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第四十七話 やり直し

 体がひどく重かった。頭の奥の方がにぶく痛む。やや遅れて体中のあちこちが目を覚ましたように痛みだす。
 エリッツは自分がどこにいるのかすぐわからなかった。サムティカの屋敷の自室か、いや、ダグラスの邸宅の方だ。朝がきたようだが、何が大切なことを忘れている気がする。しばしぼんやりと外の鳥の声をきいていた。
「あっ」
 城内での出来事を一気に思い出し眠気が霧散する。あわてて体を起こしたので痛みがいっせいに襲ってきた。傷の痛みもあるが体の節々が痛む。怪我だけじゃなく走りつづけたせいもあるだろう。しかし痛みよりも頭の整理で手いっぱいだ。
 これはいったいどういう状況なのなのだろう。
 衣服を脱ぎすて恐る恐る体中を確認する。あざや玻璃で切ったらしい傷がいたるところについていたが手当もされているし、たいしたことはない。
 夢ではなかった。ということは、寝ている間に折檻されたのだろうか。この体の傷がどちらの傷なのかよくわからない。また折檻されるシェイルの悩ましげな表情が脳裏をよぎった。目に見える怪我を負うような折檻とは限らない。
 そっと下着に手を伸ばす。
「若様、着替えなら手伝おう」
 ずっとそこにいたのだろう。ワイダットがナイトテーブルに座っている。
「うわっ」
 エリッツはあわてて下着から手をはなす。
「ずいぶんと暴れてきたみたいだな。傷が痛むでしょう」
 ワイダットがナイトテーブルから立ちあがり服をとってきてくれる。
「痛いけどひとりでできるよ」
 服を受けとり手早く着込む。
「あの……」
 ワイダットはどこまで知らされているのだろうか。あんなことをして騒ぎにならないはずがないし、まして家に帰してもらえるとは思いもしなかった。
「兄さんは……」
 エリッツ自身ではなく兄のダグラスに責任が問われている可能性もある。
「仕事中だ。もうすぐ夕食だからそのとき話をしたらいいだろう」
 もうすぐ夕食。その意味をとりかねてしばらく思考が停止する。もう夕方なのか。それに兄がいつも通り仕事をしているということは昨日のことで城に呼び出されているわけでもない。しかし勝手に屋敷を抜けだしたことを怒っているかもしれない。
「ずっと寝てた」
 ひとりごとのようにそうぶつやくとワイダットは豪快に笑った。
「仕方ない。誤って毒をうたれたんだろう。毒が抜けるまでは寝るしかない。ダグラスさんがずいぶん心配してた」
 エリッツは首をかしげた。結局、どういう話になっているのだろう。
「それにめずらしい人に遊んでもらったみたいで。楽しくて時間を忘れてしまったか」
 楽しくはなかった。体がボロボロだ。エリッツが困ったような顔をするとワイダットはまた笑った。しかしめずらしい人とは誰のことだろう。アルマか庭師のおじいさんか、まさか北の王のことではあるまい。
「アルヴィンは?」
 あの後どこへ消えたのだろう。
「アイザック氏の護衛の少年か。夜『迷子になった』と半ベソかいて帰ってきた。同情した門番に中に入れてもらって、ちゃっかり夜食までもらっていたな。おかわりもしていた」
 またそんな子供のふりをして。しかし無事に帰りついていたようでなによりだ。
「あざとい演技だった。若様もあれくらい図太くていいくらいだ」
 ワイダットにはバレている。しかし今日のワイダットはいつも以上に饒舌でよく笑う。
「それで、城の人からはどういうふうにいわれてるの。おれ、昨日けっこうよくないことをしたような気がしてるんだけど」
 恐る恐るワイダットを上目づかいでみるが「さあ」と首をかしげた。
「詳しくはダグラスさんに聞いてくれ。こちらで聞いているのは城を案内してもらっているうちにはぐれてしまって兵が誤って怪我をさせてしまったというだけだ」
「ずいぶん違う」
「だろうな。その傷は『誤って怪我させた』ようなものじゃない。しかも毒まで」
 ワイダットは楽しそうにそんなことをいう。
「さっきからなんでそんなにうれしそうなの」
 エリッツが怪我や毒の苦痛にうめいていたというのに不気味なくらい機嫌がよさそうだ。
「若様がたくましくなっていくなぁと思っただけだ。屋敷を抜けだしてどこに遊びに行くのかと思ったら城攻めとはね」
 別に攻めこんだわけではないが、アルヴィンについていっただけとはいえかつてのエリッツだったら絶対にあそこまで侵入しようとはしなかったはずだ。なぜ玻璃の窓の向こうが中の間になっていると思ったのだろうか。結果間違ってはいなかったようだが、思い返すと冷や汗が出る。
 エリッツが顔を隠していたから人ちがいされたまま、中の間でのことはラヴォート殿下の裁量でもみ消されたのかもしれない。しかし殿下がシェイルに昨日のことを伝えないわけがない。
 エリッツのせいで折檻されているかもしれない。
 さらにここにエリッツがいることがわかってしまったことでどれくらい迷惑がかかるのだろう。シェイルがエリッツをこの屋敷に迎えにきた理由がわからないからなんともいえないが、面倒なことになっていなければいい。エリッツは深くため息をついた。
 こんな苦労をして方々に迷惑をかけたのに目的は達成できなかった。
 ずっと苦痛にあえいでいたせいで記憶はもやがかかったようにあいまいだが、たぶん北の王のごく間近にまでせまったのだ。アルヴィンをつれてもう一度あそこにいけたらいいのだが、何度も侵入を許すほど警備は甘くないだろう。とっさの判断だったとはいえなぜ一人で中の間に行こうとしたのかエリッツは何度目かの後悔をする。
 ローズガーデンは三日後にせまっていた。
 もう一度アルヴィンと相談をしなければならない。エリッツはすっかりアルヴィンに加担する気になっていた。
 中の間にはもういけない。もっと合理的にやらなければならないだろう。まずアルヴィンが北の王に伝えたいといっていたことを無理やりにでも確認して、内容次第でラヴォート殿下に相談する。なんとかしてシェイルに会えればつないでもらえるはずだ。マリルたちがすでに調べている内容かもしれないが、それならそれでかまわないだろう。
 北の王。
 エリッツはそっと自身の唇に触れた。アルヴィンではないがなんの根拠もなく本物だったと思う。あえていうなら威厳というか、ダフィットや老婆の緊張感、畏れ敬っているのを肌で感じた。体の感覚がほとんど麻痺していたし苦痛で余裕がなかったが、なんというか――あれはアルヴィンのいうとおり男性だった……と、思う。姿も見ていないし話もしていないが、ひきつけられる。
「若様、また暴れるおつもりで」
 ワイダットがにやにやとこちらを見ている。
「別に暴れるわけじゃないけど。アルヴィンはどこにいるか知ってる?」
 さっそく動きはじめよう。
「さあ。あの少年は仕事じゃないかな。昨日、アイザック氏が襲われたのは知ってるだろう。警戒して護衛を二人ともつれていったみたいだな。今日は品の最終確認をすると聞いた。どこにいったのかまではわからない」
 そういえばエリッツは護衛に任じられたものの何もしていなかった。怪我をしていたから遠慮されたのだとは思うがあのアルヴィンまで仕事をしているのに取り残された気分だ。
「どちらにせよ、間もなく戻るだろう」
 やはりワイダットは機嫌よく笑ってエリッツの背中を軽くたたいた。

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