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Tier25 冗談

 六課の人から一斉に疑いの目を向けられた僕は思い切り萎縮した。
 もちろん僕は八雲でも、八雲の仲間でもない。
 紛れもない伊瀬祐介だ。
 けれど、もし誰かに自分が伊瀬祐介であると他の人に証明しろと言われたら僕は出来ないと答えるしかない。
 僕には自分が自分であると証明する方法が思いつかない。

「ま、冗談だけどな」

 天野君が吐き捨てるように言うと、僕に目を向けていた六課の人達は全員いたずらっぽく笑みを浮かべた。
 少しからかわれた気がするけど、僕の意識が八雲や八雲の仲間であるという疑いは最初から無かったらしい。
 冗談で本当に良かったと思ったけれど、こういう冗談は心臓に悪いからやめて欲しいと切に願った。

「ごめんごめん、伊瀬君。マノ君の冗談に伊瀬君が良い反応するから、つい皆で悪ノリしちゃったよ。大丈夫、伊瀬君はちゃんと伊瀬祐介君だよ」

 姫石さんはごめんと謝りながらも、まだ可笑しそうに笑っている。
 市川さんや那須先輩、丈人先輩は笑いをこらえようと顔を伏せていた。
 美結さんは笑いをこらえようとしていたけれど、結局は笑っていた。
 深見さんは表情を変えていないけれど、冗談を言われた時の僕の反応を見て僅かに口角を上げていたのを僕は見逃さなかった。
 手塚課長は……ずっとニコニコと穏やかな顔をしているせいで僕の反応が理由で笑ってるのかよく分からない。
 悪い冗談を言った天野君は、そんな皆の様子を見て面白そうにニヤニヤと笑っている。
 学校にいた時の天野君と六課にいる天野君は別人なんじゃないかと本気で考えてしまいそうだ。
 それにしても僕の反応はそんなに面白かったのだろうか?

「それなら良いんですけど……もうこんな悪い冗談はやめてください。このまま疑われたままだったらどうしようかと思っちゃいましたよ」

「本当、ごめんね。ほら、マノ君言われているよ!」

「あぁー、やめられるように頑張りはする」

 ……たぶん、この返事の感じだと頑張らないな。
 僕は天野君が悪い冗談をやめないことを悟った。

「……とにかく冗談で良かったです。でも一つ思ったんですけど、あま――じゃなくてマノ君が言ったことがどうして冗談だと思えるんですか?」

 僕は天野君と言いかけて、六課では天野君はマノ君と呼ばれていたことを思い出して言い換えた。
 何となく僕も天野君のことをこれからはマノ君と呼ぶことにしよう。

「というと?」

 姫石さんが僕の質問に補足を求めるように言った。

「つまりですね、僕の意識が八雲や八雲の仲間である可能性はゼロではないと思うんです」

「あ~なるほどね。それについては科学の力で可能性をゼロに出来るから安心して!」

 姫石さんは得意気な顔をした。

「伊瀬君は八雲君と接触した事件の後にいろいろと検査したのは覚えてる?」

「ええ、覚えてます。MRIみたいなやつとか頭や体に電極を付けられたやつですよね?」

「そうそう! 実は伊瀬君には脳波を測定するための五つの検査をしてもらったの。詳しく説明すると、一つ目は、脳の血液量の変化をMRIにて観測する手法の『磁気共鳴機能画像法(fMRI)』。二つ目は、光源と受光センサーを用いて脳の血液量の変化を観測する手法 の『近赤外線分光法(NIRS)』。三つ目は、体内に端子を埋め込み直接電気信号を取り込む手法 の『侵襲式』。四つ目は、磁気センサーの一種である超伝導量子干渉計を使って、脳の電気信号を磁気として捉える手法の『脳磁計(MEG)』。五つ目は、脳から生じる電気活動を頭皮上においた電極から直接測定する手法の『脳波計(EEG)』。この五つの検査を伊瀬君には受けてもらったの」

 姫石さんの詳しい説明には難しい日本語と英語で略された名称がたくさん出てきて、僕にはキャパオーバーで内容をたいして理解出来なかった。

「こんな風に説明されてもよく分かんないよね。私も昔は伊瀬君と同じかそれ以上によく分かんなかったから」

 僕をフォローして、姫石さんははにかんだ。

「伊瀬君の脳波をいろいろ検査したよってぐらいのニュアンスで分かってくれれば大丈夫」

「わかりました」

「うん、大丈夫そうだね。それで脳波を調べた結果、マイグレーターが伊瀬君と入れ替わっている痕跡はありませんでした。だから、伊瀬君の意識が八雲君や八雲君の仲間のものである可能性はゼロと言えます!」

 またしても姫石さんは得意気な顔をした。

「脳波を調べるとそんなことが分かるんですか?」

「そうなの。もしも伊瀬君がマイグレーターと入れ替わっていたら脳波に僅かに乱れみたいなものが見られるの。例えるならコーヒーの雑味みたいな感じかな。コーヒーに不純物が入っていると雑味が出て、コーヒー本来の味わいが邪魔されて美味しくなくなっちゃうでしょ。それと同じように脳波もマイグレーターっていう不純物が入ると雑味が出て脳波が乱れちゃうんだよ」

「ということは、僕の脳波は雑味の無いコーヒーというわけですね」

「お、分かってるね伊瀬君。そういうこと! 同じ人間でも体っていうのはそれぞれ個人に合わせたオーダーメイドになっているの。つまり、本人の脳は本人の意識とだけが最も相性が良くなっているわけなんだから、それが本人ではない意識と入れ替わっていたら機能としては問題なくても極僅かにズレが生じちゃうものなんだよ」

 そのズレが脳波の僅かな乱れとして見られるようだ。

「この検査は六課の皆とかには定期的に受けてもらっているから、少なくとも六課には悪意あるマイグレーターと入れ替わっている人がいるという可能性は無いよ。マイグレーターに入れ替わっていないか確認できるのは、長年のマイグレーションの研究の成果なわけ!」

 八雲や他のマイグレーターと対峙する六課にとって、自分達の仲間が入れ替わっていないと確証を得られるのはとても大切なことだと思う。
 だからこそ、この成果がいかにすごい事なのかがよく分かる。

「本当にすごい成果だと思います! マイグレーターに入れ替わっているかどうかの判別は出来ないものだと思っていたので、ちょっと救われた気持ちになりました」

「そんな風に言ってくれて私も嬉しいよ」

 そう言って姫石さんは本当に嬉しそうに、どこか報われたように笑った。

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