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第十四話 方舟祭

 孤児院での騒動からおよそ半月、アキツたちはいよいよ運命の三月末日を迎えた。訓練課程を終えた新人騎士の門出と同時に、未来の騎士たちが新たに誕生する日。この日ばかりはメギド内の職場や学校のほとんどは休みとなり、中央広場では盛大な祭り――方舟祭が催される。一方で騎士訓練校高等科の教官と訓練生たちは卒業セレモニーを兼ねた配属先発表という重要イベントを控えているため、正午から午後にかけての時間帯は学校に戻らねばならない。
 この記念すべき日を祝うかのような快晴の下、朝食を取り終えたアキツたちは方舟祭の会場へと向かっていた。途中、レヴェナの要望によりマシューと合流。北区から中心層へと通じる巨大な門を通り抜け、大通りを人々と共に進んでいく。会場に着くまでもなく、周囲はすでに祭り一色といった雰囲気であった。

「方舟祭を楽しめるのも、今年で最後かぁ」

「そうだな。騎士団に入れば、もうこんな風にはしていられなくなる」

「あーあ、来年の今頃はどうしているやら……」

 アキツとカミユの言葉通り、騎士には祭りを楽しむ余裕はない。方舟祭では非番も含めたほぼ全員が駆り出され、会場や人のいなくなった居住区の警備に当たることが通例となっている。そしてまた、これから先の一年でおそらく同期生の何人かは命を落とし、来年のこの日を迎えられなくなるだろう。カミユの発言にそういう意味が込められていることを、皆も感じ取っているに違いない。そうアキツは思った。

「はぁ、あんたたちはまったく……。会場に着く前からそんなしんみりしたこと言わないでよ」

「ミサギの言う通りだぜ。そんな心持ちじゃ、せっかくのお祭り気分が台無しってもんだ。なあ、カミユさんよ?」

 相槌を打つその声の主は、驚いたことにティルダであった。さらに彼女の陰からひょいと顔を出し「本当よね」と話すミミィの姿もある。ミサギはどうも調子が狂うといった様子で溜息をつくと、この状況を招いた張本人であるアキツをじっと睨みつけた。当の本人はそれを背に感じつつも、満足気な表情を浮かべている。なぜ彼がこれまで一度も行動を共にしたことのない二人を誘ったのか。それはミミィが原因であった。




「ねえ、アキツ。ティルダを祭りに誘ってあげて」

 遡ること数日前、日課の早朝訓練に励むアキツの元を訪ねたミミィは、不躾にそんな頼み事をした。そして戸惑うアキツに、彼女はこう続けた。

「もちろんミサギたちも一緒にっていう意味だよ。ティルダはね、本当はずっとあなたたちと友達になりたかったの。お喋りしたり、お出かけたりしたかったんだよ」

 ミミィは真剣な顔でさらに話す。

「でも天邪鬼な性格だから、素直に伝えられなかった。彼女の意地悪は、そういう気持ちの裏返しなの。ねえ、だからお願い」

 そんなミミィの思いを、アキツが無下(むげ)にできるはずもない。他の三人にも説明できれば話は早かったのだが、口止めされた手前言うわけにもいかなかった。





 そんなやり取りを思い返しながら、アキツはティルダとミミィに目をやる。二人の顔にはどことなく嬉しさが滲み出ていて、そのことが〝どうして今まで気付いてあげられなかったのか〟という後悔の念を強くさせた。
 そんな事情を周囲の仲間たちが知るはずもなく、カミユなどは以前自分が使った言い回しをティルダにやり返され、苦笑いを浮かべていた。

