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第四十六話 厄災の娘(9)

 レイヒはシハルにくっついて息をひそめていた。先ほどよりも奥の間にある納戸のような場所だ。この屋敷はかなり広いとはいえ、いつまでも隠れていられるとは思えない。
「ここ、大丈夫かな?」
 あの化け物がどこにいるのかわからないので、極力声をひそめる。 
「どうでしょう」
 いつも通り緊張感のない様子だが、レイヒはシハルが妙に落ち着き払っていることにやや安堵した。そこまで危機的な状況でもない――ような気がしてくる。
「それで失敗ってどういうこと?」
「あれは記憶を読むんですよ」
「あ」
 レイヒは先ほどのシハルと同様に間の抜けた声をもらした。記憶が読まれているのであれば、こちらの考えは全部筒抜けではないか。シハルもレイヒも心臓が偽物であるという記憶を持っている。
「それ、どうがんばっても騙せないよね」
「その通りです」
 そんなに力強く肯定されても。肩の力が抜けまくる。
「じゃ、もうやっつけちゃったらいいんじゃないの?」
 何度もシハルはあの化け物を「仕留める」と言っていた。ハルミはやめろといっていたが、この際仕方ないのではないだろうか。
「それにはまずここから引きずり出さないといけません。この屋敷はあれの腹の中のようなものです。いろいろなことがままなりません。実は山の中全体が似たようなものなのですが」
 レイヒにはやはりよくわからないが、なぜ敵の腹の中と知って屋敷に入ったのか。
「だったらまずこちらが外に逃げればいいんじゃないの?」
「ここへの道は一方通行です。もう少ししたら、ヴァルダとハルミさんが本物の心臓を持ってくると思うのでそれまで待ちましょう」
 一方通行なのも初耳だ。そこまでわかっていて、なぜ……いや、もう来てしまったものは仕方ない。
「ここで供されたものを口にしていませんから、機会さえあればいずれ抜け出せます」
 そういうものか。だから「食べるな」「飲むな」と注意されたわけだ。
 そんなことより、ばあちゃんが遺したものが本当に裏庭に埋まっているのかというところからレイヒは怪しいと思っている。
「本当に心臓みたいなものが裏庭から見つかるのかな」
 シハルは小さく首をかしげる。
「見つからなかったら、ちょっと困りますよね」
 全然「ちょっと」じゃない。話が根底から覆る。あの化け物に食われるしかなくなるじゃないか。
「それをお返しして契約を終わらせないと、無理矢理町の人たちを贄に持っていかれたあげく、これまで通り贄を差し出す必要が生じます。そういう契約なので仕方ないですが、困りますよね」
 どこまでも緊張感がない。本当にシハルをあてにしていいのだろうか。
 そのとき、外でぺたぺたと足音がした。
 ぞっとして納戸の扉の隙間からのぞくと、何のことはない。あの子供が納戸の前の座敷やら廊下やらをうろうろしている。相変わらず徳利を持ったまま無表情だ。ここを開けられたら厄介だからどこかへ行ってくれないかなと思っていると、子供がふっとこちらを見た。
「シハル、助けてやろうか」
 間違いなく二人が納戸にいることを知っている。あれが来る前に追い払わないと。だが声も出せないし、もちろん戸は開けられない。レイヒは無駄と知りつつ、「しっしっ」と暗闇に向かって手を払う。
「あ、いっそあの神様に助けてもらったらどうかな?」
 一向に納戸の前を離れる様子のない子供にいら立ちつつ口を開くとシハルはゆっくりと首を振った。
