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第五十五話 「犠牲」

 月明かりに照らされた、奥仙(おうせん)中山(なかやま)の大草原。山の様に巨大な九尾の白狐の足元で、並ぶとまるで虫のような大きさのしゃらくが、両膝に手を乗せて肩で息をしている。
 「・・・フフフ。辛そうだな、人間よ」
 巨大な白狐に化けた白尚坊(はくしょうぼう)が、足元のしゃらくを覗き、ニヤリと笑う。
 「ハァハァハァ・・・へっちゃらだぜ」
 息を切らしたしゃらくが白尚坊の顔を見上げ、親指を立てる。そこから少し離れた木陰で、太一郎(たいちろう)が心配そうに見ている。
 「・・・しゃらく君」
 すると、白尚坊の背後から九つの尾が顔を出す。しゃらくが目を見開き、身構える。刹那(せつな)、尾の一つがしゃらくに向かい、勢いよく突っ込んで来る。ドォォォォン!! しゃらくは咄嗟(とっさ)にそれを(かわ)し、尾はそのまま地面に突き刺さる。
 「フフフ。尾は九つあるぞ?」
 白尚坊がニヤリと笑う。すると、ドドドドドドドドッ!!! 残りの八つの尾も次々にしゃらくを襲う。しゃらくは懸命にそれらを躱していくが、躱した尾も地面から抜け、再び襲いかかる為、攻撃が終わらない。すると、しゃらくが地面を蹴った瞬間、脚に激痛が走る。地面を蹴り損ね、空中を跳ぶしゃらくの目の前に、白尚坊の尾が向かって来る。しゃらくが目を見開く。刹那、しゃらくの体を誰かが突き飛ばす。
 「!!?」
 しゃらくが思わず振り返ると、そこには太一郎の姿。
 「後は頼む」
 太一郎が、普段と変わらぬ穏やかな顔で微笑む。刹那、ドォォォン!!! 尾と接触した太一郎が、勢いよく吹き飛ばされる。
 「ジイさん!!!」
 太一郎の方へ、しゃらくが痛みを忘れて駆け出す。太一郎は、地面に勢いよく叩きつけられ、そのまま地面を転がる。
 「おい! ジイさん! しっかりしろ!」
 太一郎の元へ駆けつけたしゃらくが、太一郎を抱き上げ、体を揺するが、太一郎は固く目を閉じたまま動かない。
 「何してんだよ! 俺なんかほっとけよ!」
 唾を飛ばすしゃらくの目に涙が溜まる。すると二人の小さな影を、山のように巨大な影が覆う。
 「・・・愚かな。己を犠牲に、人間なぞを(かば)うとは」
 しゃらくが振り返ると、白尚坊が二人を踏み潰そうと、片足を振り上げている。
 「太一郎よ。人間への犠牲なぞ無駄だ」
 白尚坊が上げた足を振り下ろす。ガシィィィ!! 太一郎を地面に置いたしゃらくが、白尚坊の足を受け止める。
 「おォォォォォォ!!!」
 懸命に足を持ち上げるが、しゃらくの両足はどんどん地面に沈んでいく。
 

