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第九十四話 援軍

 エリッツは呆然と二人を見つめる。
 いろいろなことがありすぎて、もう何が何だかよくわからない。気づけは大勢の敵兵を相手にしていた。
 そして今、さらによくわからないが、シェイルと帝国兵の一人がレジスの言葉で話をしている。ものすごく強い人でまったく歯が立たなかったが、なぜか殺されるという恐怖は感じなかった。遊ばれていただけのように思う。この人もシェイルの知り合いなのだろうか。実家に帰ると決めたのだからもう関係ないはずだが、シェイルの交友関係がわからなくてまた涙が出そうになった。
「殺すかどうかは、返答次第です。名前を」
 帝国兵は不思議とにっこり笑う。
「ガイル・ウィンレイクです」
 シェイルは小さく顔をしかめる。エリッツも一瞬遅れて奇妙に感じる。声がまた変わった。はじめは若い男性の声でさっきは女性の声だった。今はまた別の男性の声だ。この技術はエリッツも目の当たりにしたことがある。いやしかし――つまりはどういうことなんだ。
「それはあなたのお兄さんの名前でしょう。正確にお願いします」
「よくご存じではないですか。死んだ兄の名を名乗ると残虐になれます」
「やめてください。戦争にもそれなりの分別が必要です」
「あなたがそれをいうとは意外でした」
 その帝国兵は大きく破顔しシェイルの剣先を器用によけると突然上着を脱ぎ捨てる。軍服のコートが大きく広がり一瞬視界をさえぎった。下には濃紺のレジスの軍服を着こんでいる。レジスの軍人だ。
「援軍で来ました。マリル・ウィンレイクです」
 それから強く口笛を吹く。
 あの人がマリル? 土で汚れた赤みがかったブロンドにきりっとつりあがった眉、精悍な顔つきだがいわれてみれば中性的だ。エリッツは以前ナターシャがマリルに変わる不気味な光景を思い出していた。あり得る。充分にあり得る。しかしウィンレイクという名はもしかして。
 シェイルがものすごく嫌そうな顔をしているのが視界の端に見える。ウィンレイク指揮官というのはマリルのこと? お兄さんがいたんだ。エリッツの混乱は徐々に深まってゆきやがて思考することを放棄して呆ける。
 坑道内にマリルの口笛がこだまし、帝国軍がひしめいている中から数十名の兵が強引に飛び出し来ては軍服の上着を脱ぎ捨てる。全員レジスの軍人だ。
「ようやく出番ですか」
「犬みたいに呼ばないでくださいよ」
 帝国軍側は混乱をきわめて陣形もなにもめちゃくちゃになっていた。エリッツには理解できない言語で怒号が飛び交っている。
「犬を犬のように呼んで何が悪いんですか。外で待ちくたびれている人がいるので早急に片付けます。あと遅い者から順に腹を蹴ります」
 飛び出してきたレジス軍人はあわてふためき武器をとる。術士もいるようで半数近くが覆面姿だ。
 マリルは先ほどまでしつこくエリッツに向けていた長剣を「どうぞ。お返しします」と鞘におさめて近くにいた帝国兵に渡す。すっかり状況に動転している帝国兵はそれを素直に受け取ってしまいその瞬間蹴られて昏倒した。
 それが合図になったかのようにマリルが率いるレジス軍が鬨の声をあげ散開し、猛烈な勢いで帝国軍へと突進する。
「分別をもってとことん痛めつけてください」
 マリルは意味のよくわからない指示を大声で飛ばす。先ほどの女性の声だ。エリッツのよく知るマリルの声と似ているが少し鋭くてかたい。いったいいくつ顔があるのだろうか。
 エリッツは呆けた状態のまま後ろからマリルたちが帝国軍を「痛めつける」のを見ていた。驚いたことに歩兵たちは甲冑をつけていない。観察していると背後についた術兵が物理的な攻撃を含めて防御することが前提になっているようだ。そのためおそろしく攻撃が早く機動力も高い。さらに攻撃のみを担当する術兵もいる。先ほどからアルヴィンたちがおもに使っていた「穿孔風式」だと思われる術を使っているがそれがまるで蛇のようにうねり敵を追撃する。あんなものに狙われたらと思うとぞっとした。
「うちの指揮官は外に?」
 斥候に出ていた術兵二人も急展開にとまどっている。援軍の術兵がひとり振り返り「指揮官なら外で昼ごはん食べてましたよ」と、教えてくれる。