「それは最後の手段ですね。神は信用なりません」
 総じて無茶なことばかりするシハルがそこまでいうなら、あの子供に何か頼むのは相当危険だということか。
 そのときシハルの体がぴくりと動いた。敵の存在に気づいた野生動物のように顎をあげて何かを感じ取ろうとしているように見える。
「何? あれが来たの?」
 シハルはしばし黙ってから口を開く。
「奇跡のようですが、心臓の方からこちらに歩いてきました」
 何それ。めっちゃ気持ち悪い。
「ヴァルダとハルミさんは心臓を追いかけているみたいですね。雛も餌があると気づいてここに集まって来ている気配がします」
 ものすごい絵面なんですけど。状況がよくなっているのか悪くなっているのか、判断が難しい。
「レイヒ、どこだ?」
 あれはオキの声だ。つまりあの化け物が来た。まずい。見つかる。
「あれが私の記憶を読んだんだよ」
 レイヒはあまりにビビりすぎてシハルの腕にすがった。偽物だとわかっていても、動揺してしまうのは先ほどの通りだ。見た目を変えるだけじゃなくて、呪術みたいなものをかけられるのかもしれない。こんなことならばあちゃんのいうことを多少は聞いておけばよかった。
「シハル、見つけた」
 あの子供が無表情で納戸の扉を大きく開けはなった。レイヒは思わず小さな悲鳴をあげてしまう。
「見つけた」じゃないよ、最初から知ってたくせに。しかもわざわざこの最悪のタイミングをはかったみたいに開けやがって。まれに見るクソガキっぷりだ。
 ゆっくりと視線をあげると、座敷の前の廊下にオキがいる。ゆっくりとレイヒの方に視線を向け、やさしい笑みを浮かべた。
「レイヒ、そんなところで何をしてるんだ。探したよ」
 座ったまま後退るとすぐ納戸の壁に背中がぶつかる。逃げ場はない。このまま餌にされてしまうのだろうか。
 そのときシハルがすっと立ち上がった。
「レイヒさん、確かにお祖母様はかなり優秀な呪術師のようですね。これで形勢逆転です」
 そう言って素早くオキの背後にまわり込み短刀を喉に突きつけた。
「すみませんが、ちょっと協力してください」
「この人、この間来た旅の人だろ。何をするってんだ?」
 オキはレイヒに問いかけるような視線を寄越した。おとなしく短刀を突きつけられている。まさかこのオキは本物なのか。
 そこへばたばたと足音が近づいてきた。今度こそあれが来たのかと思ったが、姿を現したのはハルミとヴァルダだ。
「日が暮れたら急に……」
 ハルミは息を切らしてそれだけ言った。まさかあの道のりを駆けあがってきたのか。
「毎夜、心臓が好き勝手に動き回るとはな。気配も散り散りになって見つからないわけだ」
 ヴァルダは感心したようにオキの周りをまわってにおいをかぐようなしぐさをしている。屋敷からの景色はずっと変わらないが、外はもう日が暮れているのだろうか。
「外側は犬か」
 それだけいうとヴァルダはシハルの足元で跳ねた。
「手が離せないので」
 もしかしてあれは抱っこして欲しいの? そういえば、初めて見たときはもっと大きかったヴァルダだが、今はちょうど抱っこできるくらいの大きさになっている。抱っこしてほしいから体の大きさを変えたのか。かわいすぎる。
「ヴァルダ、ヴァルダ、私が抱っこしてあげるよ」
 レイヒは思わず小動物を呼ぶように舌を鳴らして両手を広げた。
「なめてんのか。てめぇ」
 怒ってしまった。
「心臓が手に入ったので、とりあえず交渉はできそうですが、どうしますか?」
 シハルはオキをつかまえたままハルミを見た。
 心臓? どこに?