 一方、しゃらく等がいる場所から離れた所で、ウンケイと地面に大の字になっている竹蔵(たけぞう)、そしてその側には、体が真っ二つに斬られた八尾(はちお)が倒れている。
 「・・・こいつは死んだのか? 出血してねぇ様だが」
 ウンケイが八尾を見ながら、竹蔵に尋ねる。ウンケイの言う様に、真っ二つになった八尾の体からは一切の出血が無い。
 「・・・気を失ってるだけだと思うぜ。俺の術は、対象物を一刀両断するだけ、命までは奪えねぇからな」
 竹蔵が横になったまま答える。
 「そうか。・・・で、お前は何で寝てやがんだ?」
 「俺の術は、使う前と使った後、しばらく動けなくなっちまうんだ。あまりに役に立たねぇから、いつもは使わねぇ」
 竹蔵が、仰向けで空を見上げたまま答える。
 「わはは。まさに“とっておき”だな」
 ウンケイが笑う。そして(きびす)を返し、しゃらく等のいる方を向く。
 「お前が動ける様になるまで、こいつを見張っときたい所だが、俺はどうもあっちが心配だ」
 「アニキは行ってくれ! ここはおいらが見張っとくぜ!」
 声に振り返ると、子狐のコン(きち)が、自信げに胸を叩いている。
 「・・・お前。まだいたのか?」
 ウンケイがツカツカと近づき、コン吉の首根っこを掴んで持ち上げる。
 「ガキがこんな所にいつまでも居るんじゃねぇ! それに俺はお前の兄貴でもねぇ! さっさと帰れ!」
 ウンケイが顔を(しか)めて唾を飛ばす。叱られたコン吉は涙目になっている。
 「何だそいつは?」
 竹蔵が顔だけを起こし尋ねる。
 「・・・こっちが聞きてぇよ」
 ウンケイがコン吉を持ったまま、呆れて空を見上げる。刹那、ウンケイの背後に何者かが迫る。見ていた竹蔵が目を見開く。
 「後ろぉ!」
 竹蔵の声に、ウンケイとコン吉が後ろを振り向く。するとそこには、上半身だけの八尾が拳を振りかぶっている。バキィィィ!! 咄嗟にコン吉を庇ったウンケイが、勢いよく頬を殴られ、吹き飛ばされる。コン吉を抱きながら受け身を取ったウンケイは、直ぐに起き上がり八尾の方を見ると、上半身だけの八尾が今度は寝たままの竹蔵に両の拳を振り上げている。八尾は白目を剥いており意識は戻っていないが、本能のみで動いているようである。
 「ぎゃああ!! 助けてくれぇ!」
 ウンケイが慌てて手元を見るが、コン吉を庇った為、その勢いで薙刀(なぎなた)を手放してしまい、薙刀は竹蔵の傍にある。
 「まずい!!」
 コン吉を置いたウンケイが勢いよく駆け出すが、竹蔵までは距離があり、その間に八尾の拳が振り下ろされていく。
 「うわぁぁぁ!!」
 竹蔵が叫ぶ。刹那、ドォォォン!!! 八尾の拳が竹蔵に触れる寸前、勢いよく八尾の体が吹き飛ぶ。
 「!!?」
 見るとそこには、竹蔵やウンケイと並ぶ程巨体の狸が、片足を上げて立っている。
 「・・・誰だ?」
 初めて見る顔を前に、立ち止まったウンケイが目を丸くする。
 「・・・だ、団二郎(だんじろう)の兄貴ぃ!?」
 竹蔵が目をまん丸くし、口をあんぐりと開けている。
 「はっはっは! 何情けねぇ声出してんだ竹蔵!」
 豪快に笑う狸は、木の小枝を口に咥えた筋骨隆々の巨漢で、右目は傷で閉じられている。
 「仲間だよな?」
 近づいて来たウンケイが尋ねる。
 「・・・俺ら八百八狸軍の特攻隊長。“団二郎”の兄貴だ。でもお頭と遠征に行ってたんじゃ?」
 「おう! お前が俺らの味方だって人間か!? よろしくな! 戦だっちゅうから、慌てて帰ってきたぜ! はっはっは!」
 団次郎という狸が豪快に笑いながら、ウンケイの肩をバシバシと叩く。ウンケイは苦笑いを浮かべる。竹蔵の方は驚いている。
 「って事はまさか! お頭もここへ!?」


 「くっ・・・!!」
 白尚坊の巨大な足を受け止めているしゃらくが、懸命に踏ん張っている。すると、その上空を一つの大きな影が、白尚坊に向かって飛んで行く。白尚坊が目を見開く。
 「久しいなジジイ!!」
 バゴォォォォン!!! 八尾よりも更に大きい狸が、白尚坊の巨大な顔面を殴り飛ばす。その力凄まじく、白尚坊の山の様な巨体が吹き飛ぶ。
 「・・・ギョウブ」
 起き上がった白尚坊が、頬を抑え狸を睨みつける。
 「太一郎様は気を失っているだけだ」
 呆然としていたしゃらくが、声の方を振り返ると、一人の狸が太一郎を抱き上げている。狸は煙管(きせる)を咥え、笠と道中合羽(どうちゅうがっぱ)を身に付けている。
 「・・・あ、あんたら一体?」
 「俺は八百八狸参謀の“芝三郎(しばさぶろう)”。そしてあの人が・・・」
 芝三郎と名乗る狸が空を見上げる。しゃらくが呆然としていると、ズシィィン!! 背後に巨大な影が着地する。しゃらくが恐る恐る振り返ると、白尚坊を殴り飛ばした巨大な狸が立っている。
 「よくぞわしらの為に戦ってくれた! 感謝する! わしは八百八狸総大将の“ギョウブ”だ!」
 巨大な数珠を首に下げた大狸がニッと笑う。
 完

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