 術兵二人は絶句した。
「昼ごはん……」
 昼ごはんという単語のせいかアルヴィンのお腹がぐぅと鳴る。
「ウィンレイク指揮官が帝国兵狩りをやりたいと言ったら快諾してくださいました。『まもなく動くから』とよくわからないことを言ってましたが、これは作戦でしたか?」と、小さく首を傾げる。
「一応、作戦は作戦、でしたか」
 術兵たちはシェイルの方をちらりと見る。シェイルは何かを俯瞰して見ようとでもしているように戦場となった坑道を見ている。
「すみません、腹を蹴られるのでもう行きます」
 その術兵は慌てたように駆けて行ってしまう。
「ほんとに蹴るんだ」
 斥候の二人の術兵は声をひそませて、もはや入り乱れて戦っている兵たちを恐々と見やる。
「ところで僕らはどうしたらいいの?」
 アルヴィンが二人の術兵を見上げる。
「そりゃあ、まぁ……」
「行くべき、だよな」
 マリルたちが来たとはいえ数的にはまだ圧倒的に劣勢である。ただ一人一人の能力が高いことと術士の割合が高いという点において優位であった。
 そして蹴られるのがそんなに嫌なのか、勢いがすごい。人数からは想像できないほどのスピードで帝国軍を押してゆく。少なくともすぐさまエリッツたちが加わらなくてはならないような状況ではない。
 ダフィットたちの話ではウィンレイク指揮官は間諜を担当しているらしい。個人プレイが多いとシェイルも言っていたが、かなりまとまって見える。基本的に何でもできる人たちなんだろう。
 そういえばシェイルにヒルトリングを渡すのだった。さっきこれを渡したときは二人きりで話せて幸せだったのに。エリッツは胸元を探りながらまた泣いていた。アルヴィンがぎょっとしたようにエリッツを見あげる。
「アルヴィン、これ、シェイルに渡してきて」
「ヒルトリング? そんなの自分で――」
 言いかけてアルヴィンはエリッツの様子に気圧されたように黙りこむ。静かにリングを受け取るとシェイルのもとに駆けていった。
 前方ではすさまじい戦いが繰り広げられている。参加すべきなのかもしれないが、シェイルが静観しているので誰も動けない。
「どうかしたの?」
 突然、マリルが目の前に現れた。びっくりして涙がひっこんでしまう。
 化粧はそのままで先ほどの精悍な帝国兵の顔だが仕草や声がマリルなだけで印象が全然違っている。こんなに雰囲気を変化させることができるものか。
 それよりもこんなところにいてもいいのか。
「何を泣いてるの?」
 とび色の目がじっと気遣わしにのぞきこむ。
「いや別に。あっちはいいの?」
 エリッツは激しく攻防をくり広げている兵たちを指さした。
「あの人たちは強いから平気。エリッツこそ、一緒に行かないの?」
「いや、だって……」
 エリッツはちらりとシェイルを見る。一応、ここはシェイルの指示で動くべきだろう。
 そのとき偶然なのかシェイルもこちらを見た。ヒルトリングを指でつまんで不思議そうな顔をしている。しかし反応したのはマリルの方が先だった。
「ひさしぶり! 王子様の格好がよく似合ってるね」
 マリルもうあの森の中の家にいるときとまったく同じ雰囲気になっている。シェイル以外はみな気味悪そうに見ていた。さっき戦っていた時は男性にしか見えなかったが今は男装をした女性とはっきりとわかる。
「ウィンレイク指揮官、外にいたレジスの小隊は何か言っていました?」
 マリルの軽口を無視してシェイルは戦場を見ている。
「『奥から押し出せ』と、言ってたね」
 マリルの方は変わらず軽い。
「なるほど。ところでダフィットに会いませんでしたか。援軍を呼びに行ったんですが」
「そういえばすれ違ったかも。おっしゃる通り援軍を呼びに行ったよ」
 マリルはいつにも増して楽しそうだ。この人も戦争が好きなのだろうか。
「街から援軍がくるとして、早くても明朝くらいですか。この人数でいけますかね」
 なぜかマリルは「いける、いける」と大きく笑う。
「それ、使うんでしょ」
 笑顔のまま、シェイルの手にあるヒルトリングを指さした。

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