 レイヒはきょろきょろと辺りを見渡す。
「レイヒ様、オキという青年のことなぜ教えてくれなかったんですか。この青年が現れたのはいつです?」
 疲れた様子のハルミが真っ直ぐにレイヒを見た。
「いや、なんかめんどくさくて。ばあちゃんが死んでちょっとしてから、だったよね?」
 同意を求めるようにオキを見た。オキは何か失敗をしてしまったとでもいうようにばつの悪そうな顔をしている。
 シハルとハルミは顔を見合わせた。それからハルミが「やはり」と、大きくため息をつく。
「ヴァルダの鼻が確かなら結界を張ってレイヒさんに想いを残した犬の死体に包んで埋めたんでしょう。毎日なんらかの呪術的な儀式をしないと動き出し、レイヒさんのそばに行くようになっていたと思われます」
 ばあちゃんに何かあって祠の儀式だとか一切合切できなくなった時点でオキがレイヒのそばを離れないように準備していたということか。レイヒのサボり癖が知らないうちにばあちゃんに利用されている。
「早く気づいていれば…………」
 ハルミが口惜しそうにつぶやいた。
 なんか全部レイヒが悪いみたいな空気になってないか。それにオキは人間じゃなかった? しかも犬って、もしかして子供の頃に飼っていた大きな犬? オキ、そうだ。オキという名だったんだ。はじめて会ったとき、名前が同じなのには気づいてはいたけど、わざわざ死んだ飼い犬と同じ名前だといったら気を悪くするかもと思っていわなかった。そのうちにオキという名は目の前にいるオキだけになっていった。
 いわれてみれば確かに似てる。大きくて、毛がふさふさしてて、いつもレイヒのそばにいてくれたオキ。
 でもばあちゃんはそのオキの亡骸を利用して心臓が見つからないように隠した。オキはそれをどう思っただろうか。なかなか酷い仕打ちのように思うのだが。レイヒはどういう反応をすればいいのかわからない。あまりの急展開と感情の大揺れでレイヒは混乱してくる。
 いいや、難しいことは後で考えよう。
「で? で? これからどうすんの?」
 まずはそこだ。
「呪術師の孫娘だけあって、飲み込みが早いな」
 ヴァルダが少し感心したようにつぶやく。まったく飲み込めてないけど、今ここで死にたくないし、他の人を殺されるのも気分が悪い。
「契約はこのまま続けます。この町はすでに契約なくして存在できません」
 ハルミがきっぱりとそう言った。
「待って、待って。あの化け物、雛の餌に人間をよこせとか言ってるんだよ? しかもこの後もずっと贄を要求されるんでしょ?」
「――それが契約の継続に必要ならば、町長に相談して何とかしましょう」
「そ、そ、それはダメじゃない? まずいよ。自分たちのために他の人を化け物に食わせるなんて」
 しかもただ食うだけじゃない。めちゃくちゃ酷いめに遭わせて、おいしくするつもりなのだ。
「解約もただじゃないですよ」
 シハルがやはり他人事のように付け足す。
 そうか。契約を反故にするにしても、雛の餌は要求される。さすがのハルミも押し黙った。ハルミだってもちろん人が死んでいいとは思っていないはずだ。町の人々と見も知らない旅人、どちらを犠牲にするかという中でばあちゃんの考えに賛同したに過ぎない。
 しばらくの膠着状態の中、退屈そうにしていたヴァルダが突然立ちあがった。
「そういや、どっちが先に仕留めるのか、競争してたんだったなっ」
 そう言って、空気も読まずに走り出す。
「あ、ずるいです」
 シハルがオキを放ってヴァルダを追う。そうだ。あの化け物を仕留めてもらえば、契約は続けられない。
「いいのか? 俺を交渉の材料にしなくて」
 オキは肩をぐるぐると回してから伸びをする。そういえばまず屋敷を出るために交渉が必要なのではなかったか。
「そう簡単に仕留められるはずがない」
 ハルミはそういうと、シハルたちを追うように走り出す。
「一緒に行こう。レイヒの好きなように俺を使ってくれ。今まで人間同士みたいに話ができて楽しかったよ」
 オキもみんなを追って廊下へ向かう。
「ちょ、ちょっと、なんで何かちょっといい感じに終了させる風になってんの? オキはこのままでいられないの?」
「仕方ないだろ。ここに――」
 オキは分厚い胸をどんと叩いた。
「山の心臓がある。契約を反故にするならこれを山に返すから俺は死ぬ。仕留めるというならやっぱり俺も山と死ぬ。それ以前にもう死んでるんだから当たり前だろ」
 レイヒは急に腹が立ちはじめた。みんな好き勝手なことをし過ぎだ。ばあちゃんは化け物と契約しちゃうし、ハルミは旅人を化け物に食わせてこれまで通り過ごそうとするし、シハルとヴァルダにいたっては化け物を追いまわして楽しく遊んでいる。町の人たちだってばあちゃんが何をしているのか知っていながら、山仕事をして暮らしていたのだ。
「もういいよ。オキ、二人で逃げちゃおう」
「え?」
 オキは昔の、犬のオキみたいに目をまん丸にしてレイヒを見た。

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