幽霊武将の過去
第七話「幽霊武将の過去」
「――――あの方は、北条匠真って俳優さんだ。」
「……ああ、北条ってあの。」
北条匠真という名前を聞くと、春奈はなんだか納得したように手のひらをポンと叩いた。
「なんだ、春奈。知っているのか?」
「有名な人よ。子供のころ、よくテレビに出ていたから覚えているわ。」
ああ、と監督も相槌する。
「北条さんは、俺がまだ監督を始めたばかりの頃の俳優でな。俺はよく北条さんの演技を見て勉強させてもらっていたよ。」
監督が話を始めると、徐々に表情が、懐古の情に染まっていった。
「あの人はとても演技が上手くてなぁ……。若手の時から舞台やドラマに引っ張りだこだったんだ。ただ――――」
「ただ?」
「あの人には一つ、『悪い噂』があったんだ。」
「噂、とは。」
「あの人は、その役に『成りきりすぎる』んだよ」
「その役…って、演技の配役こと?」
「ああ。あの人はどんな役でも『その役』に『成りきろう』とするんだ。そのことをよく体現している、こんな逸話がある。
あるドラマの撮影で、北条さんは殺人鬼の役を任された。猟奇的な、快楽殺人犯の役だ。
撮影中の北条さんの演技は、本当に凄まじかったらしい。あまりの恐ろしさに、被害者役の女優が失神したとさえ言われていた。
……『問題』は、『撮影外』でも役を演じてしまうということだ。
気性が荒くなり、よくその撮影現場で暴れていたそうだ。
ある時、ドラマ監督と些細なことで喧嘩になってな、やっちまったんだよ。メイク用のハサミでズバッと。
もちろん、いつもはそんなことする人じゃない。
傷も軽症で、監督も訴訟は起こさなかったから、犯罪沙汰にはならなかったが、あの時の様子はさながらドラマの殺人鬼だったそうだ。」
「『心が入れ替わる俳優』と、言われていましたよね。」
春奈が補足して言うと、監督も頷き
「北条は『その役の心髄まで成りきる』。それが奴の『目標』であり、『生き甲斐』でもあった……。」
「でも、それが裏目に出てしまったと?」
「そう、北条さんが沢山の役を演技するにつれて、どれが『本当の自分』なのかわからなくなっていったんだ。」
監督は、次の言葉をなんとかひねり出そうとしたが、喉元で詰まってしまっているようだった。
「北条さんは、どうなったんですか?」
「――――彼は、自殺をしたんだよ。」
自殺。こういっちゃあれだが、有名人にはよくあることだと思う。有名であればあるほど、批判も叩かれもするだろうから、心が壊れてしまうのも無理はないだろう。
しかし、会話の流れから、彼の自殺がそういった理由で行われたものではないことは明白だった。
「え?……」
それまで、知識の復習をしているようにしていた春奈の顔が、突如、驚きに満たされた。
「それっていつの話なんですか?」
間髪入れずに、春奈は質問を投げかける。
「今から十年前のある雨の日に、自分で自分の腹を切って、死んだ。」
「ですが、報道では北条さんは病で亡くなられたと。」
「『ドラマの役が原因で自殺した』なんて報道したら、ドラマの放送なんてできたもんじゃないだろ?ドラマを作るのはテレビ局、ニュースを流すのもテレビ局。なあに、この業界じゃ珍しくもないことだ。」
「ですが、その北条さんの自殺とあの武将幽霊。一体、何の関係が?」
監督は、スゥ―っと深く息を吸ったのち、重々しく口を開いた。
「北条が自殺したのは……私のせいなんだ。」
「え!?」
予想外の答えに、俺と春奈は驚きを隠せなかった。思わず、声が出てしまった……。
「十年前のあの日、私は、ある歴史ドラマの撮影をしていたんだ。」
「ドラマは『戦国武将が呪いを払う』ことを題材にした時代劇でな。そして、北条はある呪術師を演じることになった。呪術師は後世に恨みを残しながら死に、その後呪いの武将となって蘇ることに設定になっていた」
「ていうことは……」
「北条さんが設定通りに誰かに呪いをかけて、あの世から蘇ったということかしら……。」
「そうだ。」
「そして、なにより北条に役を頼んだのは誰でもないこの私だ。これは私の責任だ。あの時別の役者に役を任せれば良かったのだ。」
早口でそういうと、監督はもう一度俯いてしまった。
「監督……」
俺は何か声をかけようかと思ったが、気の利いた一言は思いつかなかった。
「――――すまないね。少し取り乱したようだ。」
言いながら立ち上がった監督の顔には、貼り付けたような笑みが見えている。
「……君たちに黙っていて申し訳なく思っているよ。改めてお願いしたい。あの北条の霊をあの世に送り返してくれ。」
「分かりました。私たちにお任せください。」
俺と春奈は、改まって監督と握手した。
「しかし、どうやってあの怨霊を除霊しようか。」
幻を見せる怨霊……。想像以上に厄介な相手だぞ。これは難問だ。
かといって、十分に考えられる時間があるのかどうかさえ分からない。
奴は明日にも現れるかもしれない。
俺が唸り声をあげていると、不意に背後から声がした。
「アテはある」
「え?」
三人が後ろを向くと、そこには今回の大可ドラマの主役を演じた俳優さんがたっていた。
「君たちの話は聞かせてもらった。俺は北条と一緒によく共演させてもらったもんだ。」
