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第百三十三話 火の守り(9)

 仕事だというのにエリッツはまるで外国に来たような気分でわくわくしてしまっていた。レジスの町とは違う形の建物もロイの言葉で交わされるささやき声もエリッツたち一行――というよりは北の王を見ている人々全員が黒髪なのも目新しくて目移りしてしまう。置いてある農作業の道具らしきもの、木桶などの生活用品すら興味深い。
 基本の建材はレジスとさほど変わらないのに明らかに建物のたたずまいが違う。間口が狭く窓の少ない家はロイが寒い地方だからだろうか。木材を多く使いところどころレンガを組み合わせたような家は全体的に赤っぽくて、色合いからも冬を暖かく過ごせそうである。温暖なレジスの建物は白っぽいものが多いのでこの違いもおもしろかった。
 エリッツたちが案内された集会堂は森の中にしてはかなり大きな建物だ。天井も高く村人全員が中に入れそうだが、中で朝食のテーブルについたのはロイの人々を束ねる「長老」と呼ばれている五人の老人とルルクと名乗った女の子だけだった。
 ルルクは意味ありげな火の灯ったカゴのようなものを持っていて、それを運ぶ仕事があるから一緒に来たのだろうとエリッツは考える。朝食の席でも祭壇のように一段高くなった場所にその火は置かれ、ルルクはその火の見守るような位置に席を取っていた。あまり気乗りがしないのかルルクに聞いても反応が薄く、しつこく質問すると嫌われてしまいそうだ。そのため火のことはよく分からないままである。いろいろ聞きたくて仕方ないが、また私語を注意されてもおもしろくない。エリッツは交わされる会話をおとなしく帳面に書き取った。幸いレジスの言葉である。会食中の会話はさほど重大なものはなかったが、その瑣末な事項を記録していくのがエリッツの仕事だ。後から重要性を帯びてくることもある。森の中の気象状況や、田畑や狩りの様子、レジスからの寄付金の用途など型通りの報告が長老たちから告げられた。食事中の会話のような流れで始終なごやかな雰囲気だ。出来事としては火災が一件。家が焼けただけで怪我人もなく大事に至らなかったらしい。それに対してはアレックスが心配そうにお見舞いの言葉をそえ、リザは山火事などの危険性に言及し、火災の原因をきちんと調べるようにと依頼した。何だか視察っぽい感になってきた。
 主にアレックスが長老たちと話をしてリザが所々何かを言いそえるという具合に話が進んだ。ラヴォート殿下やダフィットは相槌をうったり、短いコメントをつける程度だ。北の王はほとんど黙って話に耳をかたむけていた。
 以前、ラヴォート殿下は帝国やロイで食べられている煮込み料理は変なにおいがすると悪態をついていたが、今は微笑を浮かべながらテーブルの煮込み料理やパンを優雅に口に運んでいる。完全に表向きの王子様の顔だ。一方、ロイの長老たちは北の王に意識が行っているようでどことなく落ち着きがない。それほどまでに北の王が同席することの影響は大きいのだ。アルサフィア王の偉大さを感じる。
 食事を終えて次は村の人々との交流を交え村の中を視察しに行く予定になっていたが、不意に北の王がルルクを呼んだ。
 長老たちも何事かと固唾を飲んで様子をうかがっている。ルルクはほとんど表情を動かすことなくテーブルに視線を落としていた。長老の一人に肩を叩かれようやく顔を上げるが、すぐまた視線を落とす。何を考えているのか無表情だ。そして観念したようにルルクがゆっくりと席を立った。
 なんだか緊張感のある雰囲気だったが、エリッツはあまり心配していなかった。仮面をしていても北の王の表情がやわらかいのがわかるからだ。
「左手を」
 北の王の言葉にルルクは固まったように動かない。そういえばルルクはどうして夏なのに手袋をしているのだろう。北の王の言葉にしたがう様子のないルルクに長老の一人がしびれをきらしたように腰をあげようとするが、それを北の王は手だけで制する。
「手当てが必要でしょう」
 諭すような北の王の声にルルクは一歩後ろに下がる。
「どうした? 怪我をしているのか」
 ラヴォート殿下がよそいきのやさしげな声で声をかけるが、それでもルルクは動かない。
「さぁ、傷の具合を見ますから」
