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第百十一話 真昼間の追跡(4)

「なーんか変だよな」
「らしくない」
 何だかもうすべてを話してしまいたくなった。変なやつだと思われるのはいつものことだ。二人がいう様に黙っている方がらしくない。
「実は……」
 パーシーが口を開きかけたそのとき――。
 トンと肩に何かがあたる。後ろの男が伸びをしたようで「あー、すんませーん」という軽い謝罪を受けた。振り返ればパーシーだと気づかれてしまう。変に低い声をつくってパーシーは前を見たまま「いいえ」と返した。
 二人は妙な顔でパーシーを見ている。冷静に考えると今説明するのは得策ではない。「えーっと、この話はまた後で」と、パーシーは思わせぶりな目配せをして誤魔化した。人に聞かれたくない話だと了解してくれたようで、二人は首をかしげながらもあっさりカードの準備をはじめる。
 そのとき何かが落ちる高い音が聞こえた。首をひねると硬貨が一枚落ちている。あの男の足元だ。「落としましたよ」などと言えば今度こそばれる。拾ってそっと後ろ手に渡すか。いや、そんなのはかなり不自然だ。思案しながらとりあえず硬貨を拾おうと手を伸ばすと、そのちょうど手元の辺りに丸めた紙のようなものが落ちてきた。
 これは。この場面は知っているぞ。
 パーシーの胸は急に高鳴る。演劇のワンシーンと同じだ。あのとき主人公は確か……「やれやれまたこれだ!」と大仰な仕草で落ちてきた紙を広げてさっと足を組んで読みはじめた。そしてそれは物語が展開する重要な指令だったのだ。しかしあれは演劇だからで今の状況であれば二人にばれないようにこっそりと確認すべきだろう。――というか、これはゼインという男にパーシーの存在を気づかれているということではないか。今までの苦労は何だったんだ。
 その場でさっと紙を広げて目を通し、そのまま紙を握りこんでテーブルに戻った。「二人にはゴミだったよ」と丸めた紙を見せたが、手札の方に夢中で反応がない。
『座敷犬が役立たず』
 そう書いてあった。
 暗号だろうか。だがすぐに先ほどからの会話を思い出す。彼の連れだ。つまりそれをパーシーが聞いていたことも気づいていたのか。つまりほぼ最初からパーシーの存在に気づいていたということになる。それならなぜ声をかけてくれないのかと、自分のことを棚に上げて思ってしまう。
 しかしあの連れの人物が役に立たないとはどういうことだろうか。
 そういえば先ほどから背後はとても静かだ。ダウレの駒を動かす音も会話も聞こえない。
「ソーセージ買ってくる」
 パーシーが席を立つと、二人は「いいねー」「多めに頼む」と、手札をいじりながら口々に言う。
 鉄板の前の迫力のある店主に頼むと太いソーセージをその場で焼いてくれる。時間はかかるが出来立てがいただけるのはありがたい。店名にもなっている名物女性店員のイゴルデと軽い挨拶をしながら支払いを済ますと、パーシーは自席を確認するような何気ない動作でゼインとその連れの様子を見た。
 どうしたんだろう。
 パーシーはわざわざ席を立ってさりげなく背後を確認しようとしていたにもかかわらず、まじまじと連れの人物を見てしまった。
 寝ているのか。寝そうになっているのか。顔を伏せたままうつらうつらとしている。
 どうして人とボードゲームをしながら寝られるのだろう。さっきまで怒っていたような気もするが、瞬時に寝かけるところまでの経緯がわからない。首をかしげながら席に戻ると、椅子にまた紙が置いてある。
「せっかく焼き立てだから先に食べよう」
 パーシーがテーブルに盛大に湯気のあがる山盛りのソーセージを置くと、二人とも目をかがやかせて「それもそうだな」「続きは後で」と、カードを伏せて食べはじめる。
 パーシーもフォークをソーセージに突き刺した。熱そうな肉汁がじわじわとしみだしてくる。それを口に運びながら、テーブルの下に隠した紙を片手で広げる。
『これから店に来る肩に蛇の刺青がある男を注視しろ』
 指令だ! どうしよう。わくわくしてしまう。
 これは昨日の会話を踏まえてのごっこ遊びなのか本気なのか判断しかねるが、とりあえずおもしろそうなので、さっそく店の入口を見た。パーシーの席からは店の入口がちょうどよく見える。ということは、ゼインという男が座敷犬と呼ばわった彼も同様だろう。要するにパーシーに彼の代わりをさせようということか。
 一応ざっと店内を見るが視界に入る範囲内ではそのような人物はいない。