「あてがあるって?」
普通、霊媒師が一般人の意見を聞くことはない。
オカルトや都市伝説と、本物の怪異との線引きを、完全には理解していないからだ。
曖昧な知識は、かえって毒になる。
しかし、今は藁にも縋りたい気分だ。
俺たちは、その俳優の話を聞くことにした。
「実はな、監督は知ってるかもしれませんが、北条が演じた呪いの武将――あれは、満月が輝いている夜に、主人公の侍にE橋の上で討伐されることに、設定上なっている」
「ですが、奴がその役に心髄までなりきっているとすれば、台本通りに倒されなければ除霊できないと思います。――つまり、主人公役の人に殺されないと。」
「そう、そこだ。実は、決まっていないんだよ、主人公。」
「え?」
「件のドラマは、まだ公開の日は先だったから先に主人公役以外の人を先に決めた。だけど、あの事件が起きてから制作破断になったんだよ。だから主人公役を演じる人は空白のまま。」
「それでは、誰がその役に成ってもいい、ということですか?」
「まあな、台本上は問題ないはずだ。」
「なるほど。」
会話を聞いていた春奈も口を開く。
「確か、明日の夜が満月だったわね。」
「明日、か……。」
一通りの情報を得た俺たちは、帳が予約したというホテルへと足を運んだ。
道中、頭の中では先ほどの、北条さんの話がグルグルグルグル回っていて、おぼつかない足取りを、春奈にやや急かされるように進んだ。
「さっきはありがとな。お前のサポートがなきゃ死んでた。」
すると、春奈の頬が少しだけ赤くなる。
「あんたに死なれてもらっちゃ私が困るわ。一人であの怨霊をやれっていうの?」
春奈のスーツの中で何かがモゾモゾ動き出し、やがて小さな生物が顔をのぞかせた。
「あら、コンちゃん。ごめんね、すっかり忘れてたわ。」
「ずっとスーツの中にいたのか……」
一体、あのスーツのどこにあの狐が収まっているのだろうか。
子狐といえども、大きめの、海外とかで売ってるペットボトルくらいには大きいはずだが。
「当然でしょう、あんたと違って私はコンちゃんを置いていくようなことはしないから」
「そうですか。」
「ちょっと!聞きなさいよ!!」ややあってホテルに着き、左右に向かい会ったホテルの部屋の鍵を借りた。
「寝てる間とかにこっそり入ってきたりしないでよね。」
春奈は睨んだようにこちらを見る。
「んな!そんなことするわけねーだろ。お前と夜の相手までしてられるかよ!」
「どうかしら。まあ、今日はもうおやすみね。」
春奈とコンちゃんは部屋に入り、荒っぽい動作でドアが閉まった。
「俺のスーツにも入るかな、スペーリ……。」
扉を開け、靴を脱ぎ捨てた俺は、スーツのまま、ベッドに飛び込んだ。
「あ~あ、こんなことだったら天馬と組んだ方がまだよかったかもしれない……。はあ~、早く家に帰ってスペーリでモフモフしたいよぅ。」
「………しかし、どうやって、あいつを倒すかな。あいつは幻で分身のようなものも作れるし、透明化もできる。使いようによっちゃあ、ほんと、どんなことでもできる能力だな。」
それにしても今日も疲れた。汗だくで、酷い匂いがする。
「あ、シャワー浴びてないじゃん。」
意外と思われるかもしれないが、俺は必ず毎日風呂に入る。
キチンとシャンプー、リンス、コンディショナーを使い分けているし、体の隅々までボディソープで洗う。自分の体だけはどうしてもキレイにしたいのだ。爪切りだって欠かさないぞ。
しかも、今日はホテルの風呂!!アメニティはいくら使ってもタダだ!!
PUSH! PUSH! PUSH!
海外映画みたいに豪快にシャワーを浴びてやる。
でもしっこはダメだぞ。しっこしたら排水管が詰まるらしい。汚いしな。
「あ~~~、最ッ高!!ただ一つ文句があるとすれば、ここら辺は俺が見たいアニメが放送されてないことだな。」
俺はしゃがみこんで髪を泡立たせながら、そろそろ洗い流そうかな、と、シャワーのハンドルへと手をやった。
ジョボボボボボ
家のシャワーとは比べ物にならない水圧の高さだ。素晴らしい。
シャンプーを洗い流し、俺は俯いたまま瞼を上げた。
シャワーから出たお湯が、浴室のタイルにあたって、弾ける。
弾ける、弾ける、弾ける……。
待てよ?これってもしかして……!!!
「そうだ!これなら!」
一方その頃、仕事熱心な監督は、夜遅くまで撮影所に籠り、台本の手直しをしているところだった。
「ふ~、こんなところかな。」
そして、監督は腕時計に目を向ける。
「お!もう0時か、そろそろ帰らなければな。」
すると、玄関の方からコンコン!と、大きなノックの音が聞こえた。
「こんな時間に誰だ?」
訝りながらも、監督はドアノブを回した。
「すみません、どちら様で……」
ドアの向こう側に視線を向けた瞬間、監督の脳は真っ赤に染まり、全力の危険信号を、体中の細胞が発した。
身の毛がよだつ、背筋が凍る、奥歯が震える、そんな陳腐な表現では表せない、死のイデア。
「な、なんで……。」
そこには、北条匠真がいた。両者はしばらく見つめ合った後、北条のほうが口を開いた。
「待たせたな、田辺監督。」
監督の視界は徐々に暗くなり、やがて完全な闇に包まれていった。
・・つづく・・