸に伝わり、じんわりと暖かくなる気がした。


「わかるよ、私も昔は何も知らないまま、師匠に拾われたんだから」


その言葉にはどこか懐かしさが漂っていた。ルネは歩きながら買い物を続け、楽しげに話してくれる。

──この大陸は「ノクティリア」と呼ばれていること。亜人の国ではほとんど銀貨しか流通せず、それ以外は物々交換が主流であること。大昔、クロンの果実の殻で築かれた「殻塚」という壁が存在していたこと──

彼女の話を聞きながら、私は次第にこの世界のことが少しずつ分かっていく感覚を覚えた。何も知らないままここに来た私にとって、ルネの語る一つ一つが宝物のように思えた。











買い物を終え、部屋に戻るとルネはベッドに倒れこみ、伸びをする。そして当たり前のようにウタはベッド、ルネの傍にすわる。


「ふぅ~、疲れたぁ!」
「お疲れ様。荷物運ぶの、手伝えてよかった」


市場で買い込んだ品物は相当な重さがあったが市場から荷車ひとつで宿の馬車まで運んだが、ウタは平気そうな顔をしている。

そんなウタに、ルネは呆れつつも笑う。

──私がいなかったらどうするつもりだったのだろう...


「じゃあ、マッサージしてくれる?」


ルネはうつ伏せになり、振り返りざまに挑発的な笑顔を浮かべた。ウタはその言葉に一瞬動揺し、返答に詰まる。触れてみたいという気持ちが胸に生まれつつも、それを行動に移すのは気恥ずかしく、どうしていいかわからない。

そんなウタの反応を見て、ルネは子供のようにイタズラが成功したと笑い、枕を抱きしめる。


「まだ早いね」
「そ、そうだね...」


ルネはベッドの端に腰掛けると、鞄からクロンの果実を取り出し、背中から鋭利なナイフを滑らかに取り出した。その動作は驚くほど自然で、まるで身体の一部であるかのようだった。

「さ、食べよっか。切るのはお願い♪」
「え、私が? 切ったことないよ...」

「教えてあげるから大丈夫だってば!」

無邪気な笑顔で差し出されるナイフを受け取りながら、ウタは軽くため息をつく。それでもその笑顔に逆らえない自分に気付き、苦笑した。

教わりながら何とか硬い殻を剥ぎ、分厚い赤い皮と格闘しつつも、ウタはようやく果実を四等分に切り分ける。


「おお、上手上手♪ 弓だけじゃなく、ナイフの才能もあるんじゃない?」
「いやいや、ナイフは苦手だよ。訓練ではあまり推奨されなかったし...」

「そういえば、ウタって軍人さんなの?」


何気ない質問だが、その裏に探るような視線を感じる。ウタは少しだけ視線を落とし、果実を一切れ手に取る。


「軍用レベルってだけで、本当は実験的な試作機。情報収集が主な任務だったんだ。」


ルネはシャリッと果実をかじりながら耳を傾ける。その様子を見て、ウタは言葉を続けた。


「正確には『自律汎用ロボット型アンドロイド』。英語では『Autonomous Universal Robotic Android』って言って、略して『AURA(オーラ)』って呼ばれてるの。」

「へえ...オーラって、わたしたちが使う言葉と同じ響きなんだね。不思議な繋がりを感じる。」


ルネがそう呟き、果実をもう一口頬張る。それにつられてウタも恐る恐る口に運んだ。

──梨のような食感、でもどこかお米を思わせる風味...不思議な味。


「情報収集が目的なら、わたしと似てるね。」
「行商人って情報が命だもんね。」


その言葉にルネは一瞬目を伏せ、何か考え込むような様子を見せた。


「どうしたの?」


隣に座り直すと、ルネは決心したようにポケットから黄色い宝石が入ったガラス玉を取り出した。そして、指先から白い光を送り込む。

「それは?」
「これはアセントといって、この光は2グリフ以内の音を吸収してしまうの」

「つまり、この会話は誰にも聞こえない?」
「うん」

──音を吸収する光? 聞いたことが無い技術だ...

ウタは感心しつつも、なぜルネがその道具を持っているのかを察し始めていた。亜人の国で人間であることを隠す理由や亜人への好意的な態度――漠然と抱いていた疑念が、ルネの言葉で明確になる。


「私、ラディアス帝国の...スパイなの。」


短く、しかし重い一言だった。


「うん。」
「え、驚かないの?」


ウタは肩をすくめ、正直に答えた。


「なんとなく察してた。身のこなしや知識量が普通じゃないよ。」
「なんとなく、かぁ...」


ルネは苦笑するが、その笑顔にはどこか安堵が浮かんでいた。


「それで...さっき、仲間から警告されたの。首都に向かうのは危険だって。仲間たちが消息を絶ったらしいの。」

「知り合い?」
「ううん。顔も知らない。でも同じ志を持った仲間...出来るなら助けたい。」


ウタは少し考え、ルネの目を真っ直ぐに見つめた。


「なら、一緒に行こうよ。」


その言葉にルネの目が丸くなり、やがて笑い声を上げた。


「なんだか、あっさりしてるね。私があんなに悩んだのが馬鹿みたい...でも危険だと思うよ?」


ウタも小さく笑い、安心させるように言葉を選んだ。


「私は弱くないよ。主力戦車でも無力化できるし、ミサイルが飛んできても君を守るよ。」

「ありがとう!」
「え、ちょ、ちょっと...?」


突然のことで動揺するウタ。しかし、抱きしめるルネの腕は緩む気配を見せない。
むしろ、次第にその力が強まり、彼女の体温と鼓動が、ウタの胸にじかに伝わってくる。

──なんだか息が荒いような...

「ル、ルネ? そろそろ離してくれると...助かるんだけど。」
「もう少しだけ...ね?」


囁く声にかすかな震えを感じながらも、さすがに気恥ずかしさが限界を越えたウタは、意を決してルネの肩を掴んだ。


「はい、もうおしまい! 一旦ストップ!」


少し乱暴に引き剥がすと、ルネは名残惜しそうな顔をしながらも笑みを浮かべた。


「ごめんね。でも、やっぱり力あるんだね♪ 」


軽く笑いながら謝るルネ。その指先が、さりげなくウタの二の腕をふにふにし始める。
どこかぼんやりとした恍惚の表情を浮かべるルネに、ウタはどう反応していいか分からないまま、されるがままになっていた。


「ね、今から紹介したい人がいるんだけど、いい?」
「紹介...? どこで?」

「ここに呼ぶよ、続きはあと♪ 」


柔らかく笑うルネは、名残惜しそうにウタの腕を撫でる手を止めて立ち上がった。その様子にウタは首を傾げる。

──続きはあと、ってどういう意味?

ふとした言葉の裏に妙な引っかかりを感じながらも、ルネの行動をじっと見守る。

彼女は窓を開け放つと、ポケットから青い宝石の入ったガラス玉を取り出した。
それは先程の黄色い宝石とは異なり、白い光を受けてゆっくりと回転を始める。

窓から吹き込む風がウタの髪を揺らし、ほのかな青い光がルネの顔に淡く映る。

ウタはその動きを見つめながら、妙な胸騒ぎを覚えていた。


──まるで、罠にかかった気分だ。







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