 それから時間はどんどん過ぎていく。一度席を立った際に見たが、ゼインという男の連れはもう完全に寝ていた。それでも妙に行儀よく腰かけたままなのが何だかおかしい。
 さらに時間は過ぎ、パーシーは気がそぞろになっているためカードゲームの負けが込んでいた。子供の小遣い程度といっても塵も積もればというやつだ。バカにならない。
 やはりただのごっこ遊びだったのかと思いかけたころ、本当に何気なくそいつは現れた。注視するように言われたせいか、なんとなく凶悪な人相を想像していたのだが、ここにいる客層を鑑みるにごく平凡と言わざるをえない。この店の客層そのものが酒と博打が好きな連中だ。強いて言えばパーシーたちの方が浮いている。
 刺青の男は他の客同様、カウンターで酒を買うと空いていた席にどっかりと腰かけた。一人で来たということはゲームをするわけではないらしい。
 このまま「注視」しているだけでいいのだろうか。何とか後ろのゼインに状況を伝えたいが方法が思いつかない。「座敷犬」はまだ眠っているのだろうか。
 今のところ不審なことは起こっていないが、刺青の男は隣の席の男のボードゲームをのぞきこみ、観戦しているようだ。これがたまにトラブルになるんだよなと、パーシーはちらりと思う。イゴルデの辺りはパーシーたちの役所の管轄ではないが、客として何度か見かけたことがある。見られていると負けている方がイライラしてくるのだ。しかもボードゲーム好きなのは圧倒的に軍人が多く、腕っぷしが強いだけに手に負えない。
 何となく嫌な予感がしていると、案の定と言うべきか「何を見てやがるこの野郎!」という怒声が、あがった。
 ジェフとザグリーも驚いて振り返るが、怒鳴り声が響き渡ることはこの店でよくあることなので大きな音に驚くのと同じ反応である。実際にさっきから他の席では何度も怒声があがっている。にぎやかな店なのだ。
「あー、びっくりした」
「何だよ、もう」
 すでに二人は自身の手札に視線を戻している。店内の他の客もチラチラと気にしている者がいるものの、別段騒ぎ立てはしない。
 ゼインは気がついただろうか。パーシーはそわそわしながら、刺青の男を見守る。そこではまだもめごとが続いていた。とはいえ、よくある常套句の応酬である。その段になるともやは気にしている客は皆無だ。
「ふざけやがって、酒がまずくなった!」
 刺青の男は捨て台詞のようにそう怒鳴ると、何かをバンとテーブルに叩きつけた。パーシーは目を凝らす。何だかわからないがカードのようなものだ。すかさずボードゲームに興じていた男がそれをひったくりテーブルの下に隠す。
「さっさと失せろ!」
 ボードゲームをしていたもう一人の男が怒鳴りながら何かを刺青の男に投げつけた。こちらは何か封書のようなものだ。もちろんパーシー以外誰も気にしていない。見ていたとしても腹いせに手近にあった伝票だとか紙屑だとかを投げつけたくらいに見えただろう。
 パーシーはまた胸が高鳴った。
 これは何らかの取引というやつに違いない。下っ端の見回り役人がこんな場面に出くわすことはまずない。怪しげな情報を手にしてもそれは漏れなく上に報告することになっており、その後どうなったのかは知ることもできない。
 パーシーがときめいている間に刺青の男は店を出ようとしている。
「ソーセージ買ってくる!」
 パーシーは思わず席を立っていた。
「え? またソーセージ?」
「骨付きの鶏肉かチーズにしてくれ」
 背後からのんきな抗議が聞こえてくるが、パーシーは何も考えずに刺青の男に突進した。どうしようという作戦もなかった。
 そしてぶつかった。
「何だてめぇは。どけ。邪魔なんだよ」
 何も考えていなかったので、パーシーはここにきてようやく考え始めた。チラリとゼインの席に目をやるが、聞こえているのかどうかわからない。座敷犬の方はまだ寝ていた。
「あ、すみません。前をよく見ていませんでした」
 ここは何とか引き留めないといけないだろう。
「っざけんなよ! 早くどけ」
 当然だがえらくご立腹である。どうしたら時間を稼げるだろうか。
「怒鳴るのは一人五回までよ」
 意外なところからの助け舟にパーシーは一瞬何が起こったのかわからない。
 店員のイゴルデだ。こんな店で働いているだけあって、体格がよく凛々しい顔立ちをしている。
「何だと。数えてたってのかよ」
 刺青の男にすごまれてもイゴルデはびくともしない。パーシーはつい後ろに隠れたくなる気持ちと必死に戦った。
「さっきので八回目よ。少しくらいは大目にみてあげるつもりだったけど、これ以上怒鳴るなら出入り禁止にするよ」

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