 ようやくルルクは口を開き「見えるの?」とかすれた声をもらし、ちらりと祭壇の上の火を見た。
「精霊の動きが見えます。あなたを中心に膨大な量の精霊が行き場を失ってさまよっています」
 北の王の言葉にルルクは固まったように動かなくなる。
「――本当に?」
「父親の血を濃く継いでいるのですね。本当に、話に聞いた通りです」
 そう言って北の王はまた笑った。先ほども何か楽しい話でもあったのか笑っていた。感情をあらわにすることがあまりない人なのでめずらしいとは思っていたのだ。どうやらこのルルクという少女の父親と北の王の父親であるアルサフィア王との間に何らかの関係があるのだろう。
「その傷もおそらくフォルターと同じ性質の――精霊の牙……違いますか?」
 ルルクがハッと息を飲み左手をかばうように背中にまわした。
 エリッツには何のことかわからない。精霊というのはレジスでは術素と呼ばれているもののことだろうとなんとなくわかったが、エリッツには見えないので何が起こっているのかまでは知りようがない。
「御子様、一体なにが……」
 長老たちはおろおろと北の王とルルクを見比べるようにしている。
「少し雑談をしてもいいですか?」
 北の王はアレックスの方へ視線を向ける。アレックスは「もちろんです」とほほ笑んだ。
「ダフィット、ここへ椅子を」
 北の王は隣にルルクを座らせる。
「フォルターの話を誰かに聞きましたか?」
 北の王の問いかけにルルクはしばらく間をあけてからゆっくりと首を振る。
「わたしもアルサフィア王からの話でしか聞いたことはありませんから、ここにいる人たちに聞いた方がずっと詳しく知っているでしょう」
 北の王が長老たちにゆっくりと視線をめぐらせると、ルルクもそれを追うように長老たちを見た。
「ええ、アルサフィア王が重用した兵の一人ですから、当時を知る者なら誰でも知っております。戦場で動かない兵として有名でした……」
 長老の一人が口を開き、北の王は深くうなずく。
 エリッツは帳面から顔をあげた。戦場で動かない兵? そんな兵をアルサフィア王が重用したというのはどういう理由からだろうか。ルルクも驚いたような顔をして北の王を見つめている。
「フォルターは王のそばに控え動く必要がなかったそうです。なぜだかわかりますか」
 ルルクはぼんやりと中空を見ていた。何も考えてないような顔に見えるのは気のせいだろうか。エリッツもついつられてぼんやりとしてしまう。戦場で動く必要のない兵などいないだろうから、いくら考えてもわからない。
「あなた自身が答えなのですが」
 北の王がいくらかいたずらっぽい声で言う。答えを知っているのか、ダフィットも長老たちも何だかいたずらを見守るようなほほ笑みを浮かべてルルクを見ていた。一方レジスの面々は謎々の答えを探しているような表情である。
「傷の手当てをさせてくれるのであれば、わたしの知っていることをお教えしましょう」
 北の王が手を差し出すが、ルルクは警戒する小動物のように席を立ってゆっくりと距離をとる。左手にいったい何を隠しているのだろうか。食事中ほとんど左手をつかっていなかったので本当に怪我をしているのだとしたら結構深そうである。
「御子様、私にも昔は精霊が見えたものですが、歳を取ってから精霊どころか周りもあまり見えておりません。ルルクもフォルターと同じなのでしょうか。それでは――」
 長老の一人が目をこすりながら口を開いた。
「どうするかはルルクが決めることです」
「ロイの名君と名高いアルサフィア王が重用した兵の娘で、高い潜在能力があるということならばそばに置きたがる指揮官は多いでしょう」
 リザは「動かない兵」の謎を知る前にきっぱりと言い切った。このせっかちさというか判断の早さはやはりどことなく軍人っぽい。何だかわからないが価値ある能力を持つと解釈したようだ。
「わたしには心を開いていただけないようです。ラスグーダ殿、後でルルクの手当てを。そしてフォルターがいかに立派な兵であったかきちんと伝えて……」
 北の王がラスグーダと呼んだ長老の一人に話しをしている途中、それをさえぎるようにルルクが大きな声をあげた。
「私は、軍人にはなりません」

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