「はは、ごめんごめん。そうだよね。せっかくのお祭りなんだから、先のことなんて考えずに精一杯楽しまなくちゃ」

 カミユはそう言うと、「今年はどんな催し物があるのかな?」とか「何か買いたい物はあるの?」などとしきりに声を掛け続けた。彼なりに間をもたせようと努力しているのだろうとアキツは感じた。
 レヴェナはというと、そんなやり取りに加わろうともせず、少し後ろをマシューと歩きながら何やら話し込んでいる。あの失踪事件以降、レヴェナが彼と過ごす時間は前以上に長くなった。決して口には出さないが、ミサギはそのことが少しばかり面白くない様子である。身を挺してレヴェナを守ったマシューの評価は決して低くはないはずだが、やはり騎士と一般人という生まれの違いはどうにもならない。だがそれ以上に、親友を奪われたことへの不満が彼女のマイナス感情を引き起こしているのではないか? アキツにはそう思えてならなかった。
 様々な思いを交錯させながら、やがて一行は陽気な音楽と喧騒に満ちた方舟祭の会場へと到着した。方舟を中心に幾重にも露店が立ち並び、手縫いの人形や木彫りのボードゲーム、手作りのアクセサリーなど様々な品が陳列されている。それらを興味深そうに覗き込む子供たちの手には、小遣い袋が大事そうに握られていた。希望の玩具や装飾品を手に入れようと品定めをする彼らの表情は真剣そのものだ。
 大人たちの多くは明るい日差しの下に椅子テーブルを持ち出し、使い古した器を手に陽気な声を上げている。肌が赤みを帯びているのは、酒のせいであろう。よほど楽しいのか、酔いにまかせて歌や踊りに興じる者まで出る始末。酒樽が積まれた一角では、黒っぽい制服に身を包んだ精悍な顔つきの騎士たちが黙々と酒を振る舞い、順番待ちの大人たちによって長蛇の列ができていた。

「ミサギちゃん、あれ見て。すごくきれい……」

 ミサギの肩に手を置いて、レヴェナがうっとりとした声を出す。視線の先には、ガラス細工の小物が並ぶ露店が立っていた。日の光を遮る天幕の下、幻想的なランプの灯に照らされたガラス細工たちが宝石のような輝きを放つ。
 ミミィが「わあ、本当ね」と感嘆の声を漏らす横で、ティルダも興味を隠せずに目を輝かせている。ようやく自分の隣にレヴェナが立ったことが嬉しかったと見え、ミサギはご機嫌な様子で珍しいことを言った。

「みんなで見に行きましょう。あそこまで競争よ」

「よーし。駆けっこなら、あたいだって負けない」

「おう、上等だぜ」

 互いに顔を見合わせ、はしゃぎながら一斉に走り出す女の子たち。残った男三人は、遠巻きにそれを眺めていた。

「へぇー、あのティルダとミサギがねぇ……。なんだか女の子っぽく見えるよ」

 聞こえないのをいいことに、カミユは失礼な感想を口にする。

「楽しそうで何よりだ」

 そう話すアキツに同意するように、マシューもうんうんと頷く。その腕は半月が経過した今でも三角巾で吊られ、しっかりと固定されたままであった。

「そういえばマシューさん、腕の具合はどうです?」

 吊るされた腕を見ながら、カミユはそう尋ねた。

「幸いにも折れたのは尺骨だけで、骨折部にズレはありませんでした。あと何週間か保存療法を続ければ、骨も繋がるはずです」

「そうですか。早く治るといいですね」

 すると今度はアキツがこんな質問を投げ掛ける。

「マシューさんは、どうして医者になろうと思ったんですか?」

「実は私、あの孤児院の出身なんですよ」

 意外な話に驚くアキツたちに、マシューはさらに続ける。

「だから、北区の実状は昔からよく知っていまして。ご存じかもしれませんが、あの地区には医者がいませんでした。そのため、急病人が出ると隣の区まで医者を呼びに行かねばならなかったのです」

 マシューは一息間を置くと、その瞳に悲しみを湛えた。

「子供の頃、親友がそれで命を落としましてね。もう少し処置が早ければ、助かっただろうといわれました。私が医者を志したのは、それがきっかけです」

「そんな事情とは……。すみません、軽々しく話題にするべきではありませんでした」

 アキツは丁寧に頭を下げる。

「いや、気になさることはありません。あなた方に比べれば、私の境遇など取るに足りないもの」

 建前ではなく、本心からの言葉だとアキツは感じた。そんな二人の会話を重々しく感じたのか、カミユは普段以上に明るい声で別の話題を持ち掛ける。

「まあまあ、とにかく今は祭りを楽しもうじゃありませんか。実は僕、さっきからずっと気になっているものがあるんです」

 そう言ってカミユはミサギたちが走っていった店とは別の方向に視線を流す。そこには訓練校の女子生徒たちが群がる露店があった。

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