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第九十七話 忘れ物

「ついでがあったんで来たんだけど、ってかここ寒くない? サムティカ意外と寒くない?」
 エリッツが急な問いかけについていけず黙っていると、ゼインは「まぁ、いいや」とそうそうに話題を変えようとする。久々すぎてこのスピード感についていけない。
「これ忘れもん。あのなぁ、こういうの置いていくなよ。重いじゃねぇか」
 ゼインは荷物の中からどんっとテーブルの上に瓶を置く。
「あ、忘れてた」
 ラヴォート殿下にもらったはちみつだ。完全に忘れていたわけではないが、取りに行くのも間が抜けているので仕方なくそのままにしていたことを今思い出した。
 しかしだいぶ減っているような気がする。エリッツがちらりとゼインを見るとさっと目をそらす。かなり料理にはまっていたようなのでいろいろと使ったのだろう。こんなところまで持ってきてくれたのだから文句をいうほどのことではない。
「用事はこれだけ」
 ゼインにしてはめずらしくごちゃごちゃと話さない。しかし席も立たない。
「ここからは余談なんだけど――、あのさ、寒くない?」
 ゼインはやたらとそこにこだわる。
「いや、別に。あ、ゼインさん寒いんですか? 部屋を暖めますか」
 朝晩は冷えこむようになったが日中はまだそれほどでもない。サムティカではまれに雪が降ることもあるがレジス市街より南に位置しているため多少は暖かいのではないだろうか。季節的に早いが暖炉に火を入れてもらおう。
 エリッツが腰を浮かしかけるとゼインは「そうじゃない」と大袈裟に手で制する。
「要するにそういう方向での話題、そういう感じになったら出そうかなっていうアレなんだけど」
 相変わらず要点が定まらない話し方をする。
「何を出す気ですか」
 エリッツはソファにかけ直してこわごわとゼインを見る。
「その前に。ここ妙に静かだな。本当に誰も聞いてないのか」
 ゼインは落ち着かない様子で辺りを見渡す。そういえばマリルの部下であればゼインも間諜の関係の仕事をしているということになるのだろうか。人に聞かれてはまずい話をするつもりかもしれない。
「大丈夫ですよ。ここの人たちはおれに興味ないですから」
 それにおもしろみのない役人の事情聴取だと思っているはずだ。エリッツが家出中に何をしていたのかもあまり知らないだろう。ジェルガスやダグラスから報告は来ているだろうが、兄たちはコルトニエスでのことまでは詳しく知らない。
 エリッツは父が話を全部聞いて家出を叱りつつもレジスのために倒れるまで戦ったことは褒めてくれるのではないかとわずかに期待していたが、話すら聞かれなかった。褒めてくれたのはワイダットだけだ。
 ゼインは複雑な表情でひとつうなずいてから荷物をあさる。相変わらずの大荷物だ。
「これ」
 なぜかエリッツの様子をさぐるような目でゼインが目の前に広げたのは見覚えのあるコートである。シェイルのお下がりの古い型の軍用コートのようだが普段から着られるように細部が仕立て直されていて古さが感じられない。
「うわ、それ、シェイルの! すごい。ふわふわ」
 袖と首まわりにたっぷりと毛皮がついている。もしかしてこれはあの時シェイルがうさぎからとっていた毛皮だろうか。つまりシェイルのお手製というやつだろうか。
 エリッツはゼインの手からコートを奪うと顔をうずめた。
「いい匂い!」
 コートを鼻に押しあてて深く呼吸する。
「あー、あの、悪ぃ、それ俺が縫ったんだわ。ってか相変わらずのド変態だな。なんで吸ってんだよ」
「え、これ、ゼインさんが?」
 エリッツはまじまじと仕立て直された裏地や裾まわり毛皮が縫いつけられた辺りを見ていく。プロの仕事のようだ。料理といい裁縫といい器用な人だが、本当にちゃんと自分の仕事をしているのだろうか。そういえばコルトニエスでマリルは援軍に駆けつけてくれたがそこにゼインの姿はなかった。
「毛皮はお師匠さんがなめしたやつだけどな、まぁ、ちょっといろいろあって続きを頼まれたんだよ」
 さきほどからゼインの様子がおかしかったのは、コートを出せば話題がそちらにむかうことが必至だったからだろう。
「何か――あったんですか」
「こっちが聞きたいんだけど。コルトニエスであの人、何したんだ?」
 ゼインは急に声をひそめる。
「何って――マリルさんから聞いてないの?」
 何をしたと言われるようなことは何もなかったはずだ。殿下のヒルトリングの件以外は。
「マリルさんは書類作成に必要なこと以外俺に教えてくれねぇよ」
 ゼインの仕事というのは書類仕事なのだろうか。それならばコルトニエスにはいなかったのも納得できる。
「書類をつくるのって大変ですか」
 何となく興味をひかれてついそんなことを聞いてしまった。
「話の腰を折るんじゃねぇ」
 ゼインがそれをいうとは。エリッツはつい頬を膨らませる。
「まぁ、大変っていうか、『現場』に行くよりはマシだろ。マリルさんに虐待されるからな。虐待で仕事の前に半分は死ぬ。――というのは冗談だけど。あの人、俺の手を見てこいつに書類全部押しつけようって思いついたみたいでさ。まあ、待遇はそこまで悪くはないからいいけど」
 話の腰を折ったのはエリッツだが、折った腰を粉々に粉砕しているのはゼインである。
 ゼインが手を広げて見せるので、エリッツは一応ちらりと目をやる。
「すごいですね。それ、ペンだこってやつですか」
 ごつごつと節くれだった手は文化人というよりは、意外なことに肉体労働者のように見えた。その指には固く盛り上がったペンだこができている。
「マリルさん、書類苦手なんですね」
「いや、あの人はできるんだけど、やりたくないんだよ。面倒くさがりなんで」
 それは苦手とどう違うのだろうか。
 ゼインの口ぶりになんだか誇らしげな様子が感じられてエリッツは小さく嫉妬する。エリッツだってそういう風にシェイルを支えたかった。頼られて丸投げされて文句を言ってみたかった。膝の上のコートをぎゅっと握りしめて、泣きそうになるのを耐える。
「それで、どうしてコルトニエスで何かあったと思ったんです?」
「え、何急に不機嫌になってんの」
 ゼインがわざわざエリッツの顔をのぞきこむようにするので、ふいと目をそらした。それに軽く肩をすくめるとゼインはようやく元の話に戻る。
「春の帝国軍の侵攻のあと、シェイルさんずっと表に出てこなかったんだよ。どうも謹慎処分、みたいな感じ? あの人目立つからいろいろ噂が立って、帝国軍を手引きしたとか寝返ったとか、なかなかひどい言われようだったな」
 エリッツは思わずテーブルを叩く。
「何ですか、それ。シェイルがいなかったら、今頃コルトニエスは帝国軍にとられていますよ」
 ゼインはエリッツをなだめるように両手をあげる。
「落ち着け。わかってる。とりあえず最後まで聞け」
 ゼインにさとされるのは何だか会得がいかない。エリッツはまた頬を膨らませる。
「そもそもお前のせいでもある。あんなに懐いていた弟子が忽然といなくなったもんだから、関わり合いを避けたんじゃないかって噂に拍車をかけたわけだ」
 エリッツは自身のあずかり知らぬところでシェイルに迷惑をかけていたことに愕然とした。そういえば弟子ができたらしいと当初かなり目立っていた。いなくなれば当然また噂になる。そこまで考えていなかった。エリッツは自身の浅はかさにまた沈みこむ。
「だが最近ちゃんと表に出てきたから、とりあえず重大な過失やら裏切りがあったという噂は消えたものの、いったい何があったんだと、そういう話なわけ」
 思い当たるのはヒルトリングくらいだが、あれは殿下が出してきたものである。違法なヒルトリングがどれほどの罪に問われるのかはわからないが、それならば殿下も謹慎処分となるはずだ。
「――それで、それが何なんですか」
 謹慎処分というのには納得がいかないが、今は普通に表に出てきているというなら、さしあたって大きな問題が起こっているわけではなさそうだ。
「俺ははじめに余談だといったはずだ」
 揚げ足を取るようないいようだが、シェイルの近況が知れたのはエリッツにとってある意味収穫といえなくもない。
 ゼインは大きなためいきをつきながらソファの背もたれに盛大に身をあずける。
「この余談で俺は少しばかりお前から情報をひっぱろうとしたが、見事にあてが外